https://wasei.salon/events/467f1a7cf8be
直近で参加したこちらのイベントでは「褒める」側の正当性を語り、「褒める」コミュニケーションを主にしようと思い実践してきました。
けれども最近、どうしても叱ってしまう状況から逃れられません。
感情的になりやすいから?相手の良いところが見えていないから?どれもちがうような気がして、こうして書きながら向き合ってみたくなりました。
人とコミュニケーションする上で、ありとあらゆる手を尽くした上で、最後に残された方法が「叱る」になってしまっている気がするのです。
※※※
仕事をする上とは言えど、他人を変えることなんてできません。わかっているけれども、人を動かす必要はある。目的を達成するために、確実にやり遂げることが求められる中で、動きたくない人を動かさなければなりません。
初めはその人のいいところを褒めて、おだてて、その気にさせて。けれど、それでも動かなければ、動かないことのデメリットやリスクを伝えた上で、叱らざるを得なくなります。
「叱りたくなんてなかったのに」
そんな風に思うのも、本当は前半の段階で動いてほしかった。それが叶わなかったから、仕方なく。個人の意思とは関係なく、やり遂げるミッションが目の前に立ちはだかるのが、仕事なのですから。
だからこそ、仕事の場面でしか叱っている自分には出会っていません。そんな自分が「好きかどうか?」と聞かれると、もはやわからないのですが。
※※※
例えば、いつも遅刻してくる人に対して。
「目覚まし時計はかけた?目的地の10分前に来ようとすれば大丈夫だよ。前日はちゃんと寝ようね。一本前の電車に乗るようにしようね。持ち物の確認は前日までにちゃんとしようね。」などなど、遅刻しないような助言をどれだけしたところで、彼がそれをしなければ同じ過ちを繰り返すだけで。
二回三回四回・・・と繰り返すうちに「叱らざるを得なく」なってきます。
「あなたが遅刻することで、どれだけ多くの人に迷惑をかけるか」なんて説明しながら最後には、「別に直さなくてもいいけど、もうあなたにお願いする仕事なんて一つもないから」と言われてしまう。この状態がいかに怖いことか想像してみてほしい、といつも思います。
あなたがいない状態で問題なく仕事が回る。あなたがいらなくなる。誰にも必要とされなくなる。サッカーの試合で、一本もパスが回って来ず、90分グラウンドの上を走りきる精神力が、あなたにあるだろうか?と。
※※※
そんな最悪のシナリオに連れて行きたくないから、手遅れになる前に、「叱る」と言う最後の手段をとる。これで気づいてくれなかったら、申し訳ないけれど、もうあなたの未来を救ってやれる自信がないですよ、と。
みなさまは最近「叱った」経験がありますでしょうか?もしよろしければ、聞かせていただけますと幸いです。