AIが世の中に普及していくなかでの働き方の変化について、最近よく考えています。

まず、これからの時代に自らの仕事にAIを用いないというのは一般的には論外だとは思います。

でもだからといって、「自分たちの今のビジネスに、どうやったらAIを活かすことができるのか」という問いが当たり前のように語られてしまっているのも、いかがなものなのかなと。

それはそれで、結構危うい問いなのではないのかなとも感じます。

もしそのビジネスが、AIが出てくる前に始めたビジネスだったらなおさらのことだと思います。

具体的には、2021年以前に始めているような仕事なら、その仕事にどうやってAIを活かすか以前に、その仕事を続けるかどうか、それをゼロベースで一度考えたほうがいいと僕は思います。

言い換えると、AIの登場によって根本的な部分からガラッと変わってしまう世界において、そのジャンルの、その仕事を自分が続けてもいいのか、そもそも問い直す必要があるタイミングに来ているように思います。

つまり、ポストAI時代に自分が何をやりたいのか、改めてゼロから考えるフェーズなのではないか、今日はそんな話を少しだけ。

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この点、よく起業家の間で語られる「その事業をこれからも継続するか否か」という判断基準において、それがどれだけ利益を上げていたり、会社の中心事業だったとしても「今このタイミングにおいて、ゼロからその事業を始めようと思えるかどうか」で判断したほうがいいという話があります。

そのような根本的な判断を、起業家だけでなく、社会人ひとりひとりが根本的に迫られているタイミングが、まさに今だと思うんですよね。

たとえば、誰にでもわかりやすいライターという職業で考えてみたい。

AIが出てきた2024年現在、これからの未来も見据えたうえで、いまゼロからライターになろうと思うかどうかみたいな問いに対して、きっと多くの人はNOだと思います。

もちろん、それは今後はライターという仕事がオワコンだ、という話をしたいわけでは決してないので誤解はしないでください。

AI時代にはAI時代に求められるライティングや編集スキルがあるはずです。でもそれは間違いなく既存のライタースキルとは全く持って異なるものだと思っています。

今までライターという職業で食べてきた人ほど感覚がズレてくるでしょうし、一方でこれまではライターが適性ではなかった人たちにとってチャンスがあるかもしれないわけですよね。

AIの発展や、これからの時代の変化を見据えたうえでも「いや、それでも私はライターになる!」と思える冷静な判断と決断力、そしてその覚悟があるかどうかが大事だよね、という話です。

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で、今日の話はなんだか極端な話だと思われるかもしれないけれど、多くの人が今関わっている仕事において、サンクコスト(過去の積み重ね)によって続けるかどうか判断してしまっている場合が多いなあと感じています。

だからこそ、AIをどうやって現状の仕事に活用できるか、という問いに居着いてしまっている。

でも、今30代〜40代の人たちは、まだ自分のキャリアは半分以上残っているわけだから、20代〜30代のキャリアを構築したジャンルや業界の延長線上に未来があると思わないほうが良いはずで。

良くも悪くも、AIが出てきちゃった今、ポストコロナ・ポストAI時代には、一旦これまでの積み上げをゼロにして考え直さないと、今後いろいろなことを見誤ってしまうだろうなと。

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そして、最近の経済や金融まわりから叫ばれる主張なんかも、きっとこのあたりに主眼があると思っています。

たとえば「日経平均が5年以内に10万円を超える、10年以内に30万円超える」というような話も、基本的には日本や日本人のポテンシャルというよりも、テクノロジーの進化と、それに伴う地政学的なリスクの変化の中から導かれているような話です。

この点、いわゆる日本悲観論を語る人たちは、完全にここを見落としてしまっていると思うんですよね。

確かに、失われた30年のデフレ時代で、日本に地政学的な優位性もなかった当時においては、その観点は正解だったのかもしれない。

でも、これからは地政学的な要因とテクノロジーの発展によって、それ以上の需要が日本に訪れてきちゃうよね、という文脈の話が語られているわけで。

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そのような場合において、日本人のそもそものポテンシャルとか少子化の問題とか、旧態依然の政治状況とか、そんなのはほとんど関係ないというのが彼らの主張。

逆に言えば、世界の中での日本の立ち位置と、アメリカの意向で大方は決まってしまう。

日本のクリエイティビティや先進性なんて最初から求められていないんだという話なんですよね。

それよりも、そのようなチャンスが降ってきたときに、勤勉で真面目な日本人であることのほうが何百倍も重要なんだと。

日本が戦後復興できた一番の理由である朝鮮特需などもそうだったように、です。

そしてこのような主張は一理ある思うというのが、僕の立場です。

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で、この話を僕がついつい納得してしまうのは、僕の地元が北海道の函館市であることとも深く関係しています。

世界の中における日本と、日本という国の中における函館を比較していても、それは強く思うわけです。

今、函館には国内外から本当にたくさんの観光客が訪れていて、地元経済が潤い始めているわけですが、それというのは、函館という街の人々や産業、文化とはまったく関係ない。もちろん、函館市民のポテンシャルともほとんど関係ない。

それよりも、北海道新幹線の開通、豪華クルーズ船が停泊できて水産物もよく取れる港、円安によるインバウンド観光の復活、日本人が海外に行きにくい状況下の中での名探偵コナン特需。大泉洋さんの兄である大泉潤さんが市長になって、よりPRが強くなったなどなど、そんな様々な外的要因が重なり、また街に活気が戻りつつある。

あの街は、そうやって江戸時代からずっと地政学的な力学のなかで、右往左往してきたということなんだろうなあと。

でも、僕は産業の衰退や文化の衰退、あの土地に生きる人々の向上心の無さみたいなものに辟易して街を出た側だったわけですが、僕自身が完全にあの街のことを誤解していたなあと、最近本当に強く反省しています。

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で、そうなってくると、もはや地元の有名なハンバーガーショップの「ラッキーピエロ」でも良いんだよってことにもなるんですよね。

函館観光をしたことがある方ならご存知だと思いますが、ラッキーピエロは観光客の方々にものすごく人気の道南だけでしか展開していないチェーン店です。

ハンバーガーのようなファストフードなんて、本来はクリエイティビティの極みでもあるはず。

実際、マクドナルドやKFC、スターバックスなど、世界でも一流の企業の絶え間ない企業努力があるなかで日々しのぎを削りあっている状況です。

でも、函館のラッキーピエロに行ったことがある人はわかると思うのですが、未だに紙とペンで注文を取っている。

もちろん、訪日外国人も含めた観光客が大半の中、英語がしゃべれない地元のおばちゃん、もはや、おばあちゃんがオーダーを取っているし、ここ数年になってやっとPayPayが使えるようになったレベルであって、メニューだって、僕の中学生の頃からほとんど変わっていない。

言ってしまえば、働き方改革やDXの改善の面みたいな観点で言えば、グズグズなわけです。もちろんエシカルやSDGs的な観点も皆無だと思います。

でも、それは朝鮮戦争特需みたいなものと一緒で、そこにコマが置かれていたかどうかが重要なんですよね。

そして、今日の話と若干矛盾するようだけれども、ずっとそこで続けてきたこともめちゃくちゃ大きい。粘り勝ちみたいな要素が強いわけですよね。

波が来ないところに、どれだけ優れたコマを置いたところで無意味でもあって、逆に地政学的に波が来るところなら僕らが考えているような努力はそれほど価値はないんだろうなあと思います。

にもかかわらず、函館市民のポテンシャル、自分たちがこれまで積み上げてきたものはなんだろう?というような視点に立って考え込んでしまうときっと大きく見誤る。実際に、大きく見誤っている様子も本当によく見かけます。

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ひとりひとりの人生においても、この日本の中における今の函館のような状況が、これから間違いなく起きてくると思います。

だからこそ、AIを中心にしたテクノロジーの変化と、半導体の覇権争いで起きる地政学的な変化を踏まえたうえで、それぞれの仕事を改めてゼロから考えて見直していかないといけないのではないかと僕は思います。

過去の積み重ねに引っ張られすぎてしまって、そこにAIを付け足すことに必死になってしまうと、かなり無駄な努力をすることになるかもしれない。

地政学的な意味合いから、今後ほぼ確実に復活してくる日本と、そのなかで起きるインフレのなかで最適な仕事を見つけたほうが良い。

今の仕事は自分が真剣に考えて決めたことだと思っているかもしれないけれど、それさえも平成の失われた30年とデフレ脳の中にいた自分が決めた仕事であっては、当時の自分においての正解だと感じただけとも言えるわけですから。そのことに自覚的になりたい。

僕は、何もそうやって仕事を変えて「余分に稼げ」と言っているわけではなく、なによりも自分の限りある人生の時間の使い方としてあまりにも、もったいないと思うのです。

それよりも、もっともっと価値あることに時間を使ったほうがいい。それができる時代に入ってくるわけですから。具体的には、「働くこと」と「愛すること」にもっともっと時間を使ったほうが良い。

これから日本に大きな変化がテクノロジーと地政学的な要因の大きな掛け合わせで訪れるから、その「未来」に対して自分自身が何ができるかであって、その波は、誰一人として決して無視してはいけないと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。