さきほど、キングコング西野亮廣さんがFacebookでシェアされていたコーチングに関する投稿は、コーチとして活動する私にとっても、非常に考えさせられると同時に、強い悲しみを感じる内容でした。

少し長いですが、その箇所を一部中略して引用します。

西野亮廣に関してはコンフォートゾーンの外側に行くことが日常なので、「最初の一歩が踏み出せない」という人間でもなく、むしろ、いとも簡単に踏み出してしまうこの脚を叩き折りたいぐらいの人間なので、「僕個人に向けたコーチング」というのが正直ピンとこなかったんです。

でも、引き止められまして(スタッフが帯同してなくて良かった!)、「5分だけ、西野さんのコーチングをさせてください」と言われたんです。

ものすごい勢いで「コーチングさせてください!」と言われたものですから、「コーチングって、そういうもんだっけ?」と思いながらも、とはいえムビチケを購入してくださったことへの感謝もありますから、少しだけお付きあいさせていただいたんです。

そこで言われたのが「西野さん『ウォルト・ディズニーを超える』と言うのをやめてください。それを別の言葉に変えると、あなたは更に大きくなります。超えて、何をしたいですか?」的なことを言われたんです。

で、僕は正直に「いや、なんか、分かんないですけど、面白くて、優しくて、世界で一番デカイものを作りたいかもです」的なことを言ったら、「それは何ですか?」と詰められちゃいまして…ようするに、その目的地が他人軸じゃなくて自分軸で、かつ具体的であればイイ(そうじゃないと駒は前に進まない)的な話だと思うのですが…、「明確な目標を立てて、そこに向かって汗を流す」というのは短期決戦や、中小規模のプロジェクトであれば、そのやり方はこれまで有効的だったんです。

これ、くれぐれもコーチングを否定しているわけではなくて、それこそ「一歩踏み出す勇気が欲しい人」の一助になると思うので、それはそれで素晴らしいと思うのですが、他方、とくにAIが入ってきてからというもの「人生プラン」の組み立ては複雑を極めていて、「目標を立てたばっかりに、そこに向かって走ることがコンフォートゾーンになって、もうとっくに時代のゲームチェンジは起きているのに、2年前に目指した目標から抜け出せない」ということもあるんじゃないかなぁと思いました。


ここで問題なのは、背景を完全に把握できているわけではないですが、コーチが「コーチングをさせてください」と一方的にアプローチしている点、そして相手の状況や特性を全く考慮せず、自分の持つフレームワークを押し付けている点です。

そもそもコーチングとは、対話を通して相手の内にある答えや可能性を引き出し、自発的な行動を促すコミュニケーションです。コーチの役割は、答えを与えること(ティーチング)や解決策を提示すること(コンサルティング)ではありません。あくまで主役はユーザー(クライアント)であり、コーチは傾聴と質問を重ねることで、クライアント自身が気づきを得て、自分の意思で目標を設定し、行動を選択するのを支援する存在。

これが基本のキです。

そのためには、何よりもまずクライアントとの信頼関係(ラポール)の構築が不可欠。相手が求めてもいないのに「コーチングさせてください」と迫るのは、この大原則から大きく外れています。それはコーチングではなく、単なる自分の知識やスキルの押し売りです。

また、西野さんが最後に指摘するように、現代は変化が激しく、常に明確な目標を掲げることが最適解とは限りません。むしろ、壮大なビジョンや漠然とした探究心こそが、時代を切り拓く原動力になることもあります。それにもかかわらず、「自分軸で具体的な目標を」という画一的な型にはめようとするアプローチは、クライアントの可能性を広げるどころか、むしろ狭めてしまう危険性すらあります。

コーチングの基本とは、クライアント一人ひとりの状況、価値観、目標、そして「今」の状態に深く寄り添い、オーダーメイドで関わり方をデザインしていくもの。時には、クライアントが「一歩踏み出す」ことを支援し、またある時には、西野さんのように「立ち止まらずに進み続けてしまう」ことのリスクを共に考えるパートナーになるべきだと私は思います。

では、AI時代のコーチングとは・・・?

AI時代において、数年前に立てた「明確な目標」や「大きい目標」が、ふと気づいた時には違和感になっている、あるいは、もっと大きなチャンスがすぐ隣に生まれている、ということが実際ユーザーと話すなかでも起こっています。そして先の投稿を改めて噛み砕き、これは「目標達成に邁進すること」自体が思考停止を招き、周りの変化を察知して柔軟にピボット(方向転換)する機会を奪ってしまうリスクを指摘しているのだと自分は改めて解釈しました。

コーチングの真の価値とは、「一歩目踏み出すだけの支援」だけではなく、ユーザーが持つ壮大で漠然としたビジョンや探究心、ありたい姿(西野さんの場合だと「面白くて、優しくて、世界で一番デカイものを作りたいかも」というポイント)を、無理に具体的な目標に落とし込ませるのではなく、信頼関係を築きながら、その探求の旅の伴走者となることだと私は考えています。

また、コーチングをする際、ユーザーが最初に主訴を確認します。ただ、その主訴がセッションを進めるなかで途中で変わることはよくある話です。一つの固執することのリスクを共に認識し、状況に応じて目標を再設定したり、手放したりする「柔軟性」や「適応力」を柔軟性をユーザーと育めることが非常に重要なはず。

この重要なポイントを西野さんの文章から改めて考えさせていただけるきっかけをいただけました。

コーチングの基本をしっかりもったうえで、クライアントの特性だけでなく、クライアントが生きる「時代」の特性にも合わせて、そのアプローチを柔軟に変化させていく必要があるかもなぁ・・・と。

今回の話でコーチングが誤解され、その価値が貶められてしまうことがないことを本当に祈っております。

相手を尊重し、相手の主体性を信じること。そして、自分のやり方に固執せず、常にクライアントにとっての最善は何かを問い続けること。コーチとして活動する上で、この基本的な姿勢を絶対に忘れてはならないと、改めて心に刻む出来事でした。