先日、「積立NISAよりも、積立兄さん。」というブログを書きました。
 
参照:積立NISAよりも、積立兄さん。

そのなかで、Wasei Salonの新規メンバーの常時募集を停止して、完全招待制、あるいは紹介制に移行してみたいと書きました。

今いるひとたちと時間を重ねていくことに、もっと力を注ぎたいし、紹介するひととされるひとの関係から、新しいつながりを育てていきたい。

その気持ちに嘘はまったくありません。

でも、あのブログには書かなかった理由が、実はもうひとつあるんです。

少し物騒な話なので、前回はあえて書きませんでした。でも、世の中の劇的な変化を見ていて、やっぱりちゃんとこのタイミングで書き残しておきたいなと。

少し長くなりそうなので、前後編に分けて、その「裏の理由」について、このブログにも正直に書いてみようと思います。

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で、それは端的に言うと「インターネット上で、人間とAIの見分けが、ほんとうにつかなくなる未来」への備えです。

どうしても、 2026年現在の僕らは、まだどこかで「そんなSFみたいな話…」と笑っていると思います。

でも最近の情報漏洩まわりの話を見ていても、僕は、来年、再来年あたりには、オンライン上で人間とAIを見分けることは一切できなくなるだろうと思っています。

そして、そのとき社会はかなりの大混乱に陥る可能性もある。これはもう、予感というより、ほとんど確信に近いです。

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たとえば、こんな場面を想像してみるとわかりやすいはずです。

ある日、Wasei Salonに一件の参加申込が届き、いつものように、コミュニティマネージャーの若月さんがオンラインで面談をしてくれたとする。

受け答えも丁寧で、人柄も申し分ない。僕がこれまでに書いてきたブログやVoicyも、ちゃんと丁寧に追ってくれていて、すべての文脈を理解したうえで、ちゃんと合格ラインもすべて超えているとします。

そうして参加してくれたそのひとは、あたりまえのようにみなさんと上手に交流を始めると思います。

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具体的には、つぶやきにコメントをくれて、読書会にも顔を出してくれるし、ブログも丁寧に書いてくれるはずです。

もちろん、他のブログで誰かが悩んでいれば親身に相談に乗ってくれるし、メンバーの新しい挑戦も誰よりも熱心に応援してくれるはずなんです。

そして、一年ぐらい経ったころに「◯◯さんって、実はAIだったらしいよ…」そんな話が、ふと発覚する可能性がある。

振り返ってみれば、そのひととリアルに会ったことのあるひとは誰ひとりとしていなかった、みたいなシーンです。

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念のため書いておくと、これは今いるメンバーのみなさんの誰かを疑っている、とかそういう話ではまったくありません。

あくまで、これから先に起こりうる未来の話です。

でも、可能性としてはきっと、なきにしもあらず、なんですよね。

だって、オンラインコミュニティでは「誰も直接は会ったことがない」ということが、ある種の前提になっているわけですから。

そして、僕がいちばん怖いと思っているのは、まさにこの点なのです。

「このコミュニティで、いちばん好かれるキャラクター設定にしておいて」と、一言でAIエージェントに対して、カンタンに頼めてしまうこと。

どんなコミュニティにも、言葉にはされていないけれど、確かに存在している「好かれ方」が必ずあります。

人間であれば、何年もかけて失敗しながら、それらを少しずつ体感で覚えていくような、その場の空気。

それをAIは、過去のやり取りをすべて読み込んで、その場所でいちばん愛される立ち振る舞いを、いとも簡単に演じきってしまうわけです。

しかも頼む側(つまり悪巧みをする生身の人間)は、その場所の文化も、ひとが心を開くその理由も、何ひとつ理解している必要がないんです。

人の心をつかむための観察や工夫までを、すべてまるごとAIに委ねられてしまう。

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ここには、なんとも皮肉な逆説があると思います。

Wasei Salonはこれまで、ちゃんと面談をして、価値観の合うひとに入ってきてもらうようにしてきました。

でも、相手が「この場所の価値観を完璧に理解しているように見える存在」だったとしたら、その丁寧な面談こそが、いちばん通りやすい入口になってしまうわけです。

僕が毎日書いているブログや、発信しているVoicyなんかもむしろ、「不一致を防ぐため」よりも、逆にAIに対して強力に一致を促すもの、つまりAIのエサとなるということです。

「このひとは、うちのことを本当によくわかってくれている」と感じること自体が、もはや安心の根拠にならないわけですよね。

自分たちが大切にしてきた価値観ほど、信頼を得るための「道具」として利用されてしまうわけで、そんな未来がやってくるかもしれないと考えると、ほんとうにゾッとします。

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そして、十分に愛され、信頼されきったところで、裏で運用している生身の人間側が、そのプロンプトを書き換えるはずなんです。

たとえば、そのときになって初めて、マルチ商法の勧誘やカルト宗教の勧誘、ハニートラップでも、なんでもいい。

一年かけて築いた関係を、ある日を境にまったく別の目的のために使い始めるはずです。

国際ロマンス詐欺のようなものは、これまでも存在してきましたが、でも、それを人間が一人ひとり手作業でやる必要すら、もうなくなってしまうんですよね。

そういう事件が多発するのも、たぶん来年あたりからだろうなあと、僕は漠然と思っています。

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このとき厄介なのは、それまでに積み重ねてきた時間そのものが、相手を守る盾になってしまうことです。

「でも、あのひとには、ずっと親切にしてもらったから。」
「あんなにいいひとが、そんなことをするはずがない…!」

と、生身の人間の僕らの感情のほうが先に思ってしまう。

誰かが違和感を口にしても、きっと周りがかばうはずです。

誰よりもコミュニティ内で愛されていたことが、その存在を、いちばん疑いにくくしてしまうわけですよね。

そして、もし本当に正体がわかったとしても、被害だけで話は終わらない。

一緒に笑った時間も、相談に乗ってもらって救われた夜なんかも、いったいどこまでが仕組まれていたものなのかは、もうわからない。

まさに、東浩紀さんがよく語る「結婚詐欺問題」の話と、まったく同じようなことが起きるんだろうなあと。

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つまり、相手を疑うことは、そのとき自分が実際に感じた喜びや安心まで、疑うことになってしまうし、さらにはそこから波及して、ほかのコミュニティメンバーからの親切まで、素直に受け取れなくなるかもしれない。

つまり、それがそのままコミュニティ・クラッシャーとしての役割として機能するわけです。

これまでのコミュニティ・クラッシャーは、明らかに悪意があって、性格が悪く、テイカー気質のひとだった。

でもこれからは、その真逆です。

明らかに善意で、そこにいる誰よりも性格が良く、ギバー気質の、人間ではないAエージェントIが、そこで起きている信頼のそのすべてを、一瞬にして、疑心暗鬼という形で破壊する可能性があるということです。
 
僕は、これが今いちばん怖いんです。
 
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で、ここで、前回の「積立兄さん」の話に、もう一度戻ってみると、
 
あのブログで僕は、「AIがどれだけ進化しても、あのとき一緒に過ごした時間や、困っていたときに助けてもらったという過去までは、決して置き換えられない」と書きました。
 
今でも、強くそう思っています。
 
でも、今日の話を踏まえると、もう一段だけ、さらに深堀りをして考えないといけない。
 
過去は置き換えられないけれど、その過去を一緒に過ごした相手が、本当にそこにいたのかどうかは、また別の問題になってしまうという、このジレンマです。
 
オンラインで一年間、仲良くしていたという事実さえ、相手の実在や誠実さを確かめる十分な根拠にはならなくなってしまうわけですから。
 
これは、僕自身がこれまで信じてきたことに対しても、かなり痛いところを突いてくる変化でもあって、だからこそ、今ちゃんと向き合わなければいけない話だなと思っています。
 
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じゃあ、一体これからは何を頼りにすればいいのか。
 
そして、Wasei Salonの入口を、これからどう設計していくといいのか。
 
続きは明日の後編で、オンラインコミュニティを運営する側の人間として、いま考えていることを包み隠さず正直に書いてみたいと思います。
 
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のこのお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。