誰もが一冊や二冊、何度も繰り返し読んでいるお気に入りの一冊があるかと思います。

昨日は、そんな本をお互いに紹介し合うオンラインイベントが、Wasei Salon内で開催されました。

このイベントに参加しながら、僕がついつい考えてしまったのは「なぜ人は、同じ本を何度も繰り返し読むのだろうか?」ということ。

つまり、何を求めて、何に触れたくて、何を感じたくて、2回目以降再び同じ本を手に取るのか、ということ。

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書籍の中に書かれていることが「情報」だと考えれば、よくよく考えてみると、これはとっても不思議なことです。

なぜなら、同じ情報を伝える媒体だとしても、たとえば録画したニュース番組を何度も繰り返し見るようなことはしませんよね。

本来情報は一度摂取してしまえば、それでおしまいでもいいはずなのです。

でもなぜか繰り返し読んでしまう私たちがいる。

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この点、みなさんのそれぞれのエピソードを聞いていて共通しているなあと感じた点は、

元気が欲しかったり、泣きたかったり、何かに満たされたい気持ちが自分の中に強くあって、それゆえに2回目以降同じ作品を再び読んでいるということ。

個人的にこの共通点がすごくおもしろいなあと感じ、「あぁ、それだ!」って思いました。

つまり、外部から訪れる何かによって満たされたくて読んでいるわけじゃないのです。

その本に再び触れることで、自分の内側から湧き出てくる何かに満たされたくて、私たちは繰り返し本を読んでいる。

その証拠に、文字は「情報」としてそこにただ「固定化」されているだけなのですから。

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初めて読む場合は、全く未知の書物として読むので、自分の中に新たに蓄積される知識、つまり外部からやってくる新たな価値として捉えることもできそうです。

それはまるで人体が外部から食物を摂取するかのように、情報の雨が降り注ぎ、自己のダムに溜まるような感覚を抱いてもおかしくない。

でも、2回目以降は決してそうではありません。

2回目だからと言って、本に書かれている内容が変化するわけでもなく、ましてや本がディズニーランドのミッキーマウスのように愛想良く振る舞ってくれるわけでもない。

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だとすれば、結局のところ、その文字列を追って自己の内側から湧き出てくる何か、立ち現れてくる何かによって、私たちは心を満たされているわけです。

具体的に何が湧き出てくるのかはわかりませんが、生きる気力のようなもの、それが自分の身体の内側から清水のように湧き出てくる感覚が、2回目以降の読書にはあるわけですよね。

これこそが、まさに昨日のブログに書きたかったことだなあと思ったのです。



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常に私たちのほうが変化し続けている。

当たり前と言えば、とても当たり前のことなのですが、僕にとってはものすごく大きな発見となりました。

ぜひ昨日書いたブログと合わせて読んでみていただけると嬉しいです。

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8月のWasei Salonの体験会はこちら。