最近、養老孟司さんの壁シリーズ最新刊『人生の壁』が発売されました。
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早速、僕も読み終えたのですが、今回も本当に素晴らしい内容でした。
これまでの壁シリーズはすべて読んできましたが、現代社会に対するモヤモヤに対して一番真正面から受け答えをしてくれていたなあと思います。
それゆえに、この本の内容がそのままSNSで公開されてしまったら、きっと炎上する内容もかなり多い。
でも、1冊を通して、語られるから非常に納得感があるなと思います。炎上を恐れずに、書籍という形で大切なことを書いてくれているなあと思うと、本当にありがたいなあと感じます。
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で、その中でも、特に刺さった内容が「中年になるまでにやっておいた方がいいことってありますか?」という質問に対しての、養老孟司さんの答えです。
早速少し本書から引用してみたいと思います。
”「中年になるまでにやっておいた方がいいことってありますか」こんな相談を受けることがありました。これに対する答としては、「家を持つこと」でしょうか。家を建てろということではなくて、家族を持つということです。
「結婚しろというのか」「独り身ですみませんね」と叱られそうですが、別に結婚を強いるつもりはありません。子どもを作れとか、家族を持たなければ半人前だなどと言うつもりもまったくありません。
人それぞれの考え、事情があるでしょう。「家」の真意を少し丁寧に言えば、何らかのコミュニティに所属する、他人とのつながりがある場を持って生きるほうがいい、ということになるでしょうか。何か背負うものを持ったほうがいい、とも言えます。”
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「子どもどころか、家庭も持たないおまえが、それを引用するのか」と思われてしまうかもしれないのですが、でもこれは本当にそう思うんですよね。
僕も、このWasei Salonでは、大きな家族、お互いの顔がギリギリ見える距離感の疑似家族共同体のようなコミュニテイをつくっている感覚は非常に強いです。
なぜなら、そうやって、他人とのつながりがある場を持って生きるほうがいいはずだと感じているから。
実際、その中ではめんどうなことも起きることもあるかとも思っています。(いや、実際には本当にありがたいことに、想像以上に何も起きていないのですが。)
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でも世の中では、この家族やコミュニティから立ちあらわれてくる「面倒くささ」をどうやって避けるのか、ということばかりが世間では語られる。
実際に家族がいる人間であっても、その家族や夫婦同士で「贈与」ではなく「交換」という経済活動を通して、家族間でもコスパやタイパ、公平性や義務感にこだわるのは、ソレを見事にあらわしていると思います。
もちろん、そんな人々が会社をつくってみても、コスパタイパ思考にまっしぐら。
社員になってくれた人との「疑似家族的な共同体」を引き受けるわけではなく「どれだけ労働者として活用できるか」ということばかりに注目して、使い物にならないとわかれば、すぐにプレッシャーをかけて、辞めさせてしまう。
もちろん、働く側においてもそうです。会社を自分の居場所とは考えずに、転職前提のキャリアアップの手段に用いてしまう。
そうやって、お互いに「生産性」だけを重視し、お金のために邁進してしまう、もしくは自己顕示欲のために用いてしまうと、せっかく共同体をつくってみても何も関係性は深まっていかないわけですよね。
共同体をつくったら、本当は一つ一つ共に乗り越えていくことに対して意味があるはずなのに。
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じゃあ、なぜそのようなつながりや関係性が大切なのか。
養老さんも以下のように続けています。引き続き、再度引用してみたいと思います。
要は、自分だけが宙に浮いているような状況は具合が悪いということです。
一人のほうが気楽だ、とにかくしがらみを減らしていきたい、家族なんて負担がないほうがいいしそう思う方もいることでしょう。若い頃は、しょっちゅう年上の人に言われたものです。
「家族がいないからお前らはそんなこと言えるんだ」
いまはこういう言い方もハラスメントになりますから絶対に許されないのでしょう。し
かし、一面の真理をついていたとは思います。現実を理解するには背負うものが必要だということです。もちろん家族を持つのは良いことばかりではありません。むしろ厄介ごとが増えるのは間違いありません。
(中略)
それでもなお家族ーあるいは疑似家族的なコミュニティでも良いですがーのようなものを背負うことには意味があると思います。
それは非常にいい学習の場になるからです。家とは人間および人間社会について学ぶ最
小の単位といってもいいでしょう。
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家族をつくろうしない自分にとっては、とても耳が痛い話。
でも耳が痛いと思うからこそ、疑似家族的なコミュニティを一生懸命つくろうとしている理由でもあるんだろうなあと思います。
そして、この本当の意味での「家族とは、共同体とは」みたいなことに、真剣に向き合っている凪良ゆうさんの小説を、何度もこの場でご紹介をしてしまうほどに、強く惹かれている理由なんかもきっとここにある。
あとは、映画『夜明けのすべて』の中に描かれてあった中小企業のあり方なんかもそうですよね。
真の意味での「家族」や「共同体」、その本質に立ち返り、それをしっかりとつくりだそうとする人たちが、現代にはあまりに少ないように僕には見えます。
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本書の中では「今の若い人たちは、安心安全を求めすぎている」という話も語られてありました。
そこで、セミリタイアのFIREのような話に対しても言及されていた。
ちなみに余談ですが、雑誌「日経トレンディ」の毎年恒例、2024年ヒット商品第1位は「新NISA&『オルカン』投資」 だそうです。確かにオルカンという言葉が、一気に世間に広まったのが今年ですよね。
これほどまでに、安心安全、さらには自己責任論が広がる風潮に対して、養老さんは、そんなことに何の意味があるのかがわかりません、とバッサリと切り捨てます。
80歳を超えても一所懸命働いている私には関係のない話です、と。
「好きなことは、仕事の合間の貴重な時間にやるからこそ楽しみが増すし、深くなる。楽しみを増すため、深みを持たせるためにこそ働いているのではないでしょうか」という意見は、本当にそのとおりだなあ思いながら読みました。
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すべてが自分の思い通りになることが、幸福であると信じられているのが、現代社会です。
そんな「ああすれば、こうなる」の脳化社会に生きているから、僕らはそれを阻むすべての事柄をバグやエラーとして極力遠ざけようとする。
そして、思い通りにいく前提で取り組むから、思い通りにいかないことに対してイライラして、これだけ炎上や分断も繰り返される。
実際には、そうならないのが人生であり、思うようにならないのが現実社会なわけですよね。また、そこにこそ、本当の成熟の種のようなものが存在しているはずなのです。
だとしたら、やっぱり「努力・辛抱・根性」のほうが大切で。
その結果、じゃあ果たして人間はどうなるか。
そんな面倒なことに積極的に巻き込まれてみたところで、結局「骨折り損のくたびれ儲け」になるだけじゃないかと思う人も多いはずですが、
でもそうすることで、本当の意味で人に対して「優しくなれる」と思うんですよね。
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それぞれの異なる事情に対して、配慮や心遣いもできるようになる。つまり、「排除の思想」に陥らなくもなる。
現代のような殺伐とした社会においては、それだけで本当に儲けもんだと僕は思います。
社会のままならなさや、相手のままならなさを、社会や相手のまま、受け入れられるようになる。
その中で、自分ができることに素直に向き合っていこうという姿勢にもつながっていく。本書でも出てきた話ですが、それが「自足の思想」にもつながっていくはずです。
結果として、社会や、他者の理不尽なことに対して、腹を立てたり、怒ったりすることもなくなる。
逆に言うと、その葛藤の先に訪れる「成熟」という状態がそれぞれの中に存在しないことが、近年のいたるところで起きている分断の、根本的な原因になってしまっていると僕は思います。
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本書は今日ご紹介した内容以外においても、本当に目からウロコがたくさん落ちてくるような本となっていました。
現代社会に生きていて「何かがおかしい…」と感じている方には、ぜひとも一度手にとってみて欲しい1冊です。
ともすれば「おじいちゃんの小言」だと思われそうな内容だけれど、でもそういうことをありがたく聞かせてもらう機会が、今の僕らのような世代には本当に足りていないし、大事だなあと思います。
特に中年に入りかけの、30代の方には強くおすすめしたい。
タイムラインにも書きましたが、Wasei Salon内では読書会も開催したいなあと思っています。ご興味がある方はぜひご参加ください。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。