先日、坂ノ途中の小野さんが「新規就農の農家さん、もうみんなAIに聴きながらつくっている」っていう話をされていて、その話に「へえ!」って膝を打ちました。
確かに、農業ほど知識面はAIでもう良くて、あとはトライアンドエラーを現場で重ねていく仕事もほかにないよなと。
農業ほど「知識」と「現場」がハッキリと分かれていて、しかも両方を毎日往復しながら前に進む仕事もなかなかない。
だからこそ、AIによる「知識の民主化」が、いちばん浸透する領域のひとつなんだと思う。これっていうのは、本当に良い意味で「知識の民主化」だと感じました。
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この点、最近話題になりがちなブルーカラー論争もそうですが、たぶん大げさではなく、この文章を読んでいる半数以上の方は、将来的には一次産業に近い仕事に、従事するようになると思います。
農業だけじゃなく、漁業でも、狩猟でも、ネイチャーガイドでも観光でもなんでもいい。
とにかく“自然に触れている側”に、多くの人の仕事が寄っていくはずなんです。
少なくとも、これを読んでいる全員の仕事が、今よりも「自然」が必ず身近になる。
そして今だったら、まだ自分のほうから選び放題なわけですよね。ブルーカラーがまさに、ブルーオーシャン。
とはいえ、あと5〜10年もすればレッドオーシャンで隙間産業になる。だったら、やるなら早いほうが良いんだろうなとも思います。
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この点、過去に似ている状況にあったなと思うのが、地方移住です。
10年前に「Wasei Salonに参加しているひとの半分が、ローカル暮らしになる」と言われてもきっと誰も信じなかった。
でも実際にWasei Salonの初期メンバーの21人も含め、東京に残っている人のほうが圧倒的に少ないように、「仕事」という側面においても同じようなことがこれからの10年で起きるのは、もう間違いなさそうです。
今の仕事には不満がある、もしくは先行きは明るくなさそうで、自分の居場所が将来は失われそうと思ったら、自ら進んで「自然」に関わる仕事にうつったほうがいいんだろうなあと。
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じゃあ、なぜ、それでも人々は「自然」に従事する仕事にはうつらないのか。
ホワイトカラーの職種や都会からなかなか離れようとしないのか。
現状維持バイアスが働いてしまうもそうだし、単純に不安という側面もあるとは思います。
「既に慣れ親しんでいるもののほうがいい」と理由もなく漠然と思ってしまうのは、人間の本能。
ただ、それ以上に大きいのは、みんなが本心で不満に思っているのは、
都落ちっぽくて、端的に言えば、ダサい、だと思います。でも、その「ダサい」が、間違いなく反転する。
むしろ、ちゃんとイケてるものになる。そのイメージのほうがガラッと変わってしまう。
それが今日のこのブログのなかで、僕がここで一番主張して書きたいことです。
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言い換えると、一次産業が、10年後も今のようなままのイメージだと思わないほうが良いんだろうなと思います。
カッコよくなるに決まっている。というか、既にそうなりつつありますよね。
「センスのある普通」がその時には必ず生まれてくるし、そこには必ず「思想運動」なんかも絡み始めるはずです。
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たとえば、わかりやすく、一次産業の3K(きつい・汚い・危険)問題があるとして。
でもきっと、まったく同じ業務や仕事が「心地よい・清々しい・スリリング」みたいに反転すると思います。
きついや汚いというのも、請け負う側の人間の主観の問題ですからね。
むしろ、都市のデスクワークで、AIの奴隷みたいになって、画面と通知とKPIに追い立てられるほうが、よっぽど「3K」の仕事と見なされるようになるはずです(こちらも、既にそうなりつつある気がします。
たとえば、今はまだ東出昌大さんぐらいだけれど、あのようなノリが、芸能界やタレントの世界からも、山ほど生まれてくる気がします。
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じゃあ、なぜこんなにも断言することができるのか。
それは、個人的なウェブメディアの運営経験があります。
そして、そこで取材してきた数々のローカルの移住にまつわる話なんかも、まさにそうだったから。
今から約15年ぐらい前は、ローカルに住むなんて「監視社会だ」「娯楽がない」「不便極まりない」と散々言われていました。
でも今は、そのすべてが反転されつつありますよね。
具体的には「古き良き人とのつながり」「自然豊か」「リモートワークがしやすい」などです。
この自らの経験の経て、僕はデザインやメディア、イメージのちからって本当にすごいなと実感しました。
客観的に存在するものは、ほとんど一切何も変わっていない、むしろ地方は圧倒的に衰退しているのにも関わらず、一気にポジティブに変換されていった。
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そして、もうひとつ。そもそも、なぜ昔は大半が農家だったのに、農家をダサくしたのかも、合わせて考えたいなと思うのです。
つまり、高度経済成長期の日本、そんな都市社会偏重主義は一体なぜ起きたのかも、同時に考えたい。
それは、高度経済成長期、日本は都市に労働力を集める必要があったからですよね。
だから一次産業の側を「やりたくないもの」にし、都市側を「イケてるもの」として魅力的に見せる必要があった。いわゆる、金の卵みたいな話です。
当時の若者を都市に集中させて、資本主義を圧倒的に加速発展させたかったということですよね。
そして再び、反対の圧力が生まれようとしている。
AIの登場により、もうホワイトカラーに人間は不要だ、それよりもブルーカラーの人手のほうが欲しい、と。
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このように、よくも悪くも、その時代にとって(国家にとって)都合の良い動向を、大衆が自然とやりたくなるように仕向けられる。
デザインとかメディアとかの力によって、世間の空気や雰囲気っていうのは、そういう風に醸成されているというのが、僕のこの過去15年の中でのいちばんの学びと言っても過言ではないです。
よくも悪くも、人々はそうやって都合よく洗脳されるし、「給料」や「理想の暮らし」という撒き餌を施されて、おびき寄せられてもいく。
で、こういう話をするとすぐに「じゃあ、その陰のフィクサーは一体誰か?」みたいな陰謀論的な話になっていきがちです。
でも決して、誰かが裏で牛耳っているというわけではなく、世界情勢やお金の流れや人口の流れなど、自然とお互いがお互いを洗脳しはじめるというのが、きっと正しいはず。
ここも、本当に深い学びだったなと思います。
つまり、その時に存在する国民たちが、ちゃんと経済を構築して生き残れるように、需要と供給、そんな神の見えざる手みたいな効果によって、自然と誘われていく。
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たとえば、既に語られ始めている「ニュー・ラグジュアリー」みたいな文脈だって、まさにそうだと思います。
あの文脈の中で語られる「豊かさ」も、従来的なダサさの詰め合わせのようなもの。
でも、そうやって従来だったら明らかにダサかったものを、再評価することそれ自体がカッコいい、という論理構成が、手を変え品を変え、行われていくようになる。
デザインとメディアのちからによって、人々のイメージ自体が変質していく。
そして、それこそがイケてるという反転、むしろ反転できることがステータスであり、スタイルだとみなされていくようになるんだというとこです。
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もちろんそこには、側だけではなくて、思想運動や歴史なんかも同時に含まれてくる。
昔の思想家たちの言葉が掘り返されて、都合よく用いられるはずです。こちらも、ホントによくも悪くも。
柳田國男とか柳宗悦とか、そういうひとたちの言葉が、今の世の中の潮流に合うように、本当に好き勝手に切り貼りされる。
まさに、時代に合った形での再出発として訂正可能性みたいなことが起きてくる。
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フットワークの軽い個人が最初にそれを行い、ネットでトレンドになり、そのトレンドに電博が目をつけて、最終的にはテレビで特集される。
ファッドから始まり、ファッション・スタイルの段階を経て、トラッドになる。
いつの時代もそうやって、時代の中心に躍り出るようなお金や権力は持たないけれど、それゆえに「センスのある普通」を体現するひとたちが、必ず世の中にあらわれる。
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だとすれば、そんな「すでに起きた未来」から逆算をして、トレンドよりも先を行くのか、それとも石橋を叩きながらいつまでも渡ることなく、トレンドに後乗りするのか。
そして、地方移住の文脈で、後乗りしたひとたちが、ローカルで苦戦しているのがまさに今でもある。
コロナ後からやっとローカルに移住したひとは、トレンドにのっただけのただのミーハーであり、コロナ前からローカルに移住していたひとは「あのひとは早かった」と称えられるわけですよね。
そこには、たった数年の時差しかないのに。
コロナ前から移住していた人たちは、結果的にあの人には「個性」があると称えられる。アイデンティティがあるということになるからこそ、余計に彼らに注目が集まるという構図になります。
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本人にその意図があろうがなかろうが、世間がそうやって勝手に認知をし、勝手に評価をし、勝手に称えはじめる。
本当に勝手だなあと思います。自分たちも過去に取材する側として、勝手だなあという顔を、取材対象者の方々から何度もされた。
「なんでそんな顔をするの…?」と当時取材する側として思っていたけれど、でも実際に彼らのほうが圧倒的に正しかったなと、今では思います。
世の中の空気やイメージなんてそんなもの。
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だからこそ、早く転職しろと煽る気もないし、今の仕事に固執しろと促す気もない。
どのスタイルを選ぶのかは、本当にあなた次第。
ただ、世間のイメージだけはガラッと変わるということは間違いない、それだけは今日のブログによって伝わっていたら嬉しいです。
そのうえで、君たちはどう生きるか、が問われているのだろうなあと。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2026/02/17 20:33
