最近、ミシェル・フーコーというフランスの哲学者がとても気になっています。

このブログを読んでいる方であれば、彼のことをよく知っているという方も多いのではないでしょうか。

なぜ今、これほどまでにフーコーのことが気になるのか。

彼の思想や発言を、様々な本を通じて少しずつ垣間見る中で、その答えらしきものが見えてきました。

今日は、その理由について少しだけ書き残しておきたいと思います。

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まずは、『フーコー入門』という解説本の中で書かれていたフーコーの「終生の課題」という話の部分から、少し引用してみたいと思います。

ー引用開始ー

あるインタビューでフーコーは知識人としての自分の役割を次のように説明している。

「人々が、自分で考えているよりもはるかに自由なのだと教えること、人々が自明で真理だと信じているいくつかのテーマが、歴史の特定の時点に作り出されたものであり、このみかけの上での自明性は批判し、破壊することができるものだということを示すことです。人々の精神において何かを変えること、それが知識人の役割です」

人々が真理だと信じているものが、実は歴史的な根拠から作り上げられたものにすぎず、普遍的なものでも、絶対的に正しいものでもないということを示すことによって、自明で見慣れたものと考えていたものを覆すこと、これはフーコーの終生の課題であった。

引用元:『フーコー入門』(ちくま新書)

ー引用終了ー

僕がこのWasei Salonという空間を通じて、メンバー同士で対話し合ったり、ブログを日々書き続けていく中で問い続けたいことも、まさにこの「見慣れたもの」を問い直すこと。

僕たちが生きる(働く)うえで、自明で真理だと思い込んでいることの大半は、全くもって自明でも真理でもない。

しかも、非常に厄介なことにその思い込みは、他者から強制されて押しつけられているものではなく、自らの「規範意識」や「規律」によって、自己の内側から生み出してしまっているものなのです。

フーコーは、一見すると一般人には直接関係のないように思える「監獄」や「狂気」、「性」の歴史から、それらを明確に浮き彫りにしつつ、丁寧に紐解きながら、そのことを僕らに教えてくれます。

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ただし、それに気づいた私たちが一体どうすればいいのかを明確に提示てくれるわけではありません。

マルクスのように、「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」とは言ってくれない。

まずは、気づくこと。そして、世界に対する深い洞察力とその視点と切り口を与えてくれるだけです。

でもそのおかげで、世界がこれまでとはガラッと違って見えてきます。

先日まで開催されていたオリンピックも、これまでとは全く異なる趣旨目的で行われている世界大会に思えてくる。

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自分の中に「こうしなければならない」「このルールに従わなければならない」という思い込みが強い人間ほど、フーコーの思想はきっと刺さるはず。

そして、自己の新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれるはず。

既成概念が音を立てながら崩れ落ちようとしている昨今、その大きな瓦礫の下敷きにならないためにも、フーコーの思想はとても役に立つと思います。

気になる方は、ぜひ彼の解説書から読んでみることをオススメします。

僕自身の理解も深まってきたタイミングで、また改めてこのブログにも書いてみたいと思います。

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