今から、ものすごく当たりまえのことを書きます。

本来、僕らが生きるうえで意識する必要があることは、たったの3つだけです。

1.未来に何を望んでいるか?

2.現実は、どのような状況(事実)なのか?

3.それに対して、自分はどのように行動するのか?

たったのこれだけです。

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でも、これらを正しく直視するためには、自分が見たくないと思っていることも見る必要が出てくる。

それこそ、未来や現実に含まれる、ありとあらゆるおどろおどろしい状況を想像してしまうことになるでしょう。

過去の似たような経験から、それと近しいネガティブな感情を自分の中から勝手に引き出してきて、妄想して恐れてしまう。

つまり、その妄想上の恐れや不安という「感情」が、この3つのステップのどれかを見てみぬフリさせてしまうわけですよね。

濃い霧の中にいるような感覚に陥らせてしまうのです。

でもそれは、自分の心が勝手に作り出した妄想にすぎません。

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だからこそ、未来をありありと具体的に思い描き、現実を明らかに見ること。

そして、その未来と現実のギャップを淡々と埋めていく。

このとき具体的に、そのギャップを埋めていく方法がすぐにわからなくても、まったく問題ありません。

今を正しく認識し、未来に原因を置くことで、これからやってくる日常の中にドンドンとその打開策の片鱗を見つけだせるようになるはずだから。

そして、そのためにこそ書き出すのです。

書いた瞬間から探し始め、書いた瞬間から守り始めるようになるのだから。

あとは、我が道をゆくと心に決めて、それに近づくための行動を勇気を持って淡々と行うだけです。

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これを実践し、7年も経過すると、その中の一つや二つは、必ず何かしらの形で実現してきます。

書き出した当時は、そこに辿り着くための道順さえも皆目見当もつかなかったのに、です。

そんな経験を何度か繰り返すうちに、必ず次もできると思い始めようになります。

つまり、上述した「感情」に振り回されない自分になっているはずです。

そして、一番大きな変化は、結果と原因の流れが逆だと気付けるようになること。

自己の中にある因果の流れが変化し、時間の流れも同時に逆転し始めるはずです。

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少し抽象的な話になってしまったので、ここでひとつ具体的な例をひとつあげてみたいと思います。

たとえば、後天的に盲目になったひとがいるとしましょう。

最初は、まさに右も左もわからない状態となるはずです。

でも次第に、その状況を受け入れて、前向きに生きようとし始めて、普段削ぎ落としていた情報を拾えるようになってくる。

たとえば微細な風の流れや、僕らには感じ得ない気の流れなどもわかるようになるはずです。

その結果、健常者には神業としか思えないようなことも、いとも容易く実現してしまうのです。

これも、未来に「こうありたい」と原因を置いた結果、それを享受できている現在が生まれたのだと言えます。

一方、未来に悲観的になり、過去を悔やんでいる状態の時は、絶対にその情報(風や気の流れなど)はキャッチできないはずでしょう。

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極端な例ですが、健常者の人生であっても、全くこれと同じことが起きていると僕は思います。

未来に原因を置いて、現実を正しく見て、そこから自己に制約(ルール)を築いていく。

その制約のもとで、淡々と実行すれば、何事も実現可能となる。

そんなことを考える今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。