ディズニーランド値上げのニュースを見て、本当に驚くほど高くなったなあと思いました。
この秋には、大人の1デーパスポートが12,400円になる日もあるそうです。自分が頻繁にディズニーに通っていた10代のころと比べると、ほぼ倍の値段です。
これを「ディズニーオタクのひとたちは大変だな……」と、対岸の火事のように眺めていると、きっと足元をすくわれるはずで。
ディズニーは、どれだけ値上げしても簡単には離れない根強いファンがいるからこそ、ほかの業界に先駆けて、イノベーターのように値上げできているだけなのだと思います。
ここで起きていることは、いずれその他の旅行やホテル、ライブ、外食など、あらゆる分野に波及していく。iPhoneも、次期モデルでの大幅な値上げが既に噂となっています。
そう考えると、ある意味で今年が「ラストサマー」なんじゃなかろうかと思ってしまいます。
ただ、よくよく考えてみると、本当に怖いのはチケットの値段そのものではなく、ディズニーランドの価格が倍になるとき、僕らの世代の給料も倍になるのか。
値段が上がっていく速度に、こちらの所得がついていけるのかどうか。
今日はこのあたりの話を僕なりの視点から、少し遠回りしながら考えてみたいと思います。
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「昔のディズニーは、今に比べると驚くほど安かったのになあ…」と、ふと頭をよぎった瞬間、思い出したのが、子どものころのおばあちゃんの姿でした。
おばあちゃんは、何を見ても「高い、高い」と言っていた。外食をしても高い。服を買おうとしても高い。
子どもの自分には比較対象がないから、「いったい、何と比べて高いんだろう…?」と、いつも不思議に思っていました。
当時は、おばあちゃんの価格感覚が古くなってしまったのだと理解していたんですよね。時代についていけず、昔の値段に固執しているようにも見えました。
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ところが、いま自分が、ディズニーランドやApple製品の値段を見て、まったく同じことを言い始めている。
ここで初めて、おばあちゃんの感覚が自分の身体感覚、その実感として入ってきます。そう考えると、価格というのは、頭ではなく身体に記憶されるものなのだろうなあと。
若いころに覚えた値段は、知識ではなく「物差し」として身体に残る。
何円、何十円が当たり前の青春時代を生きてきたおばあちゃんたちは、その後、何百円、何千円、何万円が当たり前の世界に入っていく。
だから、頭では「物価が上がったのだから仕方ない」と理解はできても、身体は昔の物差しのまま、現在の値段を見るたびに「高い」と感じてしまう。
彼女たちは「変化に適応できなかったひとたち」ではなく、人生の途中で、お金の物差しそのものを何度も書き換えられたひとたちだった。今なら、素直にそう思えます。
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ただ、ここでひとつ、大きな謎が残ります。
あれほど何でも「高い、高い」と言っていたおばあちゃんたちが、なぜか亡くなるころには、数千万円の貯金とか、家と土地まで含めれば数億円とかの資産を持っていたりする。
もちろん、すべてのおばあちゃんが裕福だったわけではない。
ただ、生活ぶりからは想像もつかない金額をひっそりと残した「ケチなおばあちゃん」が、この国に大量発生したのは事実だと思うのです。
あれほど使わなかったひとの手元に、なぜ使い切れないほどのお金が残ったのか。
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この点、よく語られるように、当時は「使わなかったお金」を郵便局に預けておくだけで、定額貯金に年5%〜6%、時期によっては8%近い金利がついたわけです。
もちろん、当時は物価上昇も激しかったため、その8%がそのまま実質的な利益だったわけではありません。
それでも、いまならリスク資産に期待するような数字が、当時は郵便局の定額貯金についていた。
当時の人たちにとって、もっとも身近な「投資商品」は、ほかならぬ「貯金」だったのです。
さらに、貯まったお金を頭金にして家や土地を買えば、その後は給料も地価も上がっていく。
つまり、我慢して貯める → 郵便局で投資商品のように増える → 頭金になる → 家と土地を買う → 給料と地価が上がる → 資産が残る。
ケチなおばあちゃんたちの背後では、こんな巨大な資産形成装置が実質的にまわっていたわけです。
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そう考えると、見え方が少しずつひっくり返ってくると思います。
僕らはずっと、おばあちゃんたちを「投資を知らないひとたち」だと思ってきました。
株も買わないし、投資信託も知らないし、ポートフォリオなんて言葉は一度も聞いたこともない。
でも、おばあちゃんたちは本当に、何にも投資していなかったのか。決して、そうじゃないということですよね。
トヨタやソニーといった個別株を選ばなかった代わりに、国と会社と土地と制度がまとめてグングン伸びていく「戦後日本」という巨大なパッケージ商品を、人生まるごとで、何十年も積み立てていた。まさに長期・積立・分散の三拍子。
現代の金融教育は「リスクを取らなければリターンは得られない」と教えます。いまの環境では、それはかなり正しい。
ただ、おばあちゃんたちも「何のリスクも取っていなかった」わけではないんですよね。
日々の値動きに一喜一憂するリスクを取らない代わりに、この国が成長し続けること、時間をかければお金が淡々と増えること、土地と雇用と制度が続いていくことに、結果的に静かに賭けていたことになる。
「リスクを取らない」という選択が、あの時代においては「いちばん正しいリスクの取り方だった」というその逆説です。ウォーレン・バフェットもビックリです。
金融リテラシーとは、難しい複雑な商品をたくさん知っていることではなく、自分が取ってはいけないリスクを知っていることなのかもしれません。
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さて、ここからが今日の本題でもあります。
じゃあ僕らも、おばあちゃんと同じように節約をして「貯金」していれば、同じように資産を残せるのか。
おそらく、そうはならないはずです。
おばあちゃん世代が経験したインフレは、物価と一緒に、給料も、預金金利も、地価もドンドン上がっていくタイプのインフレでした。
いま僕らが恐れているのは、そのどれとも違います。物価だけが先に走って、給料が置いていかれるタイプのインフレです。
給料が2%上がっても、物価が5%上がれば、買えるものは実質的に減っている。
大事なのは給料の数字が増えたかどうかではなく、その給料で以前と同じ暮らしができるかどうか。
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しかも、ここにもうひとつ、厄介な事情が重なっていると思っていて。
僕らは、物差しを「書き換えられた」経験すらない世代なのです。
おばあちゃんたちは、人生の中で何度も物差しを書き換えさせられてきました。一方の僕らは、失われた30年、物価がほとんど動かない「安いニッポン」の中で育ってきた。
牛丼の値段も、ユニクロの値段も、緩やかにしか動かずに、物差しが動かないことのほうが当たり前だった。
言ってみれば僕らは、「物差しは動かないもの」という前提そのものを身体に刻んでしまった、完全なるデフレネイティブ世代なのだと思います。
だからこそ、いまの値上げがこんなにも暴力的に感じられるし、頭ではわかっていても、身体がまったく追いつかない。
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そして、この時代の違いは、「節約」の意味までも変えてしまいます。
かつて節約とは、消費を未来へ移すことでした。
今日の旅行を我慢すれば、残ったお金は金利で増え、給料も上がって、将来もっと大きなものが買えた。今日使わないことで、明日の選択肢が純粋に増えた。
でも、物価が給料より速く上がる世界では、この先送りが必ずしも報われるわけではないわけですよね。
今年は行けた旅行が、来年には高すぎて行けないかもしれないし、今年は買えたスマホが、次の買い替えでは手が届かないものになっている。節約している間に、目当てのものの値段のほうがドンドン遠くへ逃げていく。
節約とは、未来へ回す行為だったはずなのに、これからは、未来へ回した瞬間に、その未来のほうが値上がりして、逃げていくかもしれない。
冒頭に書いた「今年がラストサマーなんじゃなかろうか」という言葉の正体は、ここにあります。今と同じ感覚で、今と同じものに手が届く、最後の夏かもしれないということ。
(もちろん、だから今すぐ全部使ってしまえ、という話ではまったくないです。念のため。)
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過去に何度もご紹介してきましたが、仏教に「指月の喩え」という言葉があります。
月を指す指ばかりを見て、肝心の月を見ない、という戒めです。
僕らはずっと、おばあちゃん世代が差し出していた「指」ばかりを見てきたのだと思います。
その指を見て、「考え方が古い」「投資リテラシーが低い」「現金だけではインフレに負ける」と批判してきた。
たしかに、その指はもう完全に古い。年8%の郵便貯金なんて絶対に存在しないし、地方の土地も必ず上がるわけではないし、給料も自動的には上がっていかない。
おばあちゃんの指を、そのまま真似してもまったく意味がありません。
でも、彼女たちが指さしていた「月」のほうは、案外正しかったんじゃないか。
わからないものに、大切なお金を預けないこと。一度の失敗で、生活が壊れるような賭けをしないこと。
今日一番主張したいポイントはまさにここです。
指は時代によって変わります。でも、月まで変わるとは限らない。
僕らが継ぐべきなのは、郵便貯金という「商品」ではなく、何を守り、どのリスクだけを引き受けるのかを自分自身で決める、その「態度」のほうなのだろうなと。今のように誰を信じれば良いのかわからないような時代にはなおさらのこと、です。
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なんにせよ、歴史というのは本当におもしろいなあと思います。
知識として知っていたことが、自分が当事者になった瞬間に、まったく違う意味を持ち始める。
歴史は学ぶものであると同時に、ある日突然、自分の身体で理解させられるものでもあるということを、今回のディズニーランドの値上げのような些細なニュースで強く思い知らされる。
繰り返しますが、僕らが継ぐべきなのは、その指ではなく、月のほうです。
ただし歴史は、僕らに同じ「高い、高い」という言葉を繰り返させながらも、同じ結末までは保証してくれない。
じゃあ、いまの時代における「郵便貯金」とは、いったい何なのか。何が本当の意味での「月」なのか。たぶんそれは「お金」だけじゃないことは確実だろうなあと思います。
このラストサマー(かもしれない夏)は、そんな問いを考えながら過ごしてみたいなと思う次第です。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2026/07/14 15:10
「高い、高い」と言っていたおばあちゃんは、なぜお金持ちだったのか。
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