昨夜、『繊細さんの本』のオーディオブック読書会がサロン内で開催されました。



とても学びの多いイベントだったので、メンバーのみなさんには、ぜひともアーカイブ動画も合わせて観てみて欲しいと思います。

今日は、昨日のイベントを通して僕が考えたことを少しだけこのブログに書いてみます。

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思うに、自分がHSP(Highly Sensitive Person)ではないと感じているひとであれば、このHSPという概念に初めて出会ったときに、きっとこのように思うはずです。

「この基準だったら全員が、何かしら当てはまるのではないか…? 」

「それでも生きづらいと感じるのは本人の思い込みであり、ただの気にしすぎだと思うし、それは単純に人生に対する甘えなのではないか…?」と。

恥ずかしながら、僕も最初にこのHSPという概念に出会ったときは、正直に申し上げると、少しだけそう思ってしまいました。

「みんな大人になるにつれて、その自身の繊細な部分に折り合いをつけながら、頑張って生きているんだよ。それを自身の生きづらさの言い訳にするなど、けしからん」と。

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でも一方で、もうひとりの自分がこうも言うのです。

「いや、その繊細さは本来、受け入れていいものなのではないか…?」と。

「そのほうが、万人にとってもっと生きやすい世の中に繋がっていくし、その結果として差別もなくなっていき、チャンス溢れる世の中に繋がっていくのではないだろうか…?」と。

しかし、なぜだかその考え方は受け入れ難いと、拒絶してしまう頑固な自分もいるんですよね。

自分の中で何人もの自分が葛藤し、この固定観念(社会通念)を払拭することに対して、一抹の不安を抱えてしまう…。

それはきっと、これまでの「普通」から開放される怖さなのだと思います。

その怖さから目を伏せるために、「自分が克服したんだから、お前だって克服しろ!」と他者に強要したくなってしまうのだろうなあと。

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そうすると結果的に、声が大きいひと、不機嫌なひと、怒っているひとが支配してしまう世の中を形成することに加担してしまうことになります。

参照:リモートワークが主流の今だからこそ、「無財の七施」を実践し、自己を変革していくチャンス。 | Wasei Salon

そんな社会に対して、ちょっとした違和感を覚えつつも、これまで自分が信じて必死で適応してきた「普通」から価値観を変えたくないがゆえに、

「やっぱりこっちのほうが幸せなのだ!」という理由を至るところから探し出し、それを無条件に肯定してしまう…。

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この現象は、全国民が戦争に向かっていったときの状況にも非常によく似ているなあと感じます。

だからこそ、「ダウト!」と言える勇気を持ちたい。

なぜなら、誰もが暮らしやすい世の中が「未来のあたりまえ」に繋がっていくことは、もはや自明の理なのだから。

「自分の心の声に敏感になっていいんだよ。自分の感性に素直にしたがって生きていいんだよ」と素直にそう言える大人になりたい。

参照:まわりの声に「鈍感」で、自分の心の声に「敏感」になったほうが、他者とつながり共創できる時代。

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だからこそ僕は、このオンラインサロンをHSPの傾向を持ち合わせているひとたちにとっても、居心地の良いオンラインサロンにしていきたいと思っています。

そうすることによって、結果的に誰にとっても居心地の良い居場所になっていくはずだと信じているからです。

本来、HSPを受け入れたとしても誰ひとりとして不都合を感じことはないはずなのです。


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これは、バリアフリーの空間に例えると非常にわかりやすいかなと思います。

現代において、駅のホームにはエレベーターが設置されることが一般的となりました。

そのエレベーターは、健常者の僕らも大きなスーツケースを運んでいる時には使わせてもらっているし、その多大なる恩恵を日々受けています。

でもこれだって最初は、車椅子で生活するひとたちが必死で抗議活動をしてくれたおかげです。

同じように、誰にとっても過ごしやすい(使いやすい)空間になっていくことによって、たとえHSPの傾向を持ち合わせていないひとにとっても、居心地の良い空間になっていくはずなのです。

そして、それはきっとお互いのほんの少しの思いやりから始まっていく。

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改めて昨夜のイベントに参加してくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。

関連記事:頑固おやじの意見に耳を傾けることはもうやめた。 | Wasei Salon