「働く」というテーマを掲げてオンラインサロンを運営していると、どうしても「働く」ことを無条件に全肯定していると思われがち。

でも、以前もTwitterに投稿したように、「働かない」という選択肢も僕は全く間違っていないと思います。



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思うに、社会的に少数派の意見や考え方にこそ、社会を変える力(価値)があると僕は思っています。

少数派から見えている視点や景色を共有するだけで、多数派にとっては新たな気づきや発見につながっていくから。

世界とは、そんな気づきや発見が起点となって、より多くのひとにとって居心地の良い世界へと変貌していく。

それは人類の長い歴史の中で、少しずつではあるけれど、連綿と続いてきた普遍の真理です。

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また、少数派に属する本人にとっても、勇気を持って自己開示する(本当の私を共有する)ことにより、自己を解放することにもつながっていき、本人にとっても生きやすい世の中になると思います。

なぜなら、他者や社会に対して少しずつ信頼を置けるようになるから。

一方、多少無理をしてでも自己提示する(社会的に求められている私を演じる)のは、どれだけ上手く受け入れられたところで、居辛さは増す一方で、いつかは破綻してしまうことでしょう。

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あとは、その自己開示を受け入れてくれる空間(コミュニティ)が、自分のまわりに存在するかどうかが重要になってきます。

この点、完全にオープンの場だと、どうしても難しくなってしまう…。

その社会的な責任に、今まさに押し潰されそうな状態にあるひとは社会の中には必ず一定数存在していて、その人たちにとって赤の他人の真逆の視点は、やっぱりなかなか受け入れ難いものがあるからです。

また、閉鎖された狭いコミュニティでも同様に難しい。(たとえば家庭や学校、会社や地域コミュニティなど)

ここでは、みんなが少しずつ利害関係を共有していて、その社会(コミュニティ)における社会的な責任をお互いに背負いながら、監視し合う関係性になっているからです。

どちらの場合であっても、「私がこんなに頑張ってちゃんと克服しているのに、お前がそんなふうに楽をするのはおかしい…!」といった間違った発想につながってしまいます。

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よって、安心安全がしっかりと担保された空間の中で、なおかつお互いの利害関係がつながっていない空間、

そんな空間の中で、お互いの異なる視点を共有し合うことが一番理想的なのだと僕は考えます。

そうすれば、そこで繰り広げられる意見が、たとえ自分とは全く異なった価値観であったとしても「あなたはそう考えるのですね、おもしろい!」となるはずだから。

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そんなやりとりを日常的に続けることで、自分が無意識のうちに背負い込んでしまっていた社会的責任の存在にも自然と気づけるようになってきます。

「あれ?本当に私はこの重荷を背負っていなきゃいけないんだっけ…?」と疑問を持てるようになるのです。

そして、最終的にはその重荷を自ら積極的に降ろせるようになる。

もちろん、その時にはもう自分が背負っても背負わなくてもどちらでもいいと思えるようになっているため、他者に対してもソレを背負うことを強制しなくなる。

つまりは、他者に対して優しくなれるのです。

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だからこそ、このWasei Salonでは「これからの働くを考える」というテーマを通じて、そんな無意識下の思い込みから各人が解放されることができるような空間として発展させていきたいと思っています。

オンライン上にある、人里離れたリトリート施設のような役割を担っていくことができたら嬉しいです。

今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考となったら幸いです。