昨日のブログでは、灯台もと暮らしを静的化したら、表示が驚くほど速くなって、思わず泣きそうになったという話を書きました。
 
参照:眠らせておいた過去の財産を、AIがもう一度つなげてくれた。

そしてその流れで、コーポレートサイトを作り直すときに、AIが僕の過去のブログや「灯台もと暮らし」を丁寧に読み込んで、自分でもすっかり忘れていた仕事やトークイベントを、次々と拾い上げてくれたことなんかも書きました。

AIは、時系列にバラバラに散らばった点と点を、一本の線にするのが本当にうまい。そのことを、腹の底から理解したという話でした。

今日は、その続きのようなお話です。

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昨日の記事を書き終えたあとも、ずっと頭のなかで考えていたことがあります。

それは、じゃあこれから、自分は一体何を残していけばいいのか、ということです。

「今こそ、もとくらをちゃんと復活させよう」と心に決めたものの、正直に言えば、内心では別の声も聞こえてきます。

「今さら、ウェブメディアなんて一体誰が読むんだ?」
「YouTubeやPodcastの全盛期に、テキストコンテンツなんて…?」と。

タイムラインには、短い投稿やショート動画があふれかえっているなかで、長いインタビュー記事を、最初から最後まで丁寧に読んでくれるひとが、いったいどれぐらいいるのか。

きっと多くのひとがそう思うはずですし、僕自身も、近年は心のどこかでずっとそう思っていました。

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でも、ここでハッと気がついたんです。

そうか、AIが読むんだ、と。
 
もちろん、人間に読んでもらえることがいちばん嬉しいのは、今もまったく変わりません。
 
ただ、これからのウェブ記事には、人間とは別にもうひとり、ものすごく熱心な読者がつくはずで、それがAIなんですよね。
 
しかも、時期も場所もバラバラに残っていた記録同士を、あとからいくらでも点と点として線でつないでくれる。
 
僕は、ここが本当に重要だと思っているのですが、意外とまだ、ほとんど語られていないような気がしています。
 
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人間は、どうしたって忘れてしまう生き物です。
 
当事者である僕自身でさえ、昨日書いたとおり、自分が手掛けた仕事のことをきれいさっぱり忘れていたわけですから。
 
でも、ネット上に記録さえ残っていれば、AIはそれを何度でも、飽きることなく読み返してくれる。
 
この日にこんなことがあって、それがこの記事に残っているし、それは、数年後のあの出来事にもつながっていますよ、というふうに。
 
公開したその日に、どれだけ読まれたのか、PVやいいねの数だけでは決して測れない価値がウェブ記事にはちゃんとあったんだなあと思います。
 
むしろ、その価値が本当の意味で発揮されるのは、まさに、これからなのかもしれません。
 
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だから、これからは過去の記事や対話に、丁寧に「文脈」を添えて、改めて公開や転載をしていきたいと思っています。
 
ちなみに、ここで言う文脈(コンテキスト)とは、話された内容そのものではなく、その周辺にある出来事を含めた全体のことです。
 
たとえば具体的には、なぜ、このひとたちが集まって話しているのか。それまでに、どんな関わりがあり、どんな出来事や問いを受けて、この対話が生まれたのか。
 
こういったことは、当事者にとってはあまりに当たり前すぎて、わざわざ書き残そうとはしないんですよね。
 
でも、あとから読むひとには、そここそがいちばんわからないものだし、これから本当に大事になるのは、この「コンテキスト」のほうなんだと思います。
 
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そして、ここでもうひとつ重要になってくるのが「日付」なんです。
 
言い換えると、ウェブ記事は、ひととひととの関係性における、「タイムスタンプ」のようなものになる。AI時代には、この時系列の存在がめちゃくちゃ大事だなって思っています。
 
なぜなら、人間同士の関係性のはじまりって、意外と曖昧なものですよね。
 
「いつから知り合いだったんですか?」と聞かれても、きれいに答えられるひとは、ほとんどいないと思います。
 
でも、たとえばインタビュー記事が残っていれば、「あのとき、ちゃんと時間をとって話を聞かせてもらったよね」と振り返ることができるわけです。
 
ほかにもたとえば、オンラインコミュニティへの入会日が残っていれば、「少なくとも、あの頃から僕らは同じ場にいましたよね」と確かめることなんかもできるわけです。
 
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で、これっていうのは、結婚記念日や入社式と、非常によく似ているなあと思います。
 
結婚記念日は、二人の関係がその日に突然はじまったことを意味しているわけではありません。それ以前からずっと育ってきた関係に、「ここから数えよう」と、二人で立ち返れる日付を与えるもの、つまり起算点を与えるような行為です。
 
入社式なんかもまったく同じで、それ以前に面接もあったし、内定の連絡もあった。それでも、みんなで「この日から我が社の仲間です」と確かめ合うような儀式的側面がある。
 
そして僕らは、その日の儀式の写真を、ちゃんと「アルバム」なんかに残すわけですよね。
 
それらと同様で、インタビュー記事を公開することや、コミュニティに誰かを迎え入れることにも、どこかそんな儀式的な側面が間違いなくあるのだと思います。
 
すでにそこにある関係性に対して、日付と形を与えるような行為。

それを、インターネット上に擬似的に、でも丁寧につくりあげていく作業なんだとも言えそうです。
 
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あと、人間の記憶がひどく曖昧なものだからこそ、ここにちょっとした魔法も生まれてきます。
 
本当は、関係性がぐっと深まったのはここ数年、場合によってはここ数ヶ月のことだったとしても、「実はあのときから、ずっと続いていたんだよね」という遡行的に振り返るような話になっていく。
 
そこでは、虚実が良い具合に入り混じるわけです。
 
たとえば、幼馴染なんかは、まさにそうじゃないですか。
 
僕は小中一貫校に通っていたのですが、本当にちゃんと仲良くなり始めたのは中学に入ってからだったヤツであっても、いつの間にか小学校の1年生(6歳)が関、係性の起算点になっていたりします。
 
そして「もう何十年の付き合いだからさ」なんて言い方を、お互いに平気でするようになるんですよね。
 
でも、それは決して嘘ではないとも思うのです。同じ小学校の校舎で、同じ時間を過ごしていたという事実は、確かにそこにあったわけなのだから。
 
日付の残った記録は、こんなふうに関係性の起算点を、そっと過去へと引き延ばしてくれる。
 
それもまた、タイムスタンプが持っている小さな魔法なのだと思います。
 
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ちなみに、ウェブマーケティングの世界でよく使われる「エンゲージメント」という言葉も、英語ではもともと「婚約」という意味ですよね。
 
クリックやいいねの数のことではなく、本来は、関係を約束し合うことだったはず。
 
そう考えると、なんだか妙に腑に落ちるところがあります。

ウェブメディアが本当に可視化すべきだったのは、PVやシェア数、そこからつながった売上などの数字ではなく、そんな「関係の物語」のほうだったのかもしれません。
 
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では、この「文脈」と「タイムスタンプ」の話が、少し前に書いた「内の人」の話と、どうつながっていくのか。
 
実は、そこが今回いちばん書きたかったことなのですが、少し長くなってしまうので、続きはまた明日、後編で書いてみたいと思います。
 
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考となったら幸いです。