1月2日の日中、東京の都心を散歩していると、もう完全に「お正月休みは終了した」印象を受けました。

いや、まだお店自体は開いていないところが多かったけれど、人々の気分がなんというか、もう完全に年明けのソレだったなと。

みんな平常運転に戻り、顔つきがもう完全に仕事ムードというような。

で、今年は、特にお正月休みが短くなった印象があります。

年末も30日のギリギリまで働いているひとが、ほんとうに多かった。暦の影響も大きいと思いつつ、それだけでは説明できない変化も同時に起きている気がします。

具体的には「界隈化」からの「季節行事の軽視」。

この流れは、たぶん想像以上に大きい潮流だなと感じたので、今日の新年1本目のブログの中でもまとめておきたいと思います。

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まず、界隈化というのは、要するに共通の季節行事や共同体の儀式よりも、細分化された興味関心の集まりのほうが生活の中心になる、ということです。

そうなると「正月だから休む」は、いよいよ「みんなの共通ルール」ではなくなる。

そこに、どこまで進むのかもわからないインフレ懸念なんかも重なってくる。

生活コストがドンドン跳ね上がっていき、将来必要になる額も見えづらくなって「稼がねば……!」という風潮が余計に強くなる。

さらに、そんな空気が醸成される場がネット上になり、ネットの交流がメインになってきていることも、すごく大きな影響だなと思います。

リアルの出勤や集まりが止まっても、ネット上の交流は止まらないし、むしろ正月休みのほうがネット上の交流は加速する局面すらあります。

実際、Wasei Salonも、31日〜1日ぐらいにかけてサロン内に投稿してくれるひとが例年にも増して明らかに多かった印象でした。(これはほんとうにありがたいこと)

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また、社会に目を向けてみると、紅白に出ていた歌手だけでなく、審査員でさえも、そのまま自分たちのチャンネルに移行して、カウントダウンライブや生配信をしているという状況です。

もちろん、その配信が終わったからと言って、昔の芸能人のようにそのままハワイに高跳びするわけでもなく、ファンが休みのあいだに一体どれだけリーチを稼ぐかと躍起になり、SNSで発信し続けて、ひたすらに余暇時間=アテンションを奪い合う光景が広がっている。

つまり、正月休みで止まる理由が、社会から消えつつあるのだと思います。

24時間のコンビニを批判しているインフルエンサーが、まさに正月休みも返上して年中無休のようなペースで情報発信をして働いてしまっているのが実情。

ちゃんと休んでいるのは、古い慣習が残っている大企業の社員と公務員だけ、そんなふうにすら思います。

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そもそも、僕らは、他人や世間が律してくれるから、安心して長期間、休むことができたということなのでしょうね。

親の存在や学校の存在を思い出せば、誰もがすぐに理解できる話だと思います。

でも、みんながフリーランスに近くなると、社会から「無責任に休んでいても許される大型連休」が消えていく。

みんなが、自分で自分を律さなければならなくなるわけですから。

ルーティンを崩したくない、その強迫観念なんかもずっとある。だから僕も、正月休みもいつもと変わらない時間帯に、いつもと同じルートを散歩していて、冒頭で見かけたような街の気運を感じとってしまうわけです。

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そして一番ややこしいなと思うのは、「おまえが言うな」という話だけれど、年末年始も関係なくネット発信業をしている人たちは働いていて、そのテンポ自体がリアルにも着実に伝播している点だと思います。

去年の選挙から「ネット選挙」にシフトしたように、経済も去年あたりからネット主軸の「ネット経済」に完全にシフトした、そんな肌感覚があります。

言い方を変えると、これは別に今に始まったことでもない。ネットの世界ではもう10年以上前から一部では当たり前の光景でもありました。

それゆえに僕も、年末年始も欠かさずブログを更新していた時期もあります。

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ネットの世界というのは、休んでも誰も怒らないわけです。

でも同時に、休んだ瞬間に“動いている世界”から自分だけが離脱していく感覚がある。この違和感やモヤモヤ、ズルをしているような感覚が休みを短くしてしまう。

もちろん、どれだけ働いていても誰も怒らない。一人部屋にこもって、ライブ配信していてもいいわけです。なんなら、働いている方が羨望の眼差しを向けられるのが、ネットの特殊性でもある。

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でも、それがリアル、つまり実店舗を運営する人々や、意識高い系じゃない人たちにも波及している。なぜなら、ネットの情報発信者たちが漠然とロールモデルになってしまっているから。

気づけば、なんとなく「じゃあ自分も働いたほうがいいのかな」と思うようになっている。

インフルエンサーや推しているアイドルが働いているなら、私も自分の仕事をする。だって彼らの仕事術や仕事哲学を自分も参考にしているから。

昔のように、画面の向こうのアイドルを遠くから一方的に眺めるだけではない。地続きに存在する推し活文化の、まさに功罪だと思います。

「だったら自分も見習って頑張らなきゃ!」となるのが、みんながインフルエンサーやアイドルの推し活をしている現代の特徴。

しかもそれは「参考にしている自覚」すらないまま生活のテンポとして無意識のうちに浸透してしまう。

そうすれば、お店、特に個人店なんかは、31日も1日も開けて当然だよなと思います。でも、その“当然”が増えるほど、季節行事の密度は薄まっていく。

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ここでさらに厄介なのは「インフルエンサーに影響されている」ということが「仕事している感覚がない」ということでもある点です。

私も、好きなことや遊びが仕事になっているからこそ、お正月休みなんて必要がないと思い込んでしまう。

「それは良いことじゃないか!」とも思うかもしれなけれど、裏を返せば、止めると“損する”以前に、なんだか自分が“止まってしまう”感じがして落ち着かないということでもある。

むしろ、早く仕事に戻りたいとさえ思ってしまう。

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でも昔は、そうじゃなかったわけです。

昭和の映画なんかを観ていると、仕事はどちらかと言えば「おつとめ」の感覚だった。「おつとめ、ご苦労さま」という世界観。

だから休みもしっかりと必要だった。休むこと自体に意義があった。

でも現代で、旦那や奥さんが家に帰ってきて「おつとめ、ご苦労さま」なんて言わないはず。せいぜい「お疲れ様でした」と労うだけ。

仕事は遊び、遊びは仕事、境界が完全に解けてしまっている。それはたしかに良いことだけれど、それゆえに正月休みが消えるというジレンマ。

だから、休み自体がどんどん短くなるのは、社会の圧力だけじゃない。「休んだほうがいい」と言いながら、結局は働いてしまう僕らの問題なわけですよね。

自分の中にも、そんな仕事に対しての依存や執着、中毒症状が間違いなく存在する。

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あと、言わずもがなだけれど、そこには間違いなく「働かざる者食うべからず」というような、ドキッとするような感覚もあるはずなんです。

具体的には、AIの登場でいつ自分自身が社会から不要だと言われるのかもわからない。

だから、求められているうちは、働いて働いて働いて……という方向に気持ちが寄ってしまう。

任期と人気に左右される高市早苗総理みたいな感覚を、現代人なら誰しもが持ち合わせてしまっている、という状態です。

つまり、自分の代わりはいくらでもいる。だったら求められているうちが、花だと。

このタイミングでなんとしてもやり切るんだ…!という強い想いが先に立つ。

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言い換えると、今日の話は、終身雇用のような価値観や「自分の居場所」が弱まった時代の必然でもある。

半身で働くを提唱するインフルエンサーでさえ、半身で働くことができない社会のジレンマがここにある。それが現代のお正月文化なのかもしれないなあと思います。

「休むための正月」ではなく、「社会が休もうとしているなかにおいても、この私だけは休まないということを再確認するための正月」になってしまっているイメージです。

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あと最後にもうひとつ、界隈文化と同じくらい大きな変化は、家族と「家」の崩壊だと思います。

この話は、都会と地方の対比も大きそうだなと感じていたけれど、それ以上に、家族と独身、もっと言えば、子どもの有り無しでもかなり大きな違いがあるんだろうなと思う。

「都会×独身 or DINKS」になった瞬間に、正月に向けるモチベーションが全然変わってしまう。

で、実際、働いているひとたちの中に、女性がとても増えたなと思います。

年末年始の物語を回しているのは、家族という装置だったとしたら、家族が弱まった社会で、つまり家族を持たずに「家」を重視しなくなった人々が増えた世の中で、正月が軽視されるのは、むしろ必然だということなんでしょうね。

実際、独身で挨拶しに行く両家なんかもなければ、ほんとうに三日もあれば十分。むしろ早く働きたい!となって当然だと思います。

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個人的には、もっとみんなちゃんと季節行事を重んじて休んだほうがいいのになと思っています。

だからVoicyは我慢して中断してきましたが、その間もいつも通り、いや、いつも以上にサロン内に投稿していた時点で、僕も同じ穴のムジナなんだろうなとも思いました。

こうやって世の中の風習や文化は静かに、でも着実に変わっていく。

「あたりまえ」や「普通」は、ある日いきなり変わるんじゃなくて、こういう小さな矛盾の積み重ねでズレていく。

お正月自体が、端午の節句やひな祭りぐらいのテンションになるのも、時間の問題なのかもしれない。

10年後ぐらいには、12月31日〜1月2日までの三連休ぐらいが当たり前となっていそうです。

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この仮説は、ちゃんと答え合わせもしてみたいから、今年の年初一発目のブログとして書いておきました。

ただ、まったく真逆の結果となる可能性もあるとは思っていて、AIの登場、そして仕事の自動化によって、生身の人間は昔よりも更に長期休暇をとる可能性だってある。

「大事なことは、自らの感性を耕すことであり、もっと余暇にたくさんの時間を使いましょう!」というふうに。

だとすれば、10年後、人間はゆっくりと2週間程度の長い休みを取っているのか。それとも、誰もが仕事への依存や執着、強迫観念に急き立てられて、3日程度の休みになるのか。

果たして未来は、どちらに転ぶのだろうか。

ただ、いちばんの恐ろしさは、結局どちらに転んだとしても、同じ行く末を目指している、別々のようでいて、完全に表と裏であり、まったく同じ帰結を目指しているようにも思えるところ。

また、10年後ぐらいにこのブログを読み返しながら、答え合わせをしてみたい。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。