以前、NFTに関連して、一風変わったこんなツイートをしてみました。


今日は、このツイートの内容ももう少し丁寧に掘り下げてみたいと思います。

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僕は過去10年間ほど、自身のブログや自社で立ち上げたwebメディアを通じて地方移住や地方暮らしのトレンドを広く取材してきました。

過去には、移住関連の雑誌「TURNS(ターンズ)」で、自らの連載を数年間書かせてもらっていましたし、自社で「灯台もと暮らし」というウェブメディアなんかも運営しています。

なぜ、そのようなことを取材してきたか?

それは、僕自身が「これからの生き方や暮らし」に強い興味があったからです。

ここはよく誤解されるポイントなのですが、決して田舎暮らし自体に興味があったのではなく、「これからの生き方や暮らし方」を体現しているひとたちが、たまたま地方移住している場合が多くて、彼らの話を聞きに行ったり暮らしを実際に取材させたりしてもらっていたら、結果的に「地方移住がテーマの真ん中に来た」というだけなんです。

NFTの文脈で言えば、当時高知に移住したばかりのイケハヤさんご夫婦も実際に取材もさせてもらって、その記事は今も「灯台もと暮らし」の中に掲載されています。

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この点、2010年代は、日本の国策としても「地方創生」というようなことが大々的に語られていて、それが大きなトレンドとしてまず存在し、お金の流れも明確に変化していたタイミングだったということもあり、風向きの変化を強く感じていました。

だからこそ「もしかしたら、地方から日本は本当に変わっていくのかもしれない」そのような期待感を持ちながら、このトレンドを眺めてもいたんですよね。

「これだけ行動力があり、センスのいい若いひとたちが地方へたくさん移住しているのであれば、ここから何かが変わってくるのかもしれない」と。

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ただ、2023年の今は、もうあまりそのような期待感は抱いていません。

長年、このトレンドを眺めてきた僕からすると、これからも地方の現状は、きっとほとんど変わらないのだろうなあというのが正直な感想です。

「いやいや、これからだろう!」という意見があることは重々承知していますし、実際そのとおりの面があるとは思いつつ、たぶん団塊の世代の方々がこの世界を自然に去るまでは、今のような力関係というのは、あまり大きくは変わらないはずです。

もちろん、これはあくまで僕の見立てであって、実際はそうじゃない可能性もあるかと思います。

あくまで、現時点での僕の見立ての話をしていると思って聞いてください。

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じゃあ、なぜそう感じるのか?

10年近く、実際に日本各地の面白い地域のまちおこしの現状を眺めてきて、実際に直接孤軍奮闘している方々のお話を聞かせてもらえると、若者と団塊の世代の方々が分り合えるということは、残念ながら、これからもまずありえないのだろうなあというのが、その一番大きな理由となります。

むしろ最近では、団塊の世代の人たちが開き直るというか、居直るような言説や広告なども町なかには増え始めており、より対立は深まるばかりのように、僕には見えます。

これは、このまま平行線で進むんだろうなあと。

だから僕は、自らが地方移住をして「まちづくり」に携わりたいとは現段階ではまったく思っていません。

というか、まだその「とき」ではないという感覚が非常に強いのです。

きっと、もう少し「とき」が経ち、2030年ぐらいから、本当の意味でもう誰も見向きもしなくなった過疎地が、日本全国に多数放置され始めて、本当の意味で志しのある若いひとたちが、上の世代からは何も邪魔をされずに立て直していけるフェーズにはいっていくんだろうなあと想像しています。

むしろ、その「とき」までに、淡々と準備しておく必要がある。

言い換えると、文化感を共有した人々のコミュニティをつくりあげておくこと、そのネットワークのほうが先決のような気がしています。

そして、実際にまちづくりを行うための「住民自治の基盤」が必ず必要となるはずです。

具体的に言えば、そのための「お金集めの方法」と「合意形成の手段や手立て」が非常に重要になってくる。

それが、きっとNFTやDAOだと思うのです。

今から、これらを使い慣れておくことで、団塊の世代が自然とこの世から去っていったあとに、大きなパラダイムシフトがやってきて、そのタイミングで一気にスタートダッシュを切ることができるのではないのかなあと思っているわけです。

だから僕にとって、web3という文脈は、メタバース空間に移住するための事前準備というわけではなく、これからやってくる国家の弔いのひとつの手段であり、そこから本当の意味で日本という共同体を立て直していくための手立て、だと思っています。

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もしかしたら、団塊の世代がこの世を去っても、今の若い世代の人たちが同じように老害化して、今と変わらないような「日本的な構造」を形成してしまう可能性もあるので、そのときは潔くメタバース空間、もしくはリアルとバーチャルのハイブリッド、そんな第3の道を探っていく方向転換もできるはず。

それが、web3の潰しがきくところでもあるなあと。

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さて、ここからは、実際に何がNFTコミュニティと日本の過疎地が大きく異なるのかを、3つの観点から以下で明確に言及してみたいと思います。

ひとつは、先ほどから述べているように、学ぶ気がない老いているひとたちが、NFTのコミュニティの中には、ほとんどいないということです。

それぞれの政治的な主張や、目指したい思想信条みたいなものは少しずつ異なっていても、みなさん日々新しいことに学ぶことには非常に意欲的。

そこだけは、全員の足並みが揃っているかと思います。

もちろん、これは決して年齢の問題だけではなく、「何か新しいことを学んでみよう、挑戦してみよう」というひとたちがいるかどうか、という話ですよね。60代でも70代でも、学ぶ意欲があるひとはNFTコミュニティ内にもいっぱいいる。

また、イーサリアムの購入のハードルの高さやメタマスクの導入の面倒臭さなど、そういったチャレンジ精神旺盛なひとたちだけが集まる空間を形成してくれるハードルも高いんだと思います。

だからこそ、話が早いですし、すぐに合意形成がなされて、具体的な実験が色々と行われやすい環境にもあるわけですよね。

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そして、2つ目は、既得権益が全く存在していないという点が挙げられます。

若い人が興味を持ちやすい、似たようなジャンルというかトレンドに、エコやサスティナブル、ダイバーシティなども含めたSDGsの文脈もあるかとは思いますが、こっちは既得権益も非常に多いのが実情です。

きっと、動く金額があまりに大きすぎるということもあるのでしょうね。既存産業がすぐに飛びついてきて、そこに大量の補助金もばらまかれてしまうため、政治要素も強く絡んできて、どうしても既得権益によって従来の権力者たちに流されてしまう。

この点、NFTはまだ市場規模が小さすぎるがゆえに、そのような既得権益の邪魔もほとんど受けていない点は非常に良い面だなあと思っています。

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最後に3つ目は、物理的な部分での手続き面の問題です。

これは先日、リツさんがVoicy内で配信されていた「アドレスホッパーの悩み」という配信を聴きながら「そうだ、そのとおりなんだよ!」と思わず膝をうったのですが、NFTや仮想通貨のシステムに慣れすぎると、既存の行政手続等が、あまりにも煩雑すぎるのです。

「今から、ガラケーやiモードに戻ってください」と言われているような感覚になります。それはどう考えてもそれは不可能です。

ゆえに、僕は地方移住ではなく、NFTコミュニティに移住するような感覚で、新しい出会いや可能性を模索しつつ、今から淡々と来たるべき将来に向けて備えているような感覚があります。

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いま自分の中で考えていることをバラバラとまとまりのない状態で話してきたので、少々わかりにくい点も合ったかもしれないですが、今日のお話は以上となります。

いつもこのブログを聴いてくださっているみなさんにとっても何かしらの参考となったら幸いです。

今日の内容はVoicyでも語っています。「音声で聴いてみたい」という方はぜひリンク先から聴いてみてください。