「自分にしかない強みを見つけましょう。」

あまりにも至るところで目にする言葉なので、誰もが一度は「自分だけにしかない強みってなんだろう…?」と考えたことがあるかと思います。

他にも、「誰にも盗まれない武器」などと表現されたりもして、つまりは自分しか持ち合わせていない「強烈な原体験」のことです。

しかし、本当に「自分だけにしかない強み」は必要なのでしょうか…?

そんなことを今日は考えてみたいと思います。

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この点、成功したひとの共通点を探っていくと、「そのひとにしかない強みを持ち合わせていた」それは紛れもない事実なのでしょう。


ただし、「自分にしかない強み」を持っているからといって、必ず成功するとも限りません。

失敗しているひとだってたくさんいます。

成功者の歴史がメインで語られるため、「強烈な原体験」を持っていたとしてもなお、失敗したひとはたくさん存在していて、彼らの生涯には光が当たらなかっただけです。

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思うに、「これが私にしかない強み(原体験)だ。私はこれで絶対に成功しなければならない…!」と願うからこそ、そこに執着が生まれる。

つまり、苦しみや悲しみがそこに生まれてしまうわけですね。


たとえば、家族全員が医者で、自分自身も医者となり社会的に成功するために、幼いころから英才教育を受けてきて、貧困国の医療の現場も目の当たりにするなど、強烈な原体験も持ち合わせていてる学生さんがいるとしましょう。


自分だけの強みを考えれば考えるほど、医者になるしかない、そう思いつつも、なぜだか医学部には全く受からず何浪もして苦しんでいる、そんな学生さんなんかは、この典型例だと言えるでしょう。


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僕個人の考えとしては、「自分だけの強み」や「強烈な原体験」を見つけ出すよりも、

「いつまでも淡々と続けられること」を見つけることのほうが、人生においてはとっても重要だと思います。

言い換えるも、いつまでも楽しみながら面白がって、誰に頼まれたわけでもないのに、ずっと興味関心を持ち続けられること。

たとえそれで対価を得られなかったとしても、試行錯誤や創意工夫をしながら、いつまでも淡々と続けられること。

そして最終的には、人生を終えるタイミングで成功してもしなくても、「あー楽しかった!」と思って死ねるようなこと。

そう思えることを見つけ出すことのほうが、本当の意味で「人生における自分だけの強み」なんじゃないかと思うのです。

つまり、「社会的な成功」を手にするために発見するものではなく、プロセスそれ自体を淡々とおもしろがり、人生そのものを楽しむために発見するものなのだろうなあと。

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でもそうすると、不思議なことに「社会的な成功」にも自然とつながっていくのですよね。

なぜなら、社会的な成功のカギは、その大半が「続けることにかかっているから」です。

損得勘定に流されて実践してきたひとたちは、時間が経つにつれて、ドンドン疲弊し、撤退していく。

今のコロナの情況なんかは、非常にわかりやすいタイミングだと思います。

社会的な成功を求めて飲食業界に身を置いていたひとたちの中には、「こんな状態では、割に合わない!」と憤慨し、撤退しているひとも多数続出していることでしょう。

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それでも淡々と続けて生き残っていられれば、最終的には唯一無二の存在になることができます。

ここに来たときに初めて、「あの人は昔からすごかった!」「あの人は自分にしかない強みを持ち合わせていた!」とまわりから評価されるようになるのでしょう。

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そんなことを、昨日の夜にサロン内で開催された「オーディオブック読書会」を通じて考えました。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。