TwitterやInstagramをはじめとするSNSに対して「あれは相互監視ツールだ」という批判をよく目にします。

実際、悪事はすぐに炎上し、仲間内では互いに監視しあって嫉妬し合い、足を引っ張り合う…。

そんな負の側面があることは真実でしょう。

ただ一方で、見守り型ツールとしての役割も備わっていると僕は思います。

参照:‪見守り型のヘルシーなおせっかいおじさん。 http://inkyodanshi21.com/blog/13522/ ‬

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このSNSの両面性の話を踏まえて、最近よく思うことがあるんです。

どうしても、僕らは何事においても「コインの表と裏のような両面性がある」と判断してしまいがち。

だからこそ、客観的な指標を探し続け、有識者がどう判断しているかばかりに気を取られ、「いまコインは表なのか?裏なのか?」それを見定めることに躍起になってしまう…。

でも、そもそも裏と表でさえないのかもしれません。

全ての事象には必ずダークサイドは存在する。

「習慣」があるから「依存」があり、「発酵」があるから「腐敗」があり、「愛」があるから「呪い」がある。

すべてはきっと同一線状に存在し、不可分なものなのです。

あとは、あなたの価値判断次第。

つまり「どう見る(見たい)のか?」に尽きるのだろうなあと。

善も悪もすべては表に存在し、その表(存在)をどう解釈し、どんな意志を持って、いかに行動していくのか?

全ては、その僕ら行動にかかっているとも言えるのかもしれません。

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裏に思いたい人には、裏の事象しか訪れない。

以前にも書いた「世界はきれいか、否か?」の話にも近い話だと感じます。

参照:‪人生を楽しむための教養。 http://inkyodanshi21.com/blog/12750/ ‬

今日はかなり抽象的な内容になってしまいましたが、いつもこのブログを読んでいる方々にとっても、年末年始にぼんやりと考えるひとつのお題となったら幸いです。