最近読み終えた、渋谷パルコを立て直した平松有吾さんが書かれた『渋谷パルコの復活    なぜ危機から再生できたのか?』という本。

https://wasei.salon/books/9784334108946

これがものすごくおもしろかったです。読み終えて、すぐに渋谷パルコまで実際に足を運んでしまいました。

きっと、僕が最後に行ったのは、建て替え当初のコロナ前。その時のイメージのまま止まっていたと思います。

そして、その印象がガラッと変わりました。実際に館内は国内外問わず、お客さんが溢れかえっていて大賑わいで、本当に驚きました。

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もちろん、人が多い、というだけじゃなく、そこにはこの館はまだ魂を売っていないんだな、という感動というか手応えみたいなものもありました。

いまの商業施設って、どこもおなじように便利できれいで、いま売れるものが何か1円単位で熟知もしている。

動線にもストレスがないし、接客も丁寧。買い物としてはとても快適になったのがここ5年ぐらいの大きな変化だと思います。

でも、歩いていて「おっ」と思うことは、正直ほとんどなくなった気がします。特に、最近新しくできた高輪ゲートウェイのニュウマンなどはその典型だなと。

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で、そういう時代に慣れてしまってから、渋谷パルコで感じた「ああ、この館はまだ魂を捨てずにやっている」という手応えは、本当に意外でした。

単なる懐かしさの補正でもないし、建て替え直後の御祝儀的な賑わいでもない。もう少し根の深いところで、何かが違っている気がするんですよね。

渋谷パルコだけが、まだ王道のメディアを、つまり「編集」をやっているんだと思う。

そして、それが復活の原因であり、なおかつ、いま話題のフィルターバブルを超える起爆剤になるんじゃないか。

それが今日の本題になります。

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さて、ここで言う編集は、キレイなキュレーションとかセンスのいい棚づくりとか、そういう話じゃありません。

平松さんが本のなかで書かれていたことで、僕がいちばん強く残ったのは、魅力的な商業施設をつくるために最も大切なのは、テナントのラインナップといった最終的なアウトプットではなく、その前段階にある「基層」を知ることである、というお話。

つまりその場所の特性、お客さんのニーズ、地域の文化や歴史といった背景をしっかりと見極めることだ、と。

そして、「有名ブランドを入れればなんとかなる」という発想をはっきりと退けたうえで、自分たちの仕事はもはや従来のリーシングというより「コンテンツ編集ビジネス」に近くなっている、と書かれていました。

ここが、この本のいちばんの核なんじゃないかと思いながら、僕は唸りながら読んでしまいました。まさに松岡正剛が語るような「編集術」です。

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渋谷パルコだけが、自分たちの仕事をまだ「編集」だと信じている。

しかもその編集は、感性だけで成立しているわけじゃない。たとえば本のなかで、渋谷パルコの低層階にラグジュアリーメゾンを入れると決めた判断の話が出てくるんです。

これは世間では比較的批判として語られがちなお話です。

そして実際には一見、「高級感を出したい」というブランディングの話に見えるけれど、実際はそうじゃなかったんですよね。

低層階にラグジュアリーを入れることで全館の賃料を確保し、同時に、二階にいるコム デ ギャルソンやヨウジヤマモトの「格」を担保する、そんな売場編集の設計を、同時に成立させるためのしたたかな戦略だったんです。

つまり、ビジネスのために編集を曲げるのではなく、編集を成立させるためにビジネスを組み立てている。

この順番が、たぶん他の商業施設と決定的な差なんだと思います。

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もうひとつ、平松さんが若いころ、福岡パルコを立ち上げるときのエピソードがめちゃくちゃよかった。

とある有名な福岡を熟知する方から「大名(福岡のエリア)って、餃子屋と Supreme とヘアサロンが隣り合う、そんなカオスな環境なんだよ」と聞いた話が、編集の大きなヒントになったと言います。

整えるんじゃなくて、その街の雑居感そのものを、福岡パルコで引き受けていく感覚。これはかなり踏み込んだ判断だと思います。

でもこういう意見を大事にするのも、自分たちの強みは編集だと理解しているからだと思いました。

異質なものをただ混ぜているんじゃないんですよね。異質なものが、意味を持って響き合うように配列しようと、常に意識をしているんだということです。

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似たような場所として比較されがちな他社の商業施設と、ここが決定的に違う気がします。

念のため断っておくと、他社がダメだ、という話ではありません。それぞれに合理的な進化をしてきたし、それぞれに良さがある。

ただ、その合理性の向かった先が、編集とは少しずつ別の方向だったと思うのです。

たとえば、JR系のルミネやニュウマンは、生活者の気分を上手にすくい上げる力がある。ただ、その仕組みは構造的に、いまある気分への追認のほうへと向かってしまう。

具体的には、SNSの流行を上手に受け止めて、それを施設内に展開するのは得意でも、まだ名前のついていない気分を世の中に出していく、という意欲までは持ちにくい。

あと、近年よく成功事例として語られがちな小田急のBONUS TRACKは、コミュニティ重視で、「みんなで使い、みんなで育てる」という思想がはっきりしている。

それ自体はすごくいいと思います。ただ、そこでは編集の責任が、意図的に場に分散される。良い場所にはなるけれど、誰かが強く切って見せる断定的な編集は生まれにくい。

マルイはもっとはっきりしていて、推し活とクレジットカードビジネスに振り切ったわけですよね。企業”経営”としては正しい判断だと思う。

でもその視点が前面に出すぎてしうと、商業施設はどうしても「熱狂を育てる場ではなく、SNSの熱狂を刈り取る装置」に近づいてしまう。だから、各推し活の盲目的な信者しか集まらなくなっていく。

どれも現代ビジネスのなかで成果を出す優れた手法です。でも、その合理性が積み重なった結果、商業施設から「編集」が少しずつ抜け落ちていったわけです。

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もう少し踏み込んで言うと、最近の大型商業施設って「SNSの答え合わせの場所」になってしまっている気がするんですよね。

商業施設側も、たぶんそれでいい、それがいいと思っているところがある。

「人が集まれば館も賑わい、売上も立つんだから」と。そういう意味では合理的に回っている。

でもこれって、よく見ると「SNSの流行のための場所を提供して、その手数料をもらっているだけのビジネス」なんじゃないかと思います。SNSのタイムラインが物理空間に降りてきただけ、と言ってもいい。

そこを歩いても、「おっ」とはならないわけです。

だってそれは、自分がすでにスマホで見たものの、答え合わせでしかないから。もしくは自分とはまったく関係がない界隈の具現化であり、自分ごとにはならず、そのまま素通りして分断してしまう。

僕が各所で感じていた「つまらなさ」の正体は、たぶんこれだったんです。

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館が、編集者であることをやめて、ただのインフルエンサーへの場所貸しや、推し活ビジネス、カードビジネスに降りていってしまった。

でも渋谷パルコだけが、その流れに乗らずに、もう一度自分たちは何をする会社だったのかに立ち返ったわけです。

平松さんが本のなかで、「セゾンカルチャー的なものをもう一度やること」「渋谷パルコを再生すること」「今の時代を面白くしていくこと」という三つがすべて等間隔でつながっていた、と書かれていたけれど、この「等間隔」の感覚がとても大きい。

懐古主義でも、単なる再生でもなく、時代への提案まで含めて一つの仕事として引き受けているわけです。

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つまり、誰かに先に言語化されたものを追認させられるのではなく、漠然と感じていたつながりを、場の配列のほうから「見える形にしてくれる」感覚。

これがめちゃくちゃ「メディア」だなあと思うし、編集やってんな、と心から称賛したくなる理由。

そしてたぶん、いま渋谷パルコが賑わっているのは、偶然じゃない気がしています。時代にも完全に合っている。

というのも、SNSによって、いつの間にかアルゴリズムとリコメンドの時代になって、便利さと引き換えに、フィルターバブルの中にドンドンと僕らは閉じ込められていく。

便利なんだけれど、久しく「おっ」と思っていない。

そんな中、「アルゴリズムが予測しきれないもの、ちょっと不便で、ちょっと予想外な出会い」に、少しずつ感度高い人たちから順に戻り始めている。

渋谷パルコの賑わいも、たぶんその大きな流れの一部なんじゃないかと本気で思います。

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アルゴリズムは、すでに好きなものを深めてくれる。コミュニティは、すでに共有されているものを育ててくれる。どちらもありがたいし、必要なものだと思う。

でも、そのどちらにもできないことが一つだけある。

まだ自分でも気づいていなかったつながりを、空間のひろがりとして見せてくれること。

そしてそれは、いくらネットを工夫してもたぶん無理で、誰かが有限な空間のなかで、何を入れて、何を入れず、何と何を隣り合わせにするかに対して、ちゃんと責任を持ってくれている場所にしか、生まれてこない気がします。

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そう考えると、フィルターバブルを超えるのは、「もう一度、リアルの場の編集力」なんじゃないか。

館であれ、本屋であれ、街であれ、小さなギャラリーであれ、「この並びで見せる」と誰かが責任を持って断定してくれている場所に、人々の「おっ」という感動は宿る。

渋谷パルコの復活は、単なる一商業施設の復活の話じゃない。

インターネット以後の時代に、リアルな場の編集がもう一度効果を持ち始めたことの、かなり象徴的な出来事なんじゃないかと僕は真剣に思います。

だからこそ、この本を読んでみて、王道のメディアとしての編集力を、いま現場に見に行ってほしいなと。

興味がある方は、ぜひ実際に本書を手にとってみてください。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。