先週末、「100分de名著」の『徒然草』の回と『枕草子』の回を立て続けに観てみました。

それぞれ主張は異なれど、言っていることはほとんど変わらない。

究極のところ、「他者への思いやり」と「他者への関心」。

このふたつの重要性をひたすら説いていました。

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本書を書き上げるまでの経緯もなんだか似ていて、どちらも同じように本業では何者にもなれなかったようです。

兼好法師は、僧としては大成できず、清少納言も、和歌は上手ではなかったらしい。

ただ、両者ともに、下記のような才能を持っていたようです。

(1) 散文を書く力があること。
(2) 文章にテーマを設定するのがうまいこと。
(3) 人と違ったものの見方ができること。
(4) 観察力・批判力に優れていること。
(5) 興味関心の幅が広いこと。

(※この5つの要素は、『枕草子』の回の講師・山口仲美さんが「エッセイストになるための条件」として挙げていた5つの要素です。)

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現代であっても、全く同じことだなあと思います。

二人の存在を知れば知るほど、現代のTwitterや
インターネットのコラムっぽいなあと感じてしまう。

今日も、noteでは同じような内容が日々多くのユーザーから投稿されています。

番組の中で、伊集院光さんが「最近出た本なのでは…!?」と驚きながらコメントしていたけれど、まさにそう感じてしまうほどに。

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少なくともひとの悩みは、1000年以上ずっと変わらない。

逆に言うと、当時も「今」だったんだろうなあと。

であるならば、徹底的な「今」の観察が、普遍に通じるという意味でもある。

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どうしても僕らは、過去の名作を知れば知るほど、何かを表現するときに、大上段に構えてしまいがち。

具体的には、過去に忖度し、未来をぼんやりと想像しながら、それでも通用するようにと、抽象度を高めてしまう。…。

むしろ、その抽象度を高めるためにこそ、過去を学び、未来を想像することが大切だと思い込んでいる節さえあると思います。

少なくとも自分はそうでした。

でも、本当に大切なことは、いま目の前にある事象に対して、「自分はこう思う。」その純度を高めていく、そのことの方がよっぽど重要なスキルなのかもしれません。

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人類の叡智を学びながらも、今の気持ちをダイレクトに表現し、自分のうちから湧き出てきたものを素直に発信していく。

それがなんとなく理解できただけでも、この週末は大きな収穫を得られたと思います。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、何かしらの参考になったら幸いです。