こんにちは、はっちーです。


暑いですね、みなさん夏バテしてませんでしょうか?


仕事が忙しかったこともあり、やっとすこし遅めの夏季休暇を取ることができまして、そう言えば!と書いていた「自由研究」に向き合ってみたくなりました。



“大人の自由研究とはなんだろう?”と問いを出したものの、忙しかったことしか頭に浮かばず…。


それなら、「なぜ忙しかったんだろう?」「なぜ疲れたんだろう?」とテーマにしてしまい、向き合うのも悪くないかなと思いました。


だって、自由な研究なのですから。



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仕事上の「やること」でいっぱいになった頭に加え、溢れすぎた情報に疲れた夏でした。


テレビだってニュースだってSNSだって、本当にじぶんが読みたい情報だろうか?と。


1日に摂取できる情報量も限られていますので、一つ一つ「正しい情報かどうか?」を判断しなければいけません。決めるのはじぶん。そうなると、あらゆる「決断」にエネルギーを消費してしまいます。


何も言わないでくれ、何も主張しないでくれと何度それらの “情報” に対して、声高に叫んだでしょうか。と同時に、じぶんが受け取りたい情報を「ちゃんと受け取りたいな」とも思いました。


1年半くらい前から仕事で書くことを始めたのですが、それも「読みたいものを、読みたい」と思ったからでした。


WEBサイト上のインタビューコンテンツを作る際、いつもお願いしていたライターさんがどこか上から目線で、明らかに「やってあげてもいいけど」と言う態度。クライアントからの修正を伝えると、「別にこれでも伝わると思いますけど」と。


初めてでした。「この人の書く文を読みたくない」と思ったのは。


残された選択肢は、じぶんで “書く” でした。だって、じぶんが読みたいものは、じぶんが知っているのですから。きれいにまとまっている訳ではなく、それを知るために書く。旅に出ながら目的地を決めるように、じぶんが読みたいものを探すために、書けばいいんじゃないかと。



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けれど、熟年のプロフェッショナルではありません。一撃で100点のクオリティを出すことは難しい。だから始めは60点でも、10回ブラッシュアップをして、100点に近づけていく。忙しくなるはずなんです、疲れるはずなんです。人よりも時間をかけているのですから。


アウトプットはWEBコンテンツの制作ですので、もちろんwordで書いておしまい、ではありません。言葉をデザインして読んでみて、アニメーションで動かしてみて、また読んでと、終わりなんてないのではと思うくらいに。


実際に「クオリティが高いですね」と同僚に言われたものの、そこには全く興味はなくて。だって、じぶんが「読みたいと」思えるものをつくっただけなのですから。


あと2日ブラッシュアップする余裕があるとして、1回手を加えるか、10回手を加えるか。ただ単にこだわりたいだけなのかもしれません。


けれど、巷には「読みたくない」ものも溢れていて、じぶんが生み出したものが毒にもなる可能性だって、大いにある。いままでだってそんなコンテンツを無意識のうちに生み出してきたのかもしれない。


その悔しさが、飢えがあるからこそ、「もっとこうしたら?」と終わらない追求をしてしまうのです。



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と、ここ最近、お仕事の発生の仕方が変わってきました。じぶんは会社員なのですが、お仕事の窓口にもなっていますので、外部からお仕事の声がかかります。


それが今までは「依頼に応えてください」と言う狭い範囲のみ指定されるタイプだったのですが、「こんなお題があるんですけど、どうしたらもっとよくできますか?」と間口が広がっていくものへと。


クライアントではなく、むしろパートナーで。明確な公開期限はあるのですが、プロセスもスケジュールもいつもその都度、構築していきます。初めての相手と、初めてのテーマとセッションをするように。


進めていくと、「こんなのどうですか?」「いいですね!」なんて会話が飛び交うんです。まるでWasei Salonの対話の時間のように。ぐったりと疲れてしまったのも、おそらく本気になった証拠だからで。


いつの間にか仕事の顔とプライベートの顔の垣根なんて、なくなっていて。極めてシームレスに行ったり来たり、じぶんが会いたい人と会い、つくりたいものを、つくる。


こんな気づきが大人の自由研究でいいんじゃないかなと、無理やりまとめてみました。




長文、失礼いたしました…。


みなさまはどんな自由研究でしたでしょうか?

どんな夏でしたでしょうか?


みなさまの、「ひと夏の経験」も、ぜひ聞いてみたいです。