先日、Wasei Salonの中で宇野千代が書いた『生きて行く私』の読書会が開催されました。

https://wasei.salon/events/f2199176af3e

この読書会の最後、うまく言えなかったことがありました。

その場ではなんとか言葉にしようとしたのだけれど、自分でも少しややこしい話をしてしまったなと思っていて、でも同時に今回いちばん大事だったのはそこだったんだろうなとも思っています。

今日はそのことについて深堀りしながら、改めて丁寧に書いてみたいと思います。

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まず、宇野千代を紹介しておくと、大正から平成にかけて活躍した山口県出身の小説家、随筆家、着物デザイナーです。今年の秋、NHKの朝ドラのモデルにもなる予定の人物。

仕事だけでなく、プライベートでも多種多様な事柄に興味関心を抱き、恋愛も仕事も暮らしも、「あとから正解を選ぶ」ように生きた人ではなかったのだと思います。その時その時、自分にはそうとしか見えない方へと突き進んでしまう。

周りから見ればなんだかとても危ういし、損得で考えればもっと別の選択肢もあったはずなのに、本人はそこをあまり振り返らない。

そういう意味で宇野千代は、いわゆる「恋多き女性」という説明だけでは全然足りない人だなあと。

もっと根本のところで、自分の感覚や嗅覚に対して異様に忠実な人だった。

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そして『生きて行く私』は、そんな宇野千代が、自分の人生を丁寧に振り返って書いた本です。

幼少期のこと、家族のこと、恋愛のこと、仕事のこと、とにかくいろんな出来事が出てくるのですが、ただ年表的に整理されている感じはあまりしない。

むしろ、いまその場で思い出しているみたいな瑞々しさがある。

だからこそ、この本は単なる自伝として読むよりも、「この人はいったいどういう見え方で世界を生きていたんだろう」と思いながら読む方が、ずっとおもしろい気がしました。

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で、宇野千代という人を読んでいると、どうしても処世術の人のように見えてしまう瞬間があります。

なぜなら、彼女は、人の心を動かすのがうまい。言葉のかけ方がうまい。しかも恋愛も仕事も生活も、その才能を用いて、ものすごい勢いで自分の人生を切り開いていく。

その体験をもとに『幸福を知る才能(集英社文庫)』という本なんかも書かれている。

だから、つい僕らはそこから「学べること」を抜き出したくなるんですよね。

「宇野千代はこうやって相手に言葉をかけた。だから人間関係ではこう振る舞うといい。
宇野千代はこうやって世界を動かした。だから自分たちもこう真似すればいい。」

たぶん、そういう読み方はものすごく自然だと思います。

実際、読書会の中でも紹介しましたが、たとえば、

よく嘘をつく相手には「あなたは嘘をつかないから好きよ」と言う。恋人に「あなた薄情ね」なんて絶対に言っちゃいけない。


このような宇野千代の思考法は、どうしてもテクニックや処世術のように見えてしまう。

僕自身も、最初はその見え方を完全には否定できませんでした。

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ただ、読書会でみなさんと対話している最後に、だんだんはっきりしてきたのは、たぶんそこをテクニックとして読んでしまうと、一番大事なものを取り逃がすんじゃないか、ということだったんですよね。

宇野千代は、相手を都合よく変えるための技術として、それをやっていたわけじゃない。

たぶん、彼女には本当にそうとしか見えていなかったんだと思うんです。

たとえば前述した、よく嘘をつく相手に対して、「あなたは嘘つきね」と言うんじゃなくて、「あなたは嘘をつかないから好きよ」と言う。これだけ切り取ると、どうしてもコミュニケーション術っぽく見える。

相手を上手く動かすための高度な言い回しみたいに見えてしまう。

けれど、たぶん宇野千代の場合はそうじゃない。そう言った方が得だから言っているのではなく、彼女には本当に世界がそのように観えていたんだと思うんです。

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つまり、「どうすれば相手を変えられるか」が先にあるんじゃなくて、「私には世界がこうとしか見えない」のほうが先にある。

そして、その見え方を持ち続けた結果として、結果的に世界の方が、少しずつそちらに引っ張られていく。

ここが処世術とそっくりなのに、たぶん真逆の点なんですよね。

処世術は外側を操作するハック的な発想だけれど、宇野千代の場合、先に本人の側に強すぎる見え方がまずある。

まわりからすると、それがテクニックに見えるのは、その見え方の強さが結果として人や世界を動かしてしまうからなんだと思います。

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これって、少し前によく言われていたスティーブ・ジョブズの話にも少し似ているなと思います。

「ジョブズは現実歪曲フィールドを持っている」みたいなことがよく語られていました。

でも、あの話の本質も、交渉術を覚えることではなく、ジョブズには本当にそうとしか見えなかった、というところにあったはずです。

技術的にどう実現するかは知らないが、iPhoneの背面の回線は、もっと美しくできる、そうでなければならないと信じていた。そして、それを主張し続けて、実際に現実化してしまうわけですよね。

読書会の最後に僕が言いたかったのは、宇野千代にもたぶん同じ構造がある、ということでした。

しかも厄介なことに、そういうものは本人にとってはあまり特別ではない。

むしろ「え、普通のことでしょ」と思っていることの方が多い。だって自分には最初からそう観えてしまっているんだから。

でも、周りから見ると、それが少し狂気じみて見えたりする。

たぶん、その中にこそ、その人に与えられたギフトがあるんだと思います。

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一旦ここまでの話をまとめてみると、いろんな人に通用する正解を覚えること。失敗しないコミュニケーションを身につけること。それももちろん、仕事や生きるうえでは大事かもしれない。

でも自分には、どうしてもそうとしか見えない。どうしてもこれを信じてしまう。どうしてもここに賭けてしまう。

そういうものを持っていることの方が、実は、たぶんずっと大事なんですよね。

そして、それをどう表現し、どう伝えていくかの方が処世術を磨くことよりも、結果として世界さえ動かしてしまうことがある。

読書会の最後に僕が話したかったのは、たぶんそういうことだったんだと、今振り返ってみて強く思います。

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で、さらに面白かったのは、読書会の後半で、この話がそのまま自分たちの話にも返ってきたことです。

参加者のみなさんは、一様に宇野千代に惹かれていました。それは僕も例外ではありません。

彼女の推進力や、自分の欲望に対する正直さ、人生を切り開いていく感じに、たしかに強く惹かれるものがある。

でも同時に、「とはいえ、自分はああはなれない」ともみなさんが感じていたのも事実。

そこから、「そのなれなさ加減みたいなものは、一体何なんだろう」という問いが出てきたんですよね。

ここが、今回の読書会でもうひとつおもしろかったところでした。

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羨ましいとは思う。あのエネルギーには惹かれる。でも、近くにいたら大変そうでもあるし、自分があのまま生きるのは、しんどい気もする。

つまり、ただ称賛していたわけじゃなくて、惹かれながら、同時に距離も取っていた。

この揺れみたいなものが直感的に、すごく大事だなと思ったんです。

で、そこには大きくわけて、2つのベクトルがあると僕は思いました。

ひとつは、本当は自分の中にも同じ熱量があるのに、いろんな事情でその溢れ出てくるエネルギーに蓋をしているのか。

もうひとつは、そもそもそこまでの熱源が自分にはないのか。その井戸自体が枯れているという場合です。

この問いって、宇野千代をどう評価するかと同じぐらい、ずっと切実だと思うんです。

働くことでも、つくることでも、生きることでも、たぶん本当に大事なのは、そこなんだろうと思います。

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たとえば、これは、ジブリの鈴木敏夫さんと宮﨑駿さんの関係にも少し似たところがある気がします。

鈴木敏夫さんは、自分も絵がうまいと思っていたけれど、宮﨑駿さんに出会った瞬間、自分の絵のうまさなんてまったく話にならないと悟った、という話を以前ご自身のラジオの中でされていたと記憶しています。

で、ここで大事なのは、じゃあ宮﨑駿さんのやり方を真似しよう、となったわけではないということだと思うんです。

むしろ逆で、自分には宮﨑駿さんのようには見えないし、描けない、ということを痛感した。その圧倒的な才能に触れたからこそ、逆に自分がどこに立つ人間なのかを引き受けていくことになった。良い意味で分際をわきまえた。それが、プロデューサー業だったということですよね。

つまり、圧倒的な誰かに出会うというのは、相手の処世術を学ぶことではなくて、その人には本当にそうとしか見えない世界があるのだと知ることなんだと思います。

そして同時に、自分には自分の見え方しかないのだということも知る。そして、その気づき、良い意味で分際をわきまえる行為自体が、自分のギフトの発見にもつながっていく。

相手にはない自分の才能が相対的に浮き彫りになるわけですからね。でこぼこみたいな関係性。でこがあれば、ぼこが自然と見えてくるし、その逆もまた然りです。

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宇野千代を読むことも、少しそれに似ていた気がするんですよね。

宇野千代みたいになれ、という話ではもちろんありません。むしろ多くの人にとって、あのまま真似することはできないし、する必要もない。

でも、宇野千代のようなパワフルな人間の本を読むと、自分の中にあるはずの、まだ言葉になっていない確信のことを考えざるを得なくなる。

「私には、これがこうとしか見えない。私は、これを信じてしまう。では、その中身とはいったい何なのか。」

たぶん宇野千代という女性は、そのようなタイプの問いを僕らに投げ返してくる人なんだと思います。

そしてその問いは、古びた問いなんかではなく、これからどう働き、どう生きるのかを考えるうえでも、かなり切実な問いなんじゃないかと思いました。

AIが出てきてしまった以上、圧倒的な存在が、今世の中に生まれたからこそ、です。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。