この時期になると、毎年定期的に話題にあがるのが花粉症の話。

いま現在も、花粉症に苦しんでいる方は多いと思います。

とはいえ、これだけ毎年同じタイミングで苦しんでいる人たちがいるにもかかわらず、それでも花粉症はこれからもきっと治らない病気であり続けるだろう、と養老孟司さんは語ります。

それは一体なぜなのか。

ーーー

まずは、以前もご紹介したことのある養老さんの『真っ赤なウソ』という本から少しだけ引用してみたいと思います。

私は花粉症とかアトピーは、基本的に治らないと考えています。なぜ治らないかっていうと、あれでは死にませんな。死なない病気で、しかも軽くて、しかも症状がけっこう大変で、重くなるたびに医者に来てくれる病気です。医者にとっては一番ありがたい病気でありまして、これは医者の味方であります。

それから、患者さんがどんどん死んじゃうSARSとか、そういうふうな病気は医者の敵です。あれはお客さんがどんどん亡くなっちゃいます。うっかりすると自分まで死んじゃう。これは駄目です。だから、徹底的に治そうとするんです。


あまりにも世知辛くて酷い話だよなあと思うかもしれないけれども、医者も患者を定期的に診察することによって収益を得るような職業です。

もちろん、医者だけではなく製薬会社だってそう。

彼らは、そこで定期的にやってくる患者の診察によって得られた対価で、飯を食っていかなければいけないわけです。

決して、悪意をもって人々を苦しめてやろうと思っているわけではなく、これはビジネスの「構造的な問題」なんだと思います。

つまり、花粉症やアトピーは、医者や製薬会社の立場としては非常に都合の良い病気として存在しているから、これからもずっと放置されつづけるだろうということなのでしょうね。

ーーー

だから、これからも花粉症やアトピーは治らないままの病気である可能性は非常に高い。

たとえそれを完治させる予防医療や科学が登場してきたとしても、です。

で、この時に僕が思うのは「じゃあ一体どうすれば、そのような医者や製薬会社に都合の良い病気であっても、彼らが本気で治したくなるのか?」であって、それを考えてみるのは、頭の体操として非常に有益だと思っています。

この点、僕はいま完全に「ハンマーを持つ人には全てが釘に見える」というような状態。なんでも「トークンエコノミー」という「ものさし」をあてがってみたいタイミングです。

このような話もきっとトークンエコノミーを用いると、そこに治すインセンティブが働くのかもしれないなあと思っているわけです。

ーーー

それは具体的には一体どういうことなのか?

スマートニュース創業者・鈴木建さんの『なめらかな社会とその敵』という本の中で提唱されている「ピクシー」という仕組みからずっと言われていることでもあるとは思うのですが、

病院にやってきた患者さんが一刻も早くその病気が良くなり、完全に社会復帰をして、そこで活発に経済活動を行うことによって、その患者さんの経済活動からお医者さんご自身も経済的な見返りが得られればいいよね、と。

つまり、ここで患者さんからトークンを「代価」として医者が受け取って、早く社会に復帰させて、二度と同じ症状で病院には戻ってこないでいていてくれたほうが、お医者さんにとっても都合の良い状態を作り出せばいいと思うのです。

当然、このような理想像には、一方でまた明確な批判なんかも存在していて「そんなことをすれば、今後トークンが伸びそうな優秀な若者ばかりが優遇されるようになって、そうじゃない人間は完全に放置されてしまう」というような批判もあります。

でも、それで言ったら現在においても、満足にお金を持っていない、保険証を持っていない人間は放置されているような現実があるのだとすれば、それはどっちもどっちだと僕は思っています。

ーーーー

それよりも、ここで僕が主張したいのは「そのようにトークンみたいなものを担保にして、継続的なつながりをつくることができるようになれば、ひとは決して他人から搾取をしようとしない」ということなんです。

つまり、同じコミュニティの人間となる。

鴻上尚史さんの様々な書籍の中で言及されている「社会のひと」と「世間のひと」というあの話にも強く関連してくる。

経済というのは、目の前の他人が苦しもうが死のうが、経済合理性という一点において成否が定まるような残酷な世界線であるのも真実です。大事なのは、その結果としてあらわれる数字の方。

人の不幸が飯の種だというひとたちがいるというのも、一方で真実です。

そうなってしまうのは、「お金」という共同幻想をひとつの道具のように見立てて、僕らが「お金の交換」だけによって、社会を成り立たせているから。

たとえば、他にも戦争のための兵器をつくっている人たちだってそうですよね。もしこれが社会のひとと、金銭のやりとりだけでつながらずに、トークンを介してつながっていたら、一体どうなるのか。

そこでうまれたつなぎ目、そのノードのような関係性を頼りにしながら僕らは目の前のひとを継続的に関係性を築こうとするはずなんです。

そして、そこに立ち現れてくる「世間≒コミュニティ」のほうをともに盛り上げようとするはずで。

ーーー

この点「初めから経済的なメリットでつながることは、人間関係を希薄にしてしまうから、それは良くないことなんだ!」と語る人は世の中には多いですが、果たして本当にそうでしょうか。

僕は決してそうは思わない。むしろ、実態はその真逆だと思います。

たとえば、ひとは将来的ないい暮らしを目指して、いい大学を目指し、その未来のために最適な進学校に進むわけですが、そこで出会った親友は「本当の友達」ではないのかと言えば、決してそうではないですよね。

そんなふうに先に将来の「可能性」でつながり、両者の間に偶然的にノードが発生するから、僕らはそれを手がかりにうっかりと関係性を深めることができてしまう。そんな順序のほうが正しい気がします。

まさにこれは、東浩紀さんの「訂正可能性」の話なんかにも繋がりそうな論点。

つまり、経済的な期待としての利己的で打算的な”つながり”がまず先にあって、その中で深める努力をするのが、真の友情だと思うんですよね。

で、その「可能性」やノードの見える化として、いま急浮上しているのが「トークン」だよねと僕は思っています。

ーーー

つまり、相手の幸福感を、自分の幸福感へとシームレスに繋げられるようになることが大事であって、トークンはそのインセンティブを、非常にわかりやすくもたらしてくれる。実現可能としてくれるはずなんです。

自分の友人や家族だけでなく、お互いのトークンを保有し合う者同士が、赤の他人ではなく、「世間の人」になっていく。

昨日も語ったように、共犯者の「範囲」や「射程」が大きく変化していく可能性が、ここに秘められているわけですよね。

ーーー

たとえ、その動機が最初は経済的な利己的なメリットだったとしても「金のつなぎ目が、縁のつなぎ目」であるというのは、まさにそういうことです。

今のNFTコミュニティというのは、そのひとつの小さな現実を提示しているかと思います。

NFTの冬の時代を乗り越えて、それでも今も残っているひとたちは、誰も同じコミュニティに属している人たちから搾取しようと思っていないはず。

お互いに、顔も名前も知らない者同士なのに、です。従来のマーケットは、いかに相手と騙し合うかという世界線だったはずなのに、これって本当にすごいことだと思いませんか。

それよりも、同じNFTを持っている者同士でそのプロジェクト全体の価値のほうを高めていって、みんなでその持ち分に合わせて「分配」をしようとしている。

さらには、そんな持ち分でさえも、持ちすぎた場合には広く他の新規のメンバーに贈与しようとしている。つまり自然発生的に「再分配」の流れも生まれてきているということです。

これは、本当にすごいことだなと思います。

ーーー

このような変化が社会全体で起きてくれば、現代社会におけるいまいましい花粉症やアトピーのような病気でさえも、医者や製薬会社が治そうとするインセンティブが間違いなく働いてくるはずなんですよね。

そのほうが、トークンエコノミー的には経済合理性に適った動きとなりますし、さらにみんなの日常生活の笑顔を観たいという人間的な純粋な喜びという観点からも、二重でインセンティブが働くよなあと。

ーーー

「そのようなことが、今できるようになってきているんだよ!」ってことを、僕はずっとあの手この手をつかって主張し続けているわけです。

他人の「不幸、不満、不足」ありとあらゆる「苦」からの一時的な開放、それこそがお金になるのが当然だと思われている現代なのだけれども、むしろそうではなくて、

他人が健康で文化的な生活をおくればおくるほど、自分にも間接的に、でもハッキリと目に見える形で、見返りがある社会のほうが僕は健全だと思うし、理想的だなとも思います。

お行儀の良い道徳や宗教の世界観のなかだけの話だけでなく、経済においてもハッキリと数字を用いてそれを証明できる世界が訪れる。それがここ10年ぐらいずっと、目の前にやってきているトークンエコノミーの可能性だと思うんです。

にも関わらず、それを怪しいとかポンジスキームだとか、「それは”本当の人間関係”じゃない」とか言いながらずっと遠ざけてしまうのは、本当にもったいないことだと思うんですよね。

まずは可能性でつながること。そして、その可能性をどうやって本物の関係性へと耕していくのか、そこにこそ人間の真の叡智が試されていて、ひとりひとりの敬意と親切心が求められているのだと思います。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。