大きな組織で働く若いひとにありがちな言動として、「組織の思想と、私の思想は違う。本当はこんな商品(サービス)は提供したくない。」という発言があります。
最近だと、環境問題やジェンダー問題などに対して、そのような言動が顕著になってきている気がします。
そうすると、客観的にみて「それは、かわいそうですね…」と感じてしまう。
でも一方で厳しい見方にはなるけれど、やっぱり数多ある会社の中から、その会社で働くことを選んでいるのは、他ならぬ「あなた」なのです。
そこにどんな理由があれ、やっぱり言い逃れはできない。如何なる行為であったとしても自分が行ってしまっている以上は、その瞬間にさまざまな要素を天秤にかけて、それでも私が「善い行為」だと判断して実行していることは間違いないと思います。
ーーー
しかし、そんなことは他人から言われなくても本人が一番よくわかっている。
だからこそ人間は、「自己嫌悪」を始めます。
でも、この自己嫌悪という行為が非常に厄介であり、落とし穴でもあると思うのです。
なぜなら、自己嫌悪は、現実として私が組織のおこぼれに与っているにも関わらず、その自分を「本当の私」ではないと否定して、偽りの「真の自己」を生み出してしまうから。
つまり、現実に実行している自分の卑劣な行為と、倫理的で道徳的な真の自己の行為(理想)を比較して、どうにか頭の中でごまかすための手段として自己嫌悪を用いているわけです。
その嫌悪の感情が強ければ強いほど、「真の自己」として罵倒している自分がますます高潔となっていき、現実の自分からは切り離されていく。
つまり、自己嫌悪は自分にとって非常に都合の良い免罪符となるのです。
だからこそ、自己嫌悪によって現実の行動は改善されるどころか、どんどんその「うまみ」にハマっていく。
このあたりの自己嫌悪に関するより詳しい考察は、岸田秀さんの「ものぐさ精神分析」に書かれているので、気になる方はぜひあわせて読んでみてください。
ーーー
さて、若いうちはそうやって悲劇のヒロインを演じ続けることができたとしても、歳を重ねていくうちに、次第にバカらしくなってきます。
そうなると今度は、開き直って「自己欺瞞」を始めるようになる。
「いや待てよ、実はこれが本当に良いことなのかもしれないぞ」と。
いつまでも、その自己嫌悪の感情に引き裂かれているのは疲れますし、一方で「真の自己」が求める困難な道に踏み出すのも怖い。
ここまでくると、もはや陰謀論でもなんでも構わないから、自分にとって都合の良い論理を活用してでも、現状の自分を正当化できる理由を探し出してしまいます。
そして、現代のネット社会ではそれは必ず見つかります。(ここが現代社会の危うさでもある)
結果的に、いま属している組織の論理にも簡単に屈するようになる。あれだけ嫌っていたはずの行為にも関わらず、自ら積極的にそんな組織の論理に同化しようとしてしまいます。
これで見事に中年グループの仲間入りです。
ーーー
どんな行為であっても、すべては自分が「善い」と思って行なっている行為である、まずはそのことからしっかりと自覚していきたい。
そして、自己嫌悪に陥った時こそ注意が必要です。
「あー、私はいま、自らの中に偽りの『真の自己』をつくり出し、現実の自分と分裂させて、自分の手が汚れないようにしているな」と。
その分裂を発見したら、そこから徐々に軌道修正を始めていく。
さもなければ、いつの日かそんな自己嫌悪さえもめんどうくさくなって、自己欺瞞に陥ってしまい、自分では修正不可能なところまで到達してしまうから。現代にはそんな中高年ばかりです。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。
ーーー
1月に開催するWasei Salonの外部向け体験型イベントはこちら。
https://twitter.com/WaseiSalon/status/1482883310300778503?s=20
2022/01/25 11:42