昨夜、Wasei Salon内で「今年の抱負」をメンバー同士で共有し合うオンラインイベントが開催されました。

僕の今年の抱負は、「いわゆる◯◯」を目指さないことです。

なぜなら自身の脳内にあるイメージそれ自体が、もはや完全に古いものになってしまったように思えるから。

今日はそんなお話をここにも少しだけ書いてみたいと思います。

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たとえば幕末において、いわゆる「武士」とか、いわゆる「商人」とか、いわゆる「幕府の役人」とか、そういった従来のイメージを目指して努力してしまったひとたちは、きっと明治維新以降はうまくいかなかったでしょう。

それと同様に、現代社会において「いわゆる◯◯」を目指してしまうと、大きく足下を掬われる可能性がある。

自ら判断できる余白が少しでもある場合は、スルーしてしまわずに、もう一度ゆっくりと立ち止まって考えてみたい。

周囲のひとたちが「◯◯のひとはこれをして当然だよね」とか「そんなあたりまえのこと(常識)を今さら考えてどうするの?」とか、バカにしてしまうような部分でさえも、ちゃんと自らの意思で考え抜いて決断していきたい。

その結果、ときには世間とは真逆の方向に向かってしまうこともあるでしょう。しかしそうやって、時代の変化を感じとって、従来の「いわゆる」に引きずられずに見誤らなかったひとたちが、次の時代を切り拓いてきたはずなのです。

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そして、この決断における判断基準というのは、きっと普遍的なものなのでしょう。

だからこそ、時代が変わっても歴史物語は何度も何度も繰り返されるし、その都度私たちはそこから新たな発見を得て、学び続けていくことができる。

以上のような理由から、本当に重要なことは「目の前の判断の確らしさ、その連続性」のほうなのかもしれません。

その結果として、辿り着く場所は最初に思い描いたものと大きく異なるかもしれないけれど、でも確実に「確かな場所」へと私たちを連れて行ってくれる。

そして、こうやって歩み続けてきた道は、決して自己の期待を裏切らないはずですし、後悔もしないでしょう。

それは、僕自身がこれまで歩んできた道で得られた経験と照らし合わせてみても、本当に強くそう感じるところです。

逆に「いわゆる」に引きづられて、何も考えずにそれっぽいものを選んだ時は、ことごとく失敗してきたように思います。

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自分で考え、自分で決断し、自分で選び取っていく。

大切なことは、ビジョンの具体性だと言われがちな世の中ですが、本当に大切なことは「目の前の判断の確らしさ、その連続性」のほうだと思います。

体現していきたい世界観は明確に思い描きつつも、そのときにどんな外形や形式でありたいのかは、なるべく自由度を持たせていく。

さもなければ、2022年以降は思いっきり足元掬われてしまう気がしてなりません。過去10年とは比べものにならないぐらいの大きな変化が、これからやってくる。

うまく伝わらないかもしれませんが、いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。

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1月に開催するWasei Salonの外部向け体験型イベントはこちら。

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