今日、ふと気がついたら、ポッドキャスト番組「共存人類学研究会」が始まっていてビックリしました。
早速聴かせてもらったのですが、本当に素晴らしい番組でした!
番組内で、ほしまどさんが仰っていた「インタラクションよりもトランザクション」の話が非常に強く印象に残っています。
これは、同じく編集者・若林恵さんが対談相手となっている宇野重規さんの『実験の民主主義』のほうでも語られていた話なんですよね。
で、まさにこれって「トークン」のことだなと、膝を打ったんです。ほしまどさんの一言で一瞬にして、点と点が線でつながった感じ。
そう考えいくと、今起きているのは「インタラクションからトランザクションを優先する流れ」そのものなのではないかと。
言い換えると「対話」も大切なんだけど、それ以上にまずは「やり取り」が大事だという話であり、ここに大きなヒントや突破口のようなものがある。
そう無意識的に感じるからこそ、これだけ多くのひとたちがいま熱狂しているんじゃないかと思ったわけです。
じゃあ、その無意識の部分とは一体何か。今日はそんな話について書いてみたいと思います。
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ではさっそく、「インタラクションからトランザクションへ」の話に関して言及している部分を『実験の民主主義』から引用してみたいと思います。
それぞれの価値観の似た者同士のフィルターバブルの中から社会を見通そうとすると、まわりは「敵」だらけに見えてしまう、そんなジレンマがあるという若林さんの問題提起に対して、宇野重規さんは以下のように答えていました。
周りがみんな敵に見えてしまえば、相互を否定する殲滅戦しか起きませんから、これは民主主義にとっては非常に都合が悪い。だから、「対話」が重要だと盛んに叫ばれることにもなるわけですが、フィルターバブル化がますます加速している状況のなか、本当に「対話」や「熟議」が有効なのか、疑問ですね。
先日、人類学者の 川喜田二郎(一九二〇-二〇〇九) の本を読んでいたら、このことに関して面白い指摘がありました。対話という言葉は基本的によろしくないと川喜田は語っています。対話じゃなく「やり取り」なんだと彼は言うのです。
(中略)
やり取りは、一緒にひと仕事する感覚ですよね。みんなで何かをやり、とくに具体的なものを相互に扱い、その過程で少しでも自分なりの貢献ができたらいいという感覚です。何かを運んだり、ちょっとした作業で補ったりする。「参加」ということで言えば、対話よりやり取りのほうがはるかにリアリティがありますね。 ──ファンダムやゲーム空間のなかで起きている「交換」というのは、まさに小さな無数の「やり取り」なんですね。英語で言うと「トランザクションtransaction」の語がふさわしいと思いますが、これは必ずしも金銭的なやり取りのことだけを指しているわけではありません。
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たとえば、FiNANCiEのトークンはまさにこのトランザクションそのもの。
そして、やり取りしているひとたち同士は、交換をした相手の思想信条のことなんてまったく知らないわけです。顔と本名さえわからないのだから、それも当然のこと。
未だに家父長制が大事だと思っている人もいれば、極端なフェミニストの方もいることでしょう。
もしここで、そのような思想が先立ち、思想によってつながろうとした場合においては、対話は成立せず、これだけの熱狂は生まれていない。
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一方で、対話を行うためには相手の思想信条など社会的に置かれている立場が曖昧なまま話を進めるのは、かなり危険です。
思わぬ地雷を踏む可能性があるわけですからね。
目の前の相手が、何か自分が予期していなかったマイノリティでもある可能性も高いわけです。
というか基本的に、現代のマイノリティのうめきや嘆きみたいなものは、その無自覚に足を踏まれていることに対しての「いたたまれなさ」みたいなものなわけです。
だからこそ、それをお互いに理解し合うために「無視」や「議論」ではなくて、丁寧に対話をして相手の立場に立ちましょうよ、という潮流なのだと思います。
それができて始めて「対話」という空間が、成立するということでもある。
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ただ、やっぱりそれってかなり集中力のようなものが求められるんですよね。
その集中力のもっともっと手前に「やり取り」があるんじゃないか。言うなれば、挨拶や声がけのようなもの。
そして、FiNANCiEのトークンやWasei Salonのポイントの場合、挨拶以上の何かを簡単に、そこで贈り合えるわけです。
あえてこんな表現をしますが、トークンはトランザクションとしてのコスパが非常に良い。
自分がトークンをやり取りしている者同士が、もしかしたらゴリゴリの右翼とかゴリゴリの左翼かもしれなくて、自分と思想信条自体が、完全に相容れない相手かもしれない。
でも、まずはそこでつながってしまったからには、そこで多少相手と対立しても「まあまあ、お互いなかとって」という話にもなるわけです。
なぜなら、良くも悪くもお互いが同じコミュニティのステークホルダーだから。一緒にひとつのコミュニティを盛り上げていこう!という仲間意識のほうが、先立つことになるからです。
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で、これは何度も繰り返しお伝えしたいことなのですが、FiNANCiEのすごいところは、FiNANCiEのユーザー間でトークンの贈り合いをする際に一切手数料がかからないのは、本当に革新的な部分だと思います。
FiNANCiEがつくりたいと望んでいる世界観や、その背後にある思想がこの設定ひとつで見事に伝わってくる、そんな部分でもあります。
まさに、インタラクションよりもトランザクションを優先しようという、その実験の場でもある証だとも言えそうですよね。
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で、この点、Web2において「インタラクション(双方向性のコミュニケーション)」が可能となることが革新的でした。
その結果として、場所や属性など一切関係なく双方向のコミュニケーションができるところに大きな希望が見出されていました。
そのような理想像のようなものが、2000年代後半においては広く語られた。端的に言うと、世界がフラットになると思われていたわけですよね。
でも、実際にフタを開けてみると、ことごとくそれらはユートピア思想のように失敗に終わったわけです。
もちろん昔よりも着実に進んだ面もあるけれど(マイノリティが声をあげられるようになったことなど)一方で、それゆえの対立や課題も浮き彫りにもなりました。
これは、対話を行える空間をネット上での設計というのは本当にむずかしいということが明確になっただけとも言えそうです。対話空間は、ものすごく慎重かつ丁寧につくる必要がある。
ヤフコメのようなオープンの場ではもってのほかですし、誰でもお金さえ払えば自由に参加できますよ、というクローズドの場所でも対話を生み出すことはむずかしい。
オンボーディングをかなり丁寧に設計して、日々自分たちの価値観を提示し続けて、それでも対話ができる空間は、Wasei Salonぐらいの規模感がマックスだなあと思っています。
今Wasei Salonは100名程度の規模感であって、対話空間としてある程度機能している自負はありますが、これ以上大きくしたときに今のあり方がうまくいくとは思えない。ゆえに、現状は拡大路線は取ってはいません。
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とはいえ、次の時代の突破口が必ず必要であり、それがトランザクションであり、まさに「やり取り」なのではないか。
そして今、そのトランザクションを行うための最適なツールとして「トークン」が登場していて、それがコミュニティへの参加権のように用いられはじめている、ということなのでしょう。
トークンは最初は無価値だったものだから、頻繁にやり取りされることによって、そこに明確な価値が芽生え、それをラフに他者とやり取りもすることができる。
その先には当然、対話を超えた「何か」が生まれてくる。
いや、というかそのトークンのやり取りの履歴、既に存在するその履歴の関係性みたいなものを担保にして、実は僕らは対話を始めているのではないか、とも言えそうなんですよね。
つまり、トランザクションや「やり取り」というのは、相手を「社会の無関係な他者」から「世間のひと」に見事に変えてくれるわけです。
田舎では、中学生でも道端で知らない人に挨拶してくれるのと同じようにです。
このあたりはなかなか表現がむずかしいのだけれど、あの有名なハイネケンのCM、思想信条が真反対の人々が集められて、何か共同作業をしたうえで、お互いの思想信条を打ち明けられると、自然と笑顔でビールを飲みながら対話できてしまう、というあのCMみたいな情景を思い出してみてもらえると少しはわかりやすいかと思います。
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最後に、擬似的なポイントやトークンのやり取りというのは、返ってくるだけでは何も増減もしていないのに、一体それに何の意味があるの?という批判があることは重々承知なんだけれども、その認識はきっと間違っているのだと思う。
そこにトランザクションが頻繁に発生しているからこそ、少しずつお互いの間に橋みたいなものが掛けられていって、そこにコミュニティを形成することができる礎みたいなものが完成する、本来はきっとこの順序なんです。
そして、お互いに同じコミュニティの「ステークホルダー」であるという一定の好意を持ち合いながら、関わり合うことで何かを建設的につくっていこう、コミュニティの価値を高めていこうとする動きそのものが生まれてくるのだと思います。
ここに、Web2を超えた次の時代の可能性が眠っていると僕は思います。
そういう意味でも、トークンエコノミーやコミュニティマーケティングの可能性は計り知れないものがあるなあと感じている次第です。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。