昨日のブログでは、いま泊まっている宿の近くに偶然図書館を発見したことについて書きました。

参照:自分自身の好奇心に呼ばれる感覚。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/48eb78eb7eea

今日はその図書館に籠もってみて感じた「図書館の効用」について、少し書いてみたいと思います。

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旅をしていると、自然と「なぜだろう?」や「どうしてだろう?」と思うことが増えていきます。

その疑問の鮮度が高いうちに、その土地の図書館に籠もり、ゆっくりと調べてみる時間はとても豊かな時間だなあと感じました。

なぜなら、その土地の図書館には、その土地の郷土資料がたくさん保管されているから。

ゆかりのある出来事や、ゆかりのある人物の関連書籍もしっかりと揃っていて、驚くほどその土地の情報が充実しています。

また、画集や写真集も置いてあるため、テキストだけではなく、ビジュアルでより一層深くその土地について知ることができる。

これがなんだかとっても豊かだなあと感じたのです。

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さて、話は少し変わりますが、今年に入ってから僕は急激にネットから得る情報を減らしてみました。

半年間、ネットから距離を置いてみると、自分がネットからどれだけたくさんの情報を得ていたのかを知ることができました。

それは、突如、他の人たちがみんな同じような話をしていると思える不気味さを感じるまでに至りました。

「いや、私はネットだけでなく、ちゃんと本も読んでいる!」というひともいるでしょう。

しかし、それさえもネットから得られた情報や口コミによって、Amazonへ直接飛んで購入した本だったりします。

リアル書店に通う習慣があるひとでさえも、書店には流行りのビジネス本や、何か賞を獲得した小説などが一様に並んでいる中から選んでいる。


それらがなぜ平積みされているかといえば、いま「ネットで話題」だからです。(最近だとYouTuberが話題にした本が書店に多く並んでいる印象)

結局、書店に通う習慣があるひとたちでも、同じような情報に触れて、似たような思考回路になってしまうのが現代なのだと思うのです。

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でも図書館は、良い意味でも悪い意味でも、現代の状況に疎いのが特徴です。

新刊がほとんど並ばない。

そのかわり、これまでの人類の叡智が詰まっています。その中からどの本を選ぶのかは、自分自身の責任です。

この点、奥野宣之さんは著書『図書館「超」活用術』の中で、「図書館は、歩き回れるインターネット」だと書かれていました。


この考え方には非常に同意だったので、少し長いのですが、引用してみましょう。

ー引用開始ー

図書館の中では、歩き回るだけで、さまざまな情報が目に飛び込んでくる。

すばらしいのは「求めていると自覚している情報」だけではなく「求めていると自覚していない情報」にも出会うことができる点です。

「知りたかったことを知る」のも気持ちいいことですが、「知りたいと自覚すらできなかったことを知る」のはもっと気持ちがいい。

新しい世界が突如目の前に開けるようなものだからです。

ー引用終了ー

1〜2時間かけて、ゆっくりと館内を散歩しながらさまざまな棚を眺めているうちに、どんどん芋づる式に自分の興味関心が広がっていく感覚を得られます。

それは、「知りたいと自覚すらできなかったこと」を知り、自分の脳内に新しいインデックスや世界観をつくっているような感覚です。

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ただし、そのためには、事前に自分の中に「純度の高い問い」を持っておくことも重要だなあと感じました。

きっと旅をする前に、この図書館に訪れていたとしても、今のような感覚には至らなかったでしょう。

つまり、その土地を旅して、自分の内側から湧き出てくるような問いがまずあって、その上で初めてその土地の図書館に籠ることに意味があるなあと感じたのです。

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一般的な感覚からすると、「旅」と「図書館」は「アウトドア」と「インドア」の構図で、対極の好奇心の先にあるもののようにも思える。

でも、このふたつを行ったり来たりすることで、本当の学びにつながっていくのだろうなあと。

普段から図書館を使い慣れているひとにとっては、「なにを今更…」と思うような話だったかもしれませんが、僕にとってはとても新鮮な気づきだったので、今日のブログにも書き残しておきました。

いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても何かしらの気づきに繋がったら幸いです。