この前、出張先のドーミーインの大浴場の更衣室で、外国人向けの動画がずっとループで流れていました。

温泉の入り方を海外の方に説明するための動画です。内容だけ見れば、ごく一般的なマナー説明動画でした。

でも、僕が思わず立ち止まったのは、その内容ではなく、「温泉道」というタイトルのほう。それを見た瞬間、なんだか妙に腑に落ちてしまったんです。

ああ、そうか、と。

日本人にとってのマナーとか気遣いとかの作法って、やっぱり単なるルールではないんだな、どこかでそれは「道」として理解されているんだなと。

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でも同時に、よくよく考えたら、これはかなり変なことでもあります。

温泉の入り方を説明するだけなら、「温泉マナー」でも「入浴ルール」でもよかったはず。にもかかわらず、わざわざ「道」にしてしまう。

しかも、その言い方に対して日本人はあまり違和感を持たない。(だから動画が流れている)

そこが、いちばん興味深いポイントでもあり、いちばん不思議なポイントでもある。

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つまり僕が引っかかったのは、温泉の入り方そのもの以上に、それを「道」として名づけてしまう感覚のほうだったんだと思います。

たぶん外国人にとって本当に不思議なものも、日本独自の温泉の入り方のルールそのものではないはずです。

もっと理解しづらいのは、そういう一連のふるまい全体を、わざわざ「道」として把握してしまう日本人の感性そのものなのではないかと思います。

でも、その外国人の「理解不能さ」が理解不能なのが、また日本人なんだろうな、と感じます。

この無限ループみたいな感じが、すごくおもしろかった。

今日はそんな気付きから考えたことを書いてみようと思います。

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この点、日本では昔から、生活技術や身体技法がすぐに「道」になってきました。

花を生けることも、お茶を点てることも、字を書くことも、戦うことも、全部「道」になる。単なる手順やスキルや趣味として処理されないわけです。

そこにはいつも、少し過剰なくらいの精神性が乗っかります。

うまくやることだけではない。効率よくできることだけでもない。その営みを通じて、自己を整えること。

「型」を反復することで、身のこなしを整え、呼吸を整え、欲を整え、その場にふさわしい自己へと修練していくこと。

たぶん日本人は、「道」とわざわざ明言されていない場面でも、こういう感覚をかなり自然に受け入れて生活していると思います。

逆に言えば、だからこそ日本人は、何でもかんでも「道」にしたがる。

だから「温泉道」という言い方も自然と生まれてくるし、単なるキャッチコピーでは終わらないのだと思います。

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つまり、温泉の入り方は、日本人にとっては単なる利用規約の理解ではなく、その場にふさわしいふるまいを身につけること。

ここで大事なのは、日本ではマナーがまず「法」としてあるのではなく、「作法」としてある、ということだと思います。

もちろん、共同浴場にはルールが必要です。他人に迷惑をかけないための決まりはありますし、最低限の秩序も必要。

でも日本の場合、そのルールは外から罰則で押しつけるものというよりも、自分の内側にしみ込ませるべき「型」として存在している感じが非常に強い。

言い換えるなら、守らないと怒られるから守る、ではない。そう振る舞うのが、その場にいる者としてふさわしいからそうする。

あるいは、そういう身体になっていること自体が、その場への敬意として感じられているということです。守らないと、自分自身が気持ち悪いもの。

たぶん日本人は、「正しい行動をする」というよりも、「場を壊さない自己をつくる」ことのほうに、かなり強い関心や比重があるのだと思います。

ここが、かなり独特な点だなと。

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先に個人がいて、その個人同士がルールで調整する、という感覚が比較的強い欧米風の社会もあると思います。

でも日本の場合、たぶん先に「場」がある。

そしてその場に入るとき、まず自我を少し引いて、その場に合う輪郭へと自分を整えていく。

その「型」にはまることに、ある種の心地よささえ感じているのかもしれません。

無理して合わせているというより、それこそがいちばん自然な状態だと、どこかで感じている。

だから礼儀もマナーも、気遣いも、単なる他者配慮では終わらないんです。

それは「こうするとみんなが快適です」という話である以上に、「こういうふうに自分を置ける人でありたい」という話になっていく。

そして、その状態こそ、つまり「型」に合わせることが、自分にとってもどこか整っている感じとして受け取られている。

だからこそ「温泉」という一番リラックスしたい状態の場でもそれを求めるし、道にしてしまう。いちばん自分にとって「気持ちの良い瞬間」がまさにその状態だから、です。

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ここが、日本文化のおもしろさであり、同時に少し怖いところでもあります。

なぜ、怖いのか。

ふるまいが単なる行為ではなく、すぐに人格の表現として読まれてしまうからです。

マナー違反は、ただの手順ミスでは済まなくなります。

「知らなかったんだね」で終わることももちろんありますが、往々にして「場への感受性がない人なんだね」と読まれてしまう。

だから日本の作法文化には、美しさもありますが、同時に息苦しさもあると言われてしまうわけです。

でも、だからといって、それを単純に同調圧力だと切って捨てる気にもなれない。

なぜなら、そこには確かに、長い時間をかけて育まれてきた「共同空間をどう守るか」の知恵や叡智も含まれているからです。

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温泉で騒がないこと。湯船に入る前に体を洗うこと。

そうやって、他人が気持ちよく過ごせるように、自分の身体の置き方を少しだけ調整するように型を自らに染み込ませる。

そういう小さな身の処し方の中に、日本人はただの利害調整以上のものを見てきたのだと思います。

そこには、「一緒にいる」ということに対する、かなり繊細な感受性があるわけです。

つまりここまでの話を一旦まとめてみると、「道」というのは、単なる精神論ではない。

共同体の中で自分をどう置くかという、かなり身体的で、非常に具体的な技法でもあるのだと思います。

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そして今回、このブログを書こうと思って調べていて、もうひとつめちゃくちゃおもしろいなと思ったのは、ドーミーインがこの「温泉道」の動画をライセンスフリーで配布していることでした。


こちらもかなり象徴的です。

本来なら、自社コンテンツとして囲い込んでもおかしくない。というか、わざわざ他施設にライセンスフリーで提供する必要なんて全くないはずです。

でも、それを提供したくなる。(頼まれてもいないのに)

「うちの施設ではこうしてください」というお願いを超えて、「こういう共同空間では、こういうふるまいが共有されるといいですよね」という、一種の公共的な作法として提示されているわけです。

作法を独占しないどころか、むしろ広めようとする。良いふるまいの型は、みんなで共有したほうがいいと信じている。そのほうが、空間全体がよくなる。そういう無意識の感覚というか思い込みがあるわけです。

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言い換えるなら、日本人はマナーを私企業のノウハウというより、共同空間の空気を守るための共有資産のように感じているところがあるのではないでしょうか。

この感覚もまた、かなり無意識な日本の精神性に僕には見えます。

たぶん僕が今回「温泉道」という言葉に妙に関心を持ってしまったのは、日本人にとってのマナーや気遣いが、単なるルールではなく、自分を整えるための技法としてずっと生きてきたことを、そのたった一語が見事に言い当てていたからだと思います。

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そして、ここから先は少し余談のようでもあるのですが、そして今の時代だからこそ余計に気になることでもあるのですが、

最近、AIによる自動翻訳の一連の話を見ていて思うのは、いま僕らが生きているネット空間は、こういう「場を壊さないために、先に自分自身を整える」という感覚とは、だいぶ逆方向に進んでいる気がするということです。

言葉だけが場を飛び越えて、別の言語圏に裸のまま運ばれていく。

その結果、まず誤解や摩擦が先に起きていくことは必定。そしてそのあとで、AIが文脈を補足したり、解説したり、冷静に整理したりするようになるはずです。

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でも本来、作法というのは、場が壊れたあとに誰かが正しさを解説するためのものではなかったはずです。

そもそも壊れにくくするために、先に自分を整えるための知恵だった。

つまり、日本人にとっては、その順序が逆なんです。

温泉で先に体を洗うことも、静かにすることも、最初から共同空間が荒れにくくなるようにするための「型」です。それは温泉という「場」があって、初めて立ちあらわれるもの。

いまのSNSは、その真逆の方向に突き進んでいる。

そう考えると、日本人が一番大事にしてきた、言論の場が崩れる。もちろん「もうそんなものはとっくの昔に完全に崩れていた」とも言えるけれど、でもやっぱりどこか場への尊重の気持ちはそれぞれにあったはず。それが完全に食い違っていただけで。

グローバルの場という、あまりに広すぎる場があるときに、日本人はその場を把握して、立ち振る舞うことができるのか。そしてたぶんそれはこれから、X上でもそれが見事に可視化されるはずです。

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なにはともあれ、このねじれこそが、日本文化の面白さでもあり、厄介さでもあり、でもやっぱり捨てがたい魅力でもある。

バベルの塔が再び築かれ始めている今、日本人の場を先に尊重し、場を尊重する「型」をみにつけて自我を消していく作業こそが至高であるという感覚は、果たして一体どうなっていくのか。

興味深く眺めていきたいポイントです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。