将来を見据えること、
このふたつは矛盾することではないか?
そんなふうに疑問を抱いたことがあるひとは多いかと思います。
でも僕は、このふたつは決して矛盾しないと思っています。
今日はその理由を少しだけこのブログに書き残しておこうかなあと。
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なぜ矛盾しないと思うのか?
それは、将来への期待も「期待」という「現在の事象」だと考えるからです。
「期待」は、多くのひとの中で、いまこの瞬間に起きていること。
言い換えれば、いま考え得るこれからの人の在り方や社会の変化というは、「期待」という形で今この瞬間にすでに起きている事柄であり、すで起きた未来なんです。
だからこそ、いまここから見据えることもできる。
それがいつ実現するのか、本当に実現するのか、なんてことは本当に未来のことだから誰にも予測することはできません。
それを予言しようとしてしまえば、「今ここ」を離れて、未来にとらわれてしまうことになる。
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たとえば、今回のコロナのような出来事が起きれば、実際に現実化するまでの期間(時間)は一気に縮みます。
しかし、いますでに起きた未来は間違いなく僕らの中に存在していて、そちらのベクトル(方向性)に進むことはもう間違いないわけです。
だからこそ、コロナのような事象によってその時間が伸び縮みする。
あとはその「期待」を早めに正確に捉えて、今ここで変化に最適化しながら、その行く末を見守るだけでいいはずなのです。
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一方で多くのひとは、過去の「惰性」を今と勘違いしている場合も多いです。
たとえば、最近何かと話題のハンコ。
現代社会においても、頻繁にビジネスや日常生活の現場で使われているから、ハンコを「今」のように捉えてしまいがちですが、実際は完全にもう過去の遺物です。
じゃあなぜ、今も現場で頻繁に使われているのかというと、既得権益者や、変化をしたくない人たちが、過去の遺物を現在にそのまま引きずってきているからに他ならない。
それは過去の亡霊があたかも現在に実在するかのように、幻想を見せつけられているだけなんです。
にも関わらず、多くのひとは過去の遺物を「今」だと誤信して、見守ってしまう傾向にある。
そしてハンコに限らず、終身雇用や年功序列など、「昭和の亡霊」は、いまも世の中に数多く存在しています。
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将来への期待を「未来」と捉えない。
すでに過ぎ去った過去を「今」だと捉えない。
現在のように社会のルールが大きく変化しているときほど、強く意識したいことです。
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