米津玄師が全曲サブスク解禁した。
あれは中学二年の夏、汗だくになりながら、たちこぎして向かうのは、地元の小さなTSUTAYAだった。新作・旧作アルバムどれでも5枚で1000円で借りたのはやっとレンタル開始した米津玄師のインディーズの1stアルバムdioramaだった。
youtubeでしか聞けなかった米津玄師を自分のウォークマンに入れて、イヤホンで爆音にして夕日を眺めながら近くの土手を歩いたのを今でもはっきりと思い出す。

当時、米津玄師とかいて読める人のほうが少なかったのに、8年後、今やだれもがその読みづらい名前をすらすらと読めるような世界になった。これだからインディーズのアーティストは面白い。

当時は星野源やSHISHAMO、クリープハイプとかもあんまり知られてなかった時代。
わかりやすいポップスではない音楽が好きな仲間は、田舎の学校でさえも数人いて、そんな奴らと情報交換をする時間が本当に好きだった。世界の中で僕たちぐらいしか知らないんじゃないかくらいのテンションでアツく語り合っていたあの時間こそ、本当に満たされていて楽しく、それだけでよかった。それが今、こうしてインターネットの力で距離時間関係なく集まれるようになっていることは本当に素敵なことだ。と思いながら昨日の深夜、仲間にサブスク解禁についてラインしていた。また今度はあの頃の話を酒でも飲みながら話したいねっていったりして。

僕の時代はCDの貸し借りとかではない、互いのウォークマンを貸しあって、お互いにおすすめのアルバムやアーティストをシェアしていた。そんなことをしてたのも中学の頃くらいなのに、パソコンにはある曲数は3000曲以上にもなる。この約3000曲はなにかふとした瞬間に思い出し、聞き返すんだろうなと思う。
僕らがCDの貸し借りをしなくなったように、サブスクやストリーミングといった新たな音楽の楽しみ方はもはや新しくもなんともない、当たり前になってきた。
お金がなく買えなかった、それでも待ちに待っていたdioramaをレンタルし家に帰って広げたときのあの紙の手触りと作りこまれたジャケットに感動したのを今でも覚えている。(dioramaの初回限定盤はプラスチックのジャケットではなく紙のジャケットだった)
そんな手で触れる感動が少しづつ少しづつ失われていくことは悲しいなあと思う反面、プラスチックのジャケットではなく、紙のジャケットだったからこそのあの感動は、今こそ、求められていると思うし、アナログの生みだせる感動の価値は今後どんどんと上がっていくのだろうと思っている。
話しがあっちにいったりこっちに行ったり、けどそんな思い出に浸らせてくれる一枚のアルバムと出会えたことは僕にとって最高の財産であり、アーティストは偉大だなと思う。
僕もいつかそんなものを世に残せたらなんて考えてしまう。

今日のところはこんなところで
ぜひ、もしよければみなさんの青春がよみがえるような思い出の一枚を教えてもらえると嬉しいし、聞きたいです!