GW期間中ということで、映画の感想をダラダラと書いてみたいと思います。

昨日『青春18×2 君へと続く道』を観てきました。


タイムラインにも書きましたが、台湾人の主演俳優さんの中国語が、とても聴き取りやすくて、映画館でその予告編を観るたびに「中国語に久しぶりに触れたいな」と思わされていた映画でした。

また、Wasei Salonメンバーでもあり、台湾で長いこと働いている佐田真人さんが、Twitter上でオススメしていたから、ついつい観に行きたくもなりました。


僕は、佐田さんとの間には何か「言葉にはならないもの」をずっと共有している感覚があるなと思っていて、その信頼感は他のひとにはあまり抱かない類いのものです。

そんな佐田さんが、台湾で先に公開された本作をご覧になられて、何かに共鳴されている様子が、その感想から見事に伝わってきたので、日本で公開された初日に、足を運んでみました。

結果、本当にとても良い映画でした。

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タイトルが青春18×2で「あー、18歳の台湾人の男の子と日本人の女の子の映画なのね」ぐらいに思っていたけれど、まさかの18歳のときの思い出を、その18年後から振り返るという内容で驚きました。

つまり、主人公は18年を2回繰り返した36歳の台湾人男性でして、テーマとしては、旅やバックパッカーの話でもあるし、中華圏で働くという話でもあるし、ものすごく狭い範囲だけれど、そのすべてが見事に「自分宛ての手紙」に感じられました。

そして、これは完全に余談なんですが、手紙の宛先っていうのは、本当におもしろいもので、宛先は書き手に委ねられていると思うんだけれど、本当は受け取り手の問題なんだと思うんですよね。

「これは、自分宛てに書かれた手紙だ」と思えば、宛先が異なっていても、それは自分宛てになり得る可能性を秘めているし、

一方で、宛先がたとえ自分宛てあったとしても「それは自分宛てじゃない」として判断した場合は、中身を確認せず破ったり無視したりすることもできてしまう。書き手に、その選択肢が委ねられているわけではない。

この事実を知らずに、僕らは手紙の宛先を間違ったり、受け取り方を間違ったりしている、ということなんだろうなとも思います。

「ただ、それが誤配であり、贈与を生み出すよね」という話が東浩紀さんの主張でもあるわけだから、いい話といえばいい話。

で、完全に今回は、自分宛ての手紙を受け取らせてもらったなあという感覚がありました。

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ちなみに、この映画の監督は藤井道人監督、で86年生まれの方。

僕は藤井監督の映画は他にも何本か観ていて、今回の映画の舞台挨拶の動画も観たのですが、監督自身も少しずつ心境が変化してきていると語られていて、なんだかそれが見事に体現されていた感じがします。

個人的にはこの作品が藤井監督の作品の中では一番好き。

いま公開中の『4月になれば彼女は』も、30代の山田智和監督で似たような内容でしたし、自分たちが観てきた景色を映像化してくれている監督が、いま続々と増えているなあと思います。

同世代の30代の映画監督が増えているのは、純粋に嬉しいことです。

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さて、作品の内容に話をもとに戻すと、主人公の女性は台湾をバックパッカーしている最中に財布をなくして、日本人が経営する台湾の小さなKTV(カラオケボックス)で、アルバイトをし始めるという内容です。

僕自身も、23歳のころ単身で北京へと渡り、現地のITベンチャーに勤めました。社長が日本人で、社員はほぼ全員中国人という会社でして、そこで2年弱働いていたので、なんだかオーバーラップするところが山ほどありました。

それは仕事面に限らず、日常の暮らしの中における一場面とっても、発見や驚きの連続であって、そんな些細な感情の動きなんかも、見事に描かれていて、異国の地で働くことのおもしろさや、人と人との交流みたいなものが、ものすごく懐かしい形で描かれていたんですよね。

よく中華圏で働く体験を日本人に向けて話すと「それは大変だったでしょう」と同情混じりの目を向けられるのですが、でも中華圏は一度仲が深まると、家族のように人間関係を大切にしてくれるから、逆に日本よりも働きやすい面もあるなと思っています。

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あと、男性側の主人公が先程も書いたように36歳であり、なんでこんな微妙な年齢を主題にする作品が多いのか、最近ずっと疑問だったんですよね。

今年の4月に僕も36歳になったのですが、そこから触れている物語が決して意識したわけではないにもかかわらず、ことごとく36歳を主人公にした物語が多かった。

具体的には、村上春樹の長編小説『騎士団長殺し』も『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』もそう。

ただ、それは今回の映画のタイトルにあるとおり、2回目の18歳なんだと考えると、非常にわかりやすい説明だなあと感じています。

人生前半の青春時代を振り返り、人生の後半を考え始めるうえで何かと「決別」する必要があるタイミングでもある。

少なくとも、それまでと同じペースや価値観で生きていてはいけないタイミング。

この映画の主人公の男性もそれは例外ではなくて、自分が大学生のときに起業したインターネットのゲームの会社を株主決議によって追い出されるところから物語は始まっていきます。

その絶望の中から18年前の思い出を頼りにして、聖地巡礼をするという物語。

もちろんこの映画の中には、宗教的な話は一切含まれていないけれど、この年で行う「巡礼」というのは、人生前半の自分自身と向き合うということなのでしょうね。

僕も、過去4年間コロナの期間中、無拠点生活をしていましたが、その最中ずーっと「巡礼」をしていた感覚が強くあります。

見る人が見たらそれは「自分探し」と括られるのかもしれないけれど、でも18歳前後のそれとはまたぜんぜん違う。

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この点に関連して、臨床心理学者の東畑開人さんが、ちょうど最近以下のような連続ツイートをされていました。

「自分になる」という発想には、「なりたい自分になる」という思想と、「なりたくない自分を受け入れる」という思想の両方があるということだ。前者は人生の前半を突き動かし、後者は人生の後半に切実な問題になる。
ビジネス領域では前者に価値が置かれ、宗教領域では後者に価値が置かれやすい気がする。自分の力を発揮する世界と、自分の力の及ばなさと折り合う世界との違いであるのだろう。


まさにこの感覚だなあと思います。

18歳前後には「なりたい自分になる」、36歳前後には「なりたくない自分を受け入れる」ための旅になっていく感覚があります。

それは見事に宗教領域の問題であって、ビジネス領域でどれだけ環境や規模感を変えてみようとしたところで、空回りするだけというかドンドン本質から遠ざかっていくだけ。

そう考えてくると、宗教領域で開眼したイエスもブッダもみんな30代半ばだったのは、ちゃんとそこには理由があって、自分がその年齢になって初めて理解できることが山ほどあるなと思わされます。

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これ以上書くと、どうしてもネタバレになってしまいそうになるので、その後の展開はぜひご自身の目で映画館で確かめてみてほしいなあと思います。

僕が自分自身の実体験を通して、ひとつだけはっきりと言えることは、30代に入ってギアが変わったと漠然と感じているひとには、とてもおすすめできる映画です。

36歳にして行う「巡礼」とは一体何か、その意味がきっと伝わってくれるかと思っています。

そして興味があれば、そのあとにオーディオブックで村上春樹の長編小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も合わせて聴いてみて欲しいです。たぶん、「巡礼」の意味するところが、より解像度高く伝わってくれるかと思います。

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最後に、宛先がかなり狭い映画であるというような話を散々書いてしまったかもしれませんが、とはいえ映画館はほとんど満席状態で、年齢層もバラバラ。

そして、周囲の席からはひたすら鼻をすする音が聞こえてきたので、きっとそういう映画なんだと思います。(これ以上はネタバレになるので自重します)

GWに「なんかわかりやすい恋愛映画みたいな〜!」って思っていたら、ぜひ。

女優の清原果耶さんの演技も本当に素晴らしかったです。彼女だからこそ成立している映画でもあったように思う。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。