最近、仕事を通して新たに出会うひとたちと話していて、つくづく思うことがあります。
「どんな信念のもと、あなたは何を続けてきたんですか?」
ひとを判断するときの評価軸が、もうほとんどそれだけになりつつあるんじゃないか、と。
僕の場合で言えば、Wasei Salonはもちろんのこと、オーディオブックも、イケウチオーガニックさんの応援も、どれも年数を訊かれて「それぞれ、10〜15年くらいです」と答えると、それだけでスッとご納得いただける機会が、ここ最近、格段に増えました。
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「なぜ続けてきたのか」や「そこにどのような意味を見出しているのか」を説明する言葉なら、もちろん自分の中にいくらでも持ち合わせているし、日々ブログでも書き続けているのですが、でも、その言葉を持ち出す機会さえ、与えてもらえない。
年数だけを伝えた瞬間に、良い意味で、相手の中で「はい、もうわかりました。それ以上の言葉は不要です」と何かが勝手に完結してしまうんですよね。
そして振り返ってみれば、自分も他者を判断するときにまったく同じことをしているなと気付きました。「はい、わかりました。もう100点、合格」と思っている自分がいる。
SNS全盛期は、言葉が信用をつくる時代だったところから、AI時代は続いてきた時間のほうが言葉以上の価値を持つ時代へと、静かに移り変わってきているのだと思います。
今日はそんな観点について、改めてこのブログの中で丁寧に考えてみたいと思います。
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で、これは逆に言えば、口が達者なだけで、何ひとつ続いていないひとが、今いちばん信用ならない、そういう世の中になりつつあるような気がしています。
AIが登場し、いくらでもソレが生成できるようになってしまった以上、優れた言葉なんて、もはやほとんど全くと言っていいほど求められていない。
それよりも、その言葉の背後にちゃんと時間の継続性があるかどうか。
言い換えると、その言葉を口にする資格を、その人は自分の人生のなかでちゃんと積み重ねてきたのか。見られているのは、たぶんそこなんだと思います。
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ただ、ここで当然、出てくる反論があるかと思います。
「そうは言っても、経済的に続かないんだよ!」と。
あとは、お金になっていないということだけではなく、大きな社会的なうねりも起こせていない、などの引け目なんかもそうかもしれません。
だから、長年自分のやっていることには価値がないんじゃないか、そう悲観してしまう気持ちもすごくよくわかります。
何かを続けるには、お金も時間も体力も気力も、全部必要ですからね。
経済的に成り立たなければ、続けたくても続けられない、背に腹は代えられないということは、現実として往々にしてあり得るわけです。
でも、自分で実際に何年もやってきて思うのは、実はここにこそ、大きな反転があるんじゃないか、ということなんです。
経済的価値を大きく生み出しているわけでもないのに、続けていることそのものに価値が見出されている。
ややこしいのですが、ここが今日一番強く強調したいポイントでもあります。
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もっとわかりやすく言い換えると、お金になるから続けていることは「続けていて当然だよね、だってお金になるから」と思われてしまうのも、現代の特殊性なんだろうなあと。
あとは、仕事だからとか、そもそも生活がかかっているから続けているような場合は、そこに何か信念があるとは思われにくい。
もちろん、そんな仕事だってとても大変で尊いことではあるのですが、外から見れば「そりゃ続けるよね」で終わってしまう。
経済合理性があまりに見えやすい継続というのは、ひとはそこに信念を見る前に、まず合理性のほうを見てしまうということですよね。
「ああ、お金になるから続けているんですよね」と。
だから儲かっていることで人に振り向いてもらおうとすると、よほど圧倒的な成果が出ていることが必要なわけで、ゆえに年商◯億円とか、フォロワー◯万人とか、そういった数字を全面に出すようにもなっていくのだと思います。相手を否応なく納得させるために、です。
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でも、大したお金にもなっていないのに、続いていることは、ここが違う。
儲かっているわけでもないし、誰に命じられたわけでもない。さらに、やめたところで、誰にも怒られないし、誰も困らないわけです。
むしろ、もっとお金になることなら、世の中には他にいくらでも存在する。それなのに、なぜあなたはソレをやめないのか?
この「なぜ?」が、たぶん今の時代にいちばん大事なことなのだと思います。
その問いが相手の中に生まれた瞬間に、こちらが何かを追加で説明するよりも、相手のほうが先に、勝手にこちら側の信念を読み取りはじめてしまうから、です。
ゆえに、おもしろいのは、この金にならない継続の中に、SNSやnoteなどは含まれないんです。 SNSの継続は、「LINEを10年やってます」みたいな話に近くて「そりゃ、そうですよね」になりやすい。
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そして、ここからさらにもう一段だけ踏み込んでおきたいことがありまして。
それが「これしかできないから、これを続けている」という話ではない、ということです。
むしろ、その逆なんです。
それ以上のことができるはずなのに、そしてもっと利益を取りにいこうと思えばいくらでも取りにいけるはずなのに、それなのに、なぜ今いる場所を、こんなにも大事にし続けているのか。
コスパタイパ・生産性こそが正義だと語られている現代の風潮の中で、本当にハッとするのは、たぶんそっちなんですよね。
だって、いくらでも他のやりようがある時代でもあるわけですから。
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昔はそれが物理的にできなかった、やりたくてもやれなかったんですよね。
でも今は、メディアからECサイトまで、ほんとうに何から何まで、すべてを自分で自作できる時代なわけです。
にも関わらず、この人は、なぜここを離れないのか。
この「にも関わらず」が非常に重要。
なぜ、もっとわかりやすくあなた自身が得をする方向へと行かないのか、その違和感のなかにこそ、逆説的に「信念」が立ち上がってくる。
よく知られているアフリカのことわざ「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」がそのまま適用されて、相手の中に勝手に「それだけみんなで遠くへ行きたい理由があるんだな」って納得することなんかにもつながっていくわけです。
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ただ、ここだけは誤解されたくないのは、今日のこの話は、ハックしてもまったく意味がない、ということです。
「信頼されたいから、あえて儲からないことを長年やっています」みたいな態度は、すぐにバレてしまいます。そんなものは信念でもなんでもなくて、他人の信頼を表面的に取りにいくためのコスプレでしかない。
僕が今日言いたいのは、そういうことではまったくないんです。
コスパが悪く、タイパも悪いし、経済合理性だけで見たら、どう考えても割に合わない。他に取れる選択肢も山ほどある。それでも、なぜか手放せないもの。
自分でも、なぜここまで執着するように続けているのか、うまく説明できず、でも捨て去ることだけはできず、ここまで続けてきた。
そういうものを突き詰めているひとほど、逆説的に信頼されやすい時代が、ようやく来たんじゃないか、それが今日の僕が全力で言いたいことです。
そんなあなたたちが報われる時代がやっと到来しましたよ!と、僕は声を大にしていいたい。
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あと、似ているようでいて逆に辛いなと思うのは、これはたとえば法的な拘束力があることや、社会的な義務として続いていることには、適用されにくい点です。
たとえば夫婦関係や子育て、親の介護のようなものは、本当に大変な営みだろうなと思います。
本人にとっては、人生と魂を削るような営みでもあるはずであって、本来なら社会から一番評価されてもおかしくないと思える所業でもある。
でも、世間や社会の側はしばしば、それを「やって当然」の枠に押し込めてしまう。
「親なんだから、家族なんだから、そこには当然責任があるでしょう」という風に。
これはこれで、ずいぶん残酷なことだなと思うのだけれど、少なくとも外から見たときにそれは「信念」としては、読み取られにくいのが実情です。
つまり、ひとは、続けなければいけないことよりも、続けなくてもいいのにも関わらず、なぜか続いていることのほうに、その人の信念を見るんだと思います。
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そして、勘の良い人であれば既にお気づきだと思うのですが、これはたぶん、AIには絶対にできないことなんですよね。
AIは、優れた言葉をいくらでも生成できます。
「私はこういう信念のもとに、この活動を続けています」という文章だって、いくらでも書けてしまう。
でも、AIには「やめてもいいのに、やめなかった時間」だけが、どうしても持つことができないわけです。
仮にAIが、誰にも頼まれていないことを10年間ずっと続けていたとして、僕たちはそこにAIの確固たる信念を見出すかと言えば、たぶん、いや絶対に、見出さない。
それはただのエラーかバグか、最適化に失敗した挙動で非効率だった時間として処理されるだけだと思います。
同じ非合理でも、AIがやっていればただの不具合やバグであり、人間がやっていれば、そこにこそ、その人の「意地」や「祈り」のようなものが滲んで見えてくる、この不思議。
「なぜ、あなたは、それでもソレをやめなかったのか」この問いだけは、人間に対してしか、そもそも発生しないんですよね。
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だからこそ、信念というのはもう「私はこう信じています」と言葉で説明するものではないのだと思います。
むしろ説明した途端に、どこか胡散臭く聴こえてしまうものでもある。
「やめてもよかったのに、やめなかった。得にならないのに、手放さなかった」というその姿勢と長い時間の積み重ね。
誰に頼まれたわけでもないのに、次のひとや、次の世代へと一生懸命に受け継ごうとしているその事実そのものが、どんな言葉よりも、そのひとの生き様を雄弁に語ってしまうんだろうなあと感じます。
だから、これまで続いているものは、AI時代だからこそ、安易にやめてはいけないんだと思います。
それこそが、あなたの財産なんだから。もちろん執着することは違うとは思います。昔の自分に囚われて無明になってしまってはいけない。
でも、明らかにみたうえで、それでも私は続けたいと思ったのであれば、決して諦めてはいけない。
そこにこそ、本人だけの唯一無二の道が拓けると思うから。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2026/06/25 14:14
やめてもいいのに、やめなかった年月だけが、信頼になる。
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