先日更新された、Podcast「オーディオブックカフェ」の中でもお話したことですが、今の世の中には「JUST KEEP BUYING」みたいな意見が増えたなあと思います。
具体的には、長年のデータを研究して、これさえやっておけば安心安全、そんな科学的にも公平中立のように見える意見が氾濫しているように思います。
それも当然で、それぐらい多くのひとがリスクを取ることを恐れている。「オルカン投資」が今年これだけ一気に浸透したことも、その理由のひとつだと思います。
でも、ジャストキープバイイングだって、あくまで安全である蓋然性が高いだけであって、世界ではいつ何が起きるかわからない。未来はどこまでいっても不確実で、本来は「ジャストキープシンキング」するしかないんですよね。
言い換えると、型とマインドセット、そしてそこからの守破離を意識しながら、常に自らに問い続けるしかない。
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これは、先日もご紹介した養老孟司さんの『人生の壁』の中でも、似たようなことが語られてありました。
養老さんは「若い人が気の毒なのは、先行きが明るく思えないような社会になっていることです」と語ります。みんな、何となく「先が見えている」と思っていると。
で、ある時、大学で学生たちに「物事をどういう基準で決めているか」を聞いてみたそうです。
「正しいか否か」「愛情をもってやれるかどうか」「面白いかどうか」と言う人もいれば「儲かるかどうか」と言う人もいる。本当になんでもいいと思って聴いたら、最初の答えが「安全かどうか」だったと。
以下本書から少しだけ引用してみたいと思います。
最初に考える基準が「安全」なのです。無難に行きたい、リスクを回避したい。
その先を聞く気が失せてしまいました。その考え方では人生はつまらなくなるのは当然でしょう。先を見よう、見ようとして、何が面白いのでしょう。何をするにもギャンブル的な感じはある程度あったほうがいいのです。
(中略)
ところがいまは二〇代の時から、老後に備えろという。何歳の時に貯金がいくらなければいけないとか、投資を分散しろとか、実にアホらしいと思います。途中で大地震が起きたらどうするのか。計画変更せざるをえないでしょう。
たしかに、この学生の答えは、言われてみると衝撃ですよね。僕らは、そんな時代に生きている。
じゃあ、このときの真の問題は一体何かといえば、人生におけるギャンブル要素をすべて「悪」のようにして語られることなのだと思います。
言い換えると、何か一か八かみたいなことはすべて、悪い意味でのギャンブルだと片付けられてしまう世の中だということです。
でも、冷静に考えてみれば、それはどう考えても違うはずなんですよね。
僕らは何かリスクを取ったら、それがカジノの博打でも、成功するか五分五分の社会事業のような場合でも、どちらもギャンブル認定する。
そして、失敗すればすぐに自己責任とされる社会を生きている。欲をかいたリスクは、本人がすべて被るべきだ、と。
ゆえに、なにかに挑戦したいと思っても、これは欲望だから節制しようと思う。それよりも安心安全を優先する。
でもそれは、もうひとつの可能性や方向性も、同時に消し去ってしまっていることになると思います。
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ここで大事なことは、自分の本当にやりたいことに対してしっかりと向き合うことであるはずです。
そして、そのリスクを取って、失敗してしまったときに、お互いの信頼を担保にしながら、支え合うことができる関係性の方だと思います。
そのときに、どうやって助け合えるか、ですよね。
別にそれは金銭的な支えだけに限らずに、仕事を振る、食事に誘う、一晩でも泊めてあげる、一緒に散歩をする、黙って話を聞いてあげる、笑顔を向けるでも、なんでも良い。
そうやって、自分が何かリスクをとってチャレンジをしても、支えてくれるひとたちがいるんだと、心から思えること。それが自分の人生のリスクを正しく取れることにつながっていくはずなんです。
それが一歩踏み出す勇気にもつながる。僕は、そのような勇気が循環するコミュニティをつくりたい。
だって、人生はどこまでいってもリスクはつきまとうし、ギャンブル要素は必ず必要になるわけですから。
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この点、先日nagareの石川さんを囲んで食事をしているときにも話題になったことでもあるんですが、
「自分みたいなリスクは絶対に取らないほうがいい」とアドバイスしている成功者のひとたちは、一様に実際にリスクを思いっきり取った人たちであるという事実。その矛盾に、早く気づいたほうがいい、と。
彼らは何の後ろ盾もないにも関わらず、それぐらい無謀なジャンプをしたから、今のそのひとが、そこにいる。
でももちろんこれは、かなりリスキーでたまたま生き残っているだけ。
完全に運にすぎなかったという自覚も本人にあるし、それは生存者バイアスだという自覚も本人にはある。そして実際にそのようなことをやって消えていった人も世の中に多いわけです。
それゆえに、老婆心ながら「自分と同じようなリスクを取るな」と成功者の方々は語ってしまうわけですよね。
でも、だからといって、リスクを取らずに、すべて「安心安全」はどう考えても違う。やっぱり何かを得るには、それ相応のリスクを受け入れる必要はあるわけです。
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だとしたら、リスクをとっても、それが本当に考えに考え抜いた結果としての「やりたいこと」であれば共に助け合おう、そんなセーフティネットを作り出そうとすることのほうが、圧倒的に大事だと僕は思うのです。
まさに稲盛和夫さんの「動機善なりや、私心なかりしか」の話にもつながる。
個人が動機をどれだけ考え抜いても、客観的なデータで示されるリスクは変わるわけではない。
でも、ギャンブルをギャンブルで一括りにせず、この基準で考え抜かれた五分五分の挑戦なら、それを人間同士で共に支える仕組みづくりのほうが重要で。
逆に言うと、そこまで考え抜いてリスクを取っていると思えるから「応援しよう、支えよう」というひとたちも必ず現れるはずなんですよね。
「このひとは適当な覚悟でやっているわけではない、でも今にも転びそうだな」と思うから、それを必死で支援したくなるという状況は間違いなくあると思います。
そしてその支援によって、本当に飛べるようになる、自立するというような。
最近Voicyに出演してくれた鞆の浦の長田さんも、nagareの石川さんも、パーソナル編集者のみずのさんも、みなさんそう。
「最初はそこに市場があるかどうかもわからない、でも誰かが必ずやったほうがいい、だったら自分がやる」そんなチャレンジをしてくれているなあと思うから、こちらも全力で応援したくなる。
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そうやって、目の前の人たちを、前職のタイミングから知っていて、相手の人柄も熟知し、「このひとが、それだけのリスクを取ってでも挑戦するということは、つまりはそういういことだろうな」と素直に思い合えること。
その信頼関係の構築と循環のほうが、僕はいま大事なことだと思っています。ここが今の世の中には圧倒的に足りていないことだと思うから。
何かわかりきった「ジャストキープバイイング」のようなことが語られる世の中において、少しでも無茶なことをしていると、あいつは欲望に流された人間だと判断する。
そして、ギャンブルが失敗したら、自業自得だということにしてしまう。そんな様子を見れば見るほど、若い人たちがどんどんと「オルカン投資」に全人生をかけるようになるのも当然のことです。
結果として、日中はイヤイヤ仕事をしながら節約に努めて、少しでも多くの資金をリスクの少ない資産に投資して、少しでも早く経済的自由を手に入れられるように躍起になるに決まっている。
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僕は「中年危機」の問題なんかも、まさにここにつながると思っています。
確かにそうやって科学的に安全な運用をすることで、ずっと追い求め続けてきた「安心安全」は手に入った、でもこの圧倒的な満たされなさは何なんだ、と。
それをどうにか僕はコミュニティのちからで変えていきたい。
繰り返すけれど、欲望まみれのギャンブルは完全に間違っていると思います。
でも、本当に考えに考え抜いて「動機善なりや、私心なかりしか」という中でやりたい挑戦は、たとえその勝率が五分五分だとしても、挑戦してみて欲しい。
そんなことに、若い人が挑戦する社会を、もう一度丁寧につくりだしていきたい。
世界全体において、そのような社会を作り出すことが不可能であっても、少なくとも僕のまわりにおいては結実させたい。
だからWasei Salonのような場づくりをしている感覚は強くあります。
自分の本当にやりたいこと、自分がやらないと誰がやるということを素直に受け止める思考や覚悟を養い、且つ、お互いにその挑戦を支え合える、そのセーフティネットになるような場を作っている感覚です。
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みんな大好き大谷翔平だって、八村塁だって、河村勇輝だって、みんなそうやってリスクをとって挑戦をしてくれているから、僕らは彼らを応援するわけですよね。
「安心安全」を最優先に、リスクが一番少ない選択肢を取っていたら、彼らにとっての大正解は、国内のリーグで圧倒的に活躍することだったはずだから。
でも、それでも自分の信念に従ってギャンブルしたから、今の彼らの活躍がある。
また、その挑戦に敗れて帰ってきても、日本のプロ野球やBリーグが受け止めようとしてくれるだろうという期待や、セーフティネットがあるから挑戦できるということでもある。
自分の居場所があるという安心感は、そういうことなんじゃないのかなあと。
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僕らが本当につくるべきは、そんなふうに「行って参ります」と「おかえりなさい」を同時に言い合える関係性だと思います。
それぞれに自分にとって意味のあるリスクを取っているひとたちを、素直に応援したい。共に支え合っていく、コミュニティを作り出していきたい。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。