人間関係において、タテの関係がいいのか?ヨコの関係がいいのか?

そんな問いをテーマにお話すると、大抵のひとは「タテの関係」は良くないと認識しており、世の中には支配したがる人間が存在して、そいつらがタチ悪いのだと、支配したがる人間を批判しがちです。

また一方で、たとえ「ヨコの関係」のほうが良い関係性だとわかっていたとしても、「タテの関係」を双方が納得して構築していて(昔の封建制度や昭和世代の夫婦のように)、その関係性によって良い結果を出しているのであれば、それはそれで正しい姿なのではないか、と考えるひともいます。

自分も、これまではずっとそう思っていました。

あくまで、当事者同士の納得感でしかないわけだから、それはそれでありなのだと。

でも、本当はそうではないのかもしれない。

やはりこの世の中からは「タテの関係」はなくしていけるように努めていかなければならない。

今日はそんなお話を少しだけ、このブログにも書いてみようと思います。

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まず、僕らが一番最初にしっかりと認識しなければいけないことは、支配されたい人間がいる、自ら奴隷になりたがる人間がこの世の中にはたくさんいる、という事実です。

そんなバカな!と思うかもしれないですが、誰もが本当は服従したがるんです。

その理由は様々ですが、責任回避のため、嫌われるのが怖いといった消極的な理由が主でしょう。

「失敗するぐらいなら服従しよう、嫌われるぐらいなら服従しよう。」そう考えるひとはこの世にはものすごく多い。

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この点、ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』という本の中で「全くの無思想性」という表現をしていました。

https://twitter.com/hirofumi21/status/1219808490161463296?s=20

ひとは、その時代における正しさを隠蓑にして、服従したがる自己を肯定し、多くの人々は何も考えずに「無思想性」へと向かってしまう。

例えば、今であれば「多様性」という価値観なんかは実は、そんな価値観のひとつだとも言えるのかもしれません。

https://twitter.com/hirofumi21/status/1279661866982076416

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その結果として、支配したがる側が暴走し、全体主義がもたらす悲惨な現実を目の当たりにすると、「私たちはあの指導者に騙されていたんだ」と開き直り、被害者を演じる。

でも、その指導者を作り出したのは、紛れもなくこの支配されたがる人々なんです。

自分たちのその誤ちを認めない限り、いつまで経っても同じことが繰り返されてしまう。

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だからこそ、僕らは何があっても「ヨコの関係」から始めるしかない。

でも、社会全体として考えると絶望してしまいますよね…。

今の時代において、戦争が一切存在しない世界平和を願ってしまうことと同じぐらい、実現不可能なバカげた理想だと思ってしまう。

でも、決して不可能なことではないはずです。

「互いに支配し合わない」という、ただの不作為(やらない)だけなのだから。

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そうだとすれば、各々が小さくても確実な一歩を踏み出していくほかありません。

まずはいま一番近くにいる隣のひととの関係の中で。

そして、次は同じような価値観を持つ仲間同士、目的意識をもって集まり、小さな現実を作り出していく、そうやって徐々に広げて行くほかない。

このWasei Salonという場も、そんな小さな現実をつくりだす場として、活用してもらうことができれば、僕にとってはこの上ない喜びです。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。