もういい加減、この気候を「夏」と呼んでも差し支えないでしょう。


 白いTシャツたちをまとめて洗濯しました。思い切り良く差し込んでくる陽の光が綺麗だったので。UNSLACKS、Diaspora Skateboards、Barber Sakota。FIRO。drip。「友達」と呼ぶのは少しためらってしまうぐらい、偉大で、とっても大切で、誇るべき方々が、三浦のために用意し贈ってくださった服です。見ているだけで嬉しくなります。


 物干し竿を舞台に、嬉しそうな表情で風に揺れるそれらを見ていると、ふと、お父さんが空港にて託してくれた言葉を思い出しました。上京直前。北海道・新千歳空港にて、お母さんは笑いながら泣いてたな。お父さんはずっとヘラヘラしてて。



 『お前は、とにかく友達を作れ。どんどんみんなと仲良くしろ。それだけで良いから』



 あの日の空には、まだ雪がちらついていたような気がします。北海道の冬はとことん長く、いつのことを「春」と呼んで良いのか分からないぐらいです。空港の窓から見える景色は、たしか、淡い白だったような気が。




 友達ができました。たくさんできました。心を素っ裸にしてぶつかり合える友達が、困ったときには、金を貸し、金を借りれる友達ができました。酒飲んでワイキャイ騒ぎ、夜を共に使い果たせる友達ができました。


 捨てられない服が増えました。「これを着ているときぐらいはしっかりしねえとな」と思える服が増えました。背中に誇らしい名前が書かれていて、僕をポジティブに縛り付けてくれるような服が。『いつもお前のことを見てるよ』と言ってくれているような。こりゃきっと、考え過ぎじゃあないと思います。


 仕事もそうです。友達がいなかったら、僕はフリーランスのライターになんか、きっとなれやしませんでした。絶対になれませんでした。これまで、僕は “営業” というのをしたことがありません。これは「俺には営業なんか要らねえ。注目集めてるからな」なんていうしみったれた自慢じゃなく。


 ただただ「友達がいたから」です。友達が『三浦! これ書いてよ!』と言ってくれたからです。『メディアに、三浦のことライターとして紹介してみても良いかな!』と言ってくれたからです。ありがたい仕事をくださったからです。それゆえ、もしも僕に友達がいなかったら、家賃なんか到底払えず、情けない顔で実家へ帰っていたんだろうなぁと思う。




 夏になりました。惨たらしい感染症、少しは落ち着いたって聞きました。友達に会える季節がようやくやってきた。嬉しいな。本当に嬉しいな。真っ白なTシャツがさっぱり乾く頃合い、大事な友達に「散歩しようぜ」と声をかけてみよう。


 今年の夏も、きっと楽しくなりそうです。お父さんお母さんに自慢できる友達をどんどん作っていきたい。共に汗かいて仲良くしましょう。みんなに会えそうな夏、とっても楽しみです。