現在アメリカの副大統領であり、次のトランプの後を継ぐ大統領になる可能性も高いと言われているJ.D.ヴァンス。
そんな彼が2016年、無名の31歳の弁護士のときに書いた自身の生い立ちの回想録『ヒルビリー・エレジー』を読み終えました。
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僕がこの書籍の存在を気にし始めたのは、Wasei Salonメンバーのるるさんが丁寧な感想コメントをサロン内に書いてくださったから。
そこから興味を持ち始め、ゼレンスキーに対して「感謝の言葉がない」と詰め寄ったヴァンスの様子を観て、その彼が一体どんな土地で生まれ育ち、具体的に何を考えているのかを知りたくて、不意に手に取ってみたわけだけれども、これが本当に非常に良い本でした。
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ヴァンス自身が貧困や家庭崩壊といった苦難を経験してきた、叩き上げの政治家。
しかもそれが単なるお金の問題だけではなく、社会階層の根深さにまで及んでいることを実体験として本書の中で語っていて、だからこそ、彼の言葉には説得力や共感を生むリアリティが宿っているものになっていること自体も、とてもよく伝わってきます。
そして、何よりこの本自体がものすごく読みやすい。誰にでも読むことができるかと思います。
難しい話なんて一切書かれていない。また、翻訳本特有の読みにくさも一切存在しない。ここもまた強みだなと。
ぜひみなさんも読んでみて欲しいので、Wasei Salonの中ではさっそく読書会も企画してみました。
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で、僕が、『ヒルビリー・エレジー』の中で強く印象に残っているのは「祖母は、私が生後9か月のとき、母が哺乳瓶にペプシを入れるのを目にしたという。」という表現が出てきたこと。
これがなんだかとっても頭の中に残っています。
冒頭部分の何気ない一文だったのですが「こういうところだよな、階級格差の貧困の辛さって」と感じました。
日本人ならどれだけ貧困になっても、きっとそんなことはしない。
でも階級格差によって引き起こされる貧困って、こういう何重にも連鎖している辛さみたいなものが存在している。
単純にお金の問題だけではなく、たまたまそこに生まれ育っただけという理由だけで、資本と階級の暴力に無防備に追い詰められていく辛さをみたいなものを、こうやって真正面から語られると、なんだかズドンとくるなあと。
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また、この本は既に映画化もされていて、Netflixでも配信されています。
この映画のほうも昨夜観終えたのですが、こちらも最後まで飽きることなく、とても良い映画だったなと思います。
本を読んだ方は、ぜひ映画も合わせて観てみて欲しい。そして、映画を観てから本を読むと、時代背景や彼が育った地域の特徴など、より深く理解できるとも思います。
こんな映画を観せられたら、次の大統領選挙でヴァンスに投票したくなるっていうアメリカ人が大半であっても、全く違和感がないなあとも思います。
それぐらい伝記としての完成度が高すぎる。まだ40歳にも関わらず彼の英雄譚が一通り完成しているんです。
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で、映画のほうでは、ヴァンスの実質の育ての親であるクセの強い祖母が主人公のような立ち位置なのですが、このおばあちゃんが、僕らのよく知るキャラクターで言えば『天空の城ラピュタ』の「ドーラ」みたいなキャラクターなんですよね。
周囲のひとたちからはとても恐れられているし、学があるというわけでもないけれど、きっちりと筋を通すひと。映画で観てしまうと、ものすごく感情移入しやすいキャラクターです。
彼女の思想には、共同体感覚や家族の話などが根底にあって、最後に頼れるものとしての家族の描き方も、本当に上手だったなあと思います。
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そんなヴァンスのような叩き上げの政治家に対して、リベラルエリートが勝てるわけがない。
それがこの本を読んでハッキリと伝わってきました。
東浩紀さんも、最近シラスで配信されていた動画の中で「こういう叩き上げの政治家が出てくるアメリカは強い。」と語られていましたが、本当に思います。
過去に何度かご紹介してきたウォルター・アイザックソンが書いたイーロン・マスクの上下巻の伝記もそうだけれど、彼らの人生経験は格が違いすぎる。
もちろん、それは良い方向ではなく、悪い方向でかなり悲惨な人生を送ってきている。
その中でも、特に悲惨な、なおかつ両親に対して強い絶望感を抱いているところも共通する点があるなあと思います。
で、今の世の中のマジョリティは、そちら側に強いシンパシーや共感を抱いている。
つまり、ヴァンスもイーロン・マスクも、そしてトランプも人生経験が全然違う。若いときの苦労が桁違いであって、生きることの苦しみを、自分自身で散々に味わっている。
テスラのCEOやアメリカの副大統領の地位を得られると言われても、ちゃんと彼らの人生を書籍で追ってしまうと、決して同じ人生は味わいたいなんて思えないような不遇な人生です。
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「教科書や映画で観たことがある人々」ではなくて、若い頃に自分自身がその登場人物になっている。
そんなふうに当事者としてその環境下で育った人間と、僕らのように本やスクリーンを通して観たことがあるというだけの人間、どちらが当事者たちの心をちゃんと理解し、掴むことができるのかと考えたら、そんなのは考えるまでもないことだなあと思ってしまいます。
そして、彼らは今の立場になっても、日夜インターネットを通じて、日々そんな有象無象の人達と罵詈雑言を通して、意見交換もしているわけですから。
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いまアメリカで起きている分断は、まさにこの「実体験から語る人」と「間接的にしか苦労を知らないエリート」との対立なのだと感じます。
そりゃあ、特に何の苦労もなくただただ王道の学歴を歩んできたリベラルエリートは本質的には刃が立たないのも当然だよなと思う。
彼らが語る言葉、そのポリコレ的な言動は本質的には生成AIとも全く変わらないわけだから。
AIだって、お気持ち表明はいくらでもできてしまいます。でも、AIが直接体験をすることはできないわけですよね。
それがそのまま「リベラルエリートvs第二次トランプ政権を支える人々」の対立の構図になってしまっている。
リベラルエリートは、どれだけ社会問題に実際に目を向けても、いつだって彼らは「ケアする側」として、常に優位な立場に立っている支援者でしかない。
一方で、若い頃の修羅場を通して本人がその当事者となり、学んだ体験は本当に唯一無二なんだろうなあと思います。
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いつまでも無限に苦労話ができるひとたちと、どこを切り取っても常に豊かで優雅な生活しか出てこないひとたちの差が、まさに今の社会情勢の変化を生み出している。
これからは、ヴァンスのような人間が持つ説得力や共感力はもっともっと増してくるだろうなと思います。
何を言うか、よりも、誰が言うか、当事者性を改めて理解する必要があるし、そのひとの言葉だからこそ重みを持つということ、その部分をどれだけ突き詰めることができるのか。
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AI時代になればなるほど、情報や知識自体がコモディティ化していく中で、生身の人間が自分自身の人生を通して本心から語る言葉が、ますます大きな価値を持つことになりそうです。
「原体験の重要性」など、そんな生ぬるい言葉ではなく、もっともっと自分にとって切実な、ある意味で人生を賭けた問いであること。
現場で起こっている葛藤も苦しみも悲しみも寂しさも、そのすべて自分自身で体感したからこそ体重をのっけて主張できること。
それが良くも悪くも、これからはものすごく価値を持つ。
言語化が得意である必要なんてほとんどなくて、それはもうAIが勝手に代筆・代弁してくれる。あとは、それが真実だと思わせてくれる、切実さ、なんだろうなあと。
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今、本当にめちゃくちゃデカい揺り戻しが来ている気がしています。AIのタイミングも本当に偶然にもバッチリ過ぎる。
もちろん、感情的なやり取りだけが良いわけではないし、社会には法や秩序が必要であり、そこには冷静な判断やルールが不可欠です。
ただ、その前提として人々の「感情」や「コミュニティ」がなければ、法や秩序も機能しないわけで。
むしろ現実のコミュニティでのつながりや実感のあるストーリーこそが、人々の共感を呼び起こし、社会の土台になっていることは間違いないはずです。
そんなことが本当にわかりやすく伝わってくる一冊であり、一本の映画でした。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。

2025/03/13 20:47