2019/12/26 11:31
SNSは相互監視ツールか、見守り型ツールか?
TwitterやInstagramをはじめとするSNSに対して「あれは相互監視ツールだ」という批判をよく目にします。
実際、悪事はすぐに炎上し、仲間内では互いに監視しあって嫉妬し合い、足を引っ張り合う…。
そんな負の側面があることは真実でしょう。
ただ一方で、見守り型ツールとしての役割も備わっていると僕は思います。
参照:見守り型のヘルシーなおせっかいおじさん。 http://inkyodanshi21.com/blog/13522/
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このSNSの両面性の話を踏まえて、最近よく思うことがあるんです。
どうしても、僕らは何事においても「コインの表と裏のような両面性がある」と判断してしまいがち。
だからこそ、客観的な指標を探し続け、有識者がどう判断しているかばかりに気を取られ、「いまコインは表なのか?裏なのか?」それを見定めることに躍起になってしまう…。
でも、そもそも裏と表でさえないのかもしれません。
全ての事象には必ずダークサイドは存在する。
「習慣」があるから「依存」があり、「発酵」があるから「腐敗」があり、「愛」があるから「呪い」がある。
すべてはきっと同一線状に存在し、不可分なものなのです。
あとは、あなたの価値判断次第。
つまり「どう見る(見たい)のか?」に尽きるのだろうなあと。
善も悪もすべては表に存在し、その表(存在)をどう解釈し、どんな意志を持って、いかに行動していくのか?
全ては、その僕ら行動にかかっているとも言えるのかもしれません。
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裏に思いたい人には、裏の事象しか訪れない。
以前にも書いた「世界はきれいか、否か?」の話にも近い話だと感じます。
参照:人生を楽しむための教養。 http://inkyodanshi21.com/blog/12750/
今日はかなり抽象的な内容になってしまいましたが、いつもこのブログを読んでいる方々にとっても、年末年始にぼんやりと考えるひとつのお題となったら幸いです。