今朝、Appleから新しいMac miniが発表されて、僕のXは朝からその話題で大盛り上がりでした。


僕もその流れの中でいくつか思ったことをXに投稿してみたところ、思いのほか大きな反響があったのですが、なんだか断片的に伝わるのがもったいないなと思ったので、今日はその内容をこのブログにもしっかりと残しておきたいなと。

Xへのポストがベースになりつつも、改めてじっくりとこのブログの中で考え直してみたいと思います。

ーーー

さて、今回のMac miniの何が、そんなに衝撃だったのか。

正直、スペックや価格の話ではないのです。

僕自身がいちばん驚いたのは、Appleがとうとう公式に「PCは、人間が触っていない時間にも働くものになる」という未来を、製品の売り文句にしてきたことでした。

それがどういうことか、もう少し噛み砕いて説明してみたいと思います。

いま、AIの世界では「AIエージェント」と呼ばれるものが急速に広がってきています。

チャットで質問に答えてくれるだけのAIではなく、人間から任された仕事を、自分で手順を考えながら、自律的に進めてくれるAIのことです。

調べ物をして、資料をつくって、コードを書いて、と人間が寝ているあいだにも、黙々と働き続けてくれるような存在。

ーーー

そして今回Appleは、新しいMac miniを、まさにその「常時稼働するAIエージェント」を住まわせるためのマシンとして、真正面から売り出してきたわけです。

これはもう、Mac mini一台の話ではありません。

PCが「人間が使う道具」であることをやめて、「人間の代わりに働くAIを常駐させる場所」になり始めた、ということなのだと思います。

つまり人間のための道具だったPCから、AIエージェントというひとつの人格を住まわせるための「家」のようにかわったわけです。

ものすごく大雑把な比喩で説明すると、これまでは、冷蔵庫とか洗濯機とか人間のための家電を販売していたAppleが、それらを全部司るお手伝いさんのためのお部屋をつくった、みたいなイメージだとわかりやすいかもしれません。

ーーー

そして、「企業の人件費がAIに置き換われば、世界がガラッと変わる」

そんなことが、もうずっと前から言われ続けてきました。

当然ですよね。これまで人間を雇うために使っていた費用を、そのままマルっとPCの購入費用に充てられるようになるわけですから。

そして今回の出来事の衝撃的な意味は、その未来をApple自身が、とうとう「製品」という形として売り始めてしまったことにあります。

ーーー

こうなってくると、これから経営者は、「生身の人間を一人採用するか、24時間働くAIエージェントを何体走らせるか」を、本気で比較するようになるはずです。

これを逆に、労働者の側から見ると、自分たちの「ライバル」を、Appleがあの値段で、世界中に大量にばらまき始めた、とも言えてしまうわけで。

だからもう、あれはMac miniというより、身体のない「ロボット」だと思ったほうがいいのだろうなと。

ーーー

で、そう考えはじめると、PCの「形」そのものの意味合いまで、ガラッと変わって見えてくるから不思議です。

そもそも、僕らが見慣れてきたノートPCのあの形。

あの薄さや軽さというのは、「人間の道具」として「人間の身体」に最適化された結果、磨かれてきた形だったということです。

人間が毎日持ち歩いて使う前提だったからこそ、薄くなり、軽くなった。

バッテリーも、ちょうど人間が一日に働ける時間分だけを積んで、人間の身体に毎日ついてくるように設計されていた。

でも、働く主体が「AIエージェント」に変わるなら、話はまったく変わってきます。

AIのためのコンピュータは、人間と一緒に移動する必要がもうないわけですから。画面も、バッテリーも、携帯性も重要ではなくなって、机の上で電源につながったまま、24時間動作さえすればいい。

だから、あの見慣れたMac miniの小さな箱の形状が、今回から急に、妙に合理的なものに見えてきてしまうのです。

ーーー

そして、奇しくもティム・クックがXで投稿していたMac miniのプロモーション動画、そのクレイアニメがほんとうにこのことをわかりやすく表現していました。


とてもかわいらしい動画にもかかわらず、その裏側に出てくるメッセージはほんとうにえげつないなあと思います。もはや操作する人間は、不要ということですから。勝手に動き続けるマシンの姿を、あんなに愛らしく描いてみせる末恐ろしさです。

つまり、ここまでの話をまとめると、僕らがこれまで「PCの進化」だと思っていたものの多くは、実は「人間をユーザーとした場合の進化」に過ぎなかった。そのことが今回、見事に暴露されてしまったわけですよね。

ユーザーが変われば、機械の形状もまた変わる。本当におもしろいなと思います。

ーーー

ここでもうひとつ、思い出したことがあります。9年前の、田端信太郎さんのこのツイートです。


当時は本当にそのとおりでした。

大富豪でも普通の若者でも、ほとんど同じMacBookやiPhoneを使えて、少なくとも「知的生産の道具」に関しては、ものすごくフラットな時代だったのです。

だからこそITスタートアップにチャンスがあった。僕自身もこのフラットな時代をチャンスだと捉えて、ブログを始めて、ウェブメディアやオンラインコミュニティを運営する会社を起業した側のひとりです。

でも、今朝のMac miniのニュースや、AI需要によるメモリ価格の高騰なんかを見ていると、思えばずいぶん遠くまで来たものだと、感じてしまいます。

ーーー

なぜなら、これから差がつくのは、端末そのものというより、「どれだけ高価な計算資源を、自分専用に確保できるか」。

道具はみんな同じ、というあのフラットな時代が終わりを告げて、個人のあいだでも再び「持てる者と持たざる者」の差に急速に回帰していくのだろうなと。

約10年前に若者でいられて、本当によかったと思うと同時に、じゃあ、いまの若い人たちは一体どうすればいいのだろう、という問いも自然と浮かんできてしまいます。

ーーー

で、だからこそ、なのですが、

これまで「古臭い」とか「もう役割を終えた」と邪魔者扱いされがちだった、大学みたいな場所に、もう一度大きな光が当たるんじゃないかと僕は思っています。

歴史を振り返ってみると、昔は、そもそもコンピュータに触ろうと思ったら、大学や企業にある大型計算機を、みんなで共有するしかない時代がありました。

「パーソナルコンピュータ(個人のための計算機械)」という言葉自体、それを個人が独り占めできるようになった革命の産物だったわけです。

その歴史が、いままた逆回転を始めている。

ーーー

これから先、個人では到底所有できない高価なマシンや計算資源を、みんなで共有して、最先端のAIを使いたい人たちが、大学のような場に再び集うようになるのかもしれません。

しかも大学には、大学図書館にしかないような膨大な資料やデータもある。ここも大学の非常に大きなアドバンテージだよなあと思います。

そしてその大学のまわりには、同じように何かを考えたり、つくったりしたい人間がいる。同級生に限らず、先輩後輩、さらには教授や研究関連の企業や団体も出入りしているような状態。

これからの大学は、最初は、そんな高価なコンピュータを使うために通うのかもしれません。図書館を使うため、研究室を使うためかもしれない。

でも長くそこにいるうちに、価値の中心が「何を使えるか」から「誰と一緒にいるか」へ、静かに移っていくようになるんじゃないのかなあって。

AIが何でも教えてくれるようになって、「大学なんてもういらない」と言われる時代だからこそ逆に、大学がもう一度、まったく違う意味で必要になる未来は、十分にありえるなと思っています。

ーーー

そして、この話を考えていて、僕自身が10年近く運営してきたWasei Salonのような小さなコミュニティについても、少し見え方が変わってきました。

AIがこれだけ何でも教えてくれるようになると、「何かを学ぶために人が集まる」というコミュニティの価値は、これからむしろ弱くなっていくのだと思います。

わからないことはもうAIに直接聞けばいいし、本の要約も、専門家の議論の整理も、アイデア出しなんかも全部AIが出してくれる。

つまり、「情報を得るためにコミュニティへ入る」という合理性は、どんどん薄れていく。

ーーー

でも一方で、「同じ人たちと長い時間を過ごし、お互いが何を考えてきたのかを知っている」という価値は、逆に大きくなるのかもしれません。

今日だけの自分ではなく、半年、一年、何年という時間の中で、「あのとき、こういうことを言っていましたよね」「あの頃とは少し変わりましたね」と、自分の変化まで含めて知っていてくれる人がいること。その思い出までを丁寧に共有できていること。

情報はいくらでも生成できるけれど、その関係の履歴自体は決して生成できないんだろうなあと。

だとすれば、大学もまたもしかしたら今以上に重要な場になるかもしれない。。

そして大学がそんなふうに教えてもらう場所から、資源を共有し、同じ問いを持つ人たちと時間を過ごす場所へ戻っていくのだとしたら、僕らのような小さなコミュニティにも、きっと似たことが起こるのだろうなと感じています。

ーーー

十数年前までのように、道具がフラットではなくなってしまうとき、人はもう一度、「場所」に集まり直すのかもしれません。

そのとき人間は、いったい何を理由に、もう一度集まるようになるのか。

そんなことをこれからも淡々と考えていきながら、そのような新しい時代に合ったオンラインコミュニティを丁寧に耕していきたいなあと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。