ここ1〜2ヶ月のあいだで、サロンメンバーのみなさんとリアルで小さく集まるという機会を何度か立て続けに実施してきました。
具体的には4人〜6人程度で、都内の飲食店でお食事をするような感じです。どの会においても、本当にとっても良い時間になりました。
やはり直接会って話すと、オンライン上で得られる感覚とは、また異なった感覚を得られるなあと思います。
特に、僕らのような最初からテーマが決まった対話会や読書会を繰り返しているコミュニティにおいては、何もテーマがないことが、逆に新鮮に感じられる。
最初は、お互いにリアルで顔を合わせることに対する気恥ずかしさなんかもありながら、なんだかぎこちない雰囲気にもなるんですが、1時間ぐらい経過すると、すぐに打ち解けて、話がとても盛り上がります。
何気ない雑談の中から、お互いのめでたいお話なんかも飛び出てきて、本当にそれぞれに良い時間だったなあと、ついつい振り返りたくなってしまいます。
今日はこのような小さな集まりの効用や、僕がこの場において一体何を実現したいのか、また少し明確になったことがあったので、その点について深く掘り下げてみたいなあと。
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まず、これらの小さなリアルの集まりを繰り返すと、いい感じでオンラインのコミュニケーションへも反映されるなあと感じています。
一般的には、オンラインコミュニティは日本全国、さらには世界各地にメンバーさんがいるため、関東中心にリアルイベントを開催しすぎると、関東在住ではない地方のメンバーさんとの温度差が生まれがち、という懸念点があるかと思います。
そのため「リアルで深くコミュニケーションを取るような場をつくるのはどうなの?」みたいな議論もあるのは間違いないんです。
僕自身も最初は、できるだけ各メンバーさんとフラットに交流したいなあと思っていたので、都内での交流会を増やしすぎることも躊躇していました。
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しかし、Wasei Salonのように「古参が偉い」というような雰囲気が全くなく、むしろ集まれば集まるほど、それぞれの関係性が醸成されていき、そこに新規のメンバーさんや地方のメンバーさんとオンラインで交流するための開かれた余白が生み出されていく場合には、意外とアリなんじゃないかなあと。
これは逆に言えば、首都圏のメンバーだけで集まること自体が悪いわけではなく、その集まった後の雰囲気や空気感の問題だと思うのです。
本当にありがたいことに、Wasei Salonに参加してくださっているメンバーのみなさんは、特定のメンバー同士で集まったり、仲間内感を出したりすることも一切ない。
それぞれに敬意と配慮と親切心を発揮してくれるので、リアルで集まるほど、オンラインへの相乗効果が生まれるのかなあとさえ、最近はよく思います。
だから、大事なことは、そうやって新たなコミュニケーションのきっかけを生み出していくことなんだろうなあと。
オンライン→オフライン→オンラインと、そこにプラスのスパイラルが生まれるように意識して、取り組んでいくこと、その文化づくりをしたいという想いを丁寧に共有することが重要なのだろうなと感じています。
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で、このようなオフラインの交流会を経験して、最近自分は一体何をしたいのかをよく考えています。
たどり着いた結論としては、結局のところ「長期的な信頼関係を構築をしたい」ということなんだろうなあと思っています。
メンバーさん同士で集まると、自然と「いつからWasei Salonに参加しているんですか?」という会話が、誰からともなく始まります。
そこには、大抵の場合、数ヶ月前に入ってくれた方から、最初からずーっと居続けてくれて、もう5年以上参加し続けているメンバーまでいてくれて、本当にそれぞれがまったくバラバラなタイミングから、参加していることが多いんです。
そして、決してその参加期間の長さが儒教的な年齢のような機能を果たし、それでお互いに上下関係をはかろうとするわけでもなく、本当にただただ、お互いを知るきっかけの一つにするだけなんですよね。
そして「もうこんなにお互い長く同じコミュニティに所属しているんですね」という確認にもなったりするんです。
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そうすると、自然とそこに信頼の橋がかかる。
その信頼の橋があれば、一つの言葉や態度、決断によってキャンセルなんかをしなくなると思うのです。
なぜなら、言葉よりも、その人が積み重ねてきた日々の行動や葛藤を、横目であっても見続けてきているわけだから。
一方で、今のインターネットの世界は、背景がまったくわからない人の強くて切れ味の鋭い言葉が不意に目に飛び込んできます。
そして、それが自分や世間を傷つけたと思うから、相手のことをキャンセルしよう躍起になるわけですよね。
そのようなキャンセル活動が起こらないためには、やっぱりお互いがお互いの背景や文脈を知ろうと努めることが大切だと思うのです。
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そのための、継続的な、けれどお互いにとって決して負担にならない、ゆるやかなつながりが必要なんだろうなあと。
そうすれば、何かひとつのミスがあったところで「まあ、生きていればそういうこともあるよね。今日はちょっとだけ虫の居所が悪かったのかな」ぐらいの感覚として、お互いに捉え合える関係性が築けるはずです。
そして、ちゃんと相手が積み重ねてきた行動を見ようともするはずで。その架け橋は、既に私の中にあるんだ、とも思えるようになる。だって、同じコミュニティを共にしてきたんだから。
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また一方で、だからこそ、そのような他のメンバーの寛容な態度に甘えるわけでもなく、こうやって自分を信じてくれるメンバー、このひとたちを裏切らないようにしようとも、素直に思えるはずなんです。
昨日開催された小さな交流会の中でも「ここに参加していることで、自分が何かもし間違ったことをやったときには、ちゃんと叱ってくれると思っている」という話が自然と語られていて、僕はその発言に、「いやいや、誰も怒らないですよ!」って冗談交じりで返してしまったのですが、でもそうやって思い合えることって、本当に素晴らしいことだなあと、後から振り返ってみて思ったんです。
同じコミュニティ内に参加する者同士、「期待」という言葉が正しいのかどうかわからないけれど、相手と自分の間にある長期的な信頼を、良い意味で裏切らないように生きようと思えることは、とても理想的なことだと感じます。
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徒党を組まずに、それぞれの場で問い続ける価値みたいなことも、きっとこのような関係性の中から生まれてくると思うんですよね。
徒党を組むと、必ず排除の方向に向かってしまう。
「あんなことを言う人間は、俺たちの仲間じゃない」という感じですぐに粛清に向かってしまう。
だからこそ、徒党を組まない、って本当に大事だなあと思います。民族同士の闘いにしてはいけないんです、本当に。
オンラインであれ、オフラインであれ、大観衆の中から生まれてくる熱狂って間違いなくありますし、それによって生まれてくるうねりみたいなものもあるから、それに頼りたくなる気持ちも本当によく分かるけれど、そちら側に行かないことって、本当に大事だなと感じています。
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繰り返しますが、それ以上に「共に歩んできた時間」を頼りにして、長期的信頼を生み出していくことのほうが、きっと人生は豊かになっていくと僕は確信しています。
そして、これもまさに時間の為せる技だなあと思います。
数ヶ月程度では容易には構築できないからこそ、それが築かれたあとには簡単には壊せないし、毎回それを感じ取るたびに、襟を正す気持ちにもなれるんだろうなあって。
そういうメンバーがひとり増え、ふたり増えと、着実にそれぞれの場所で自分の人生を生きながら、深いところでつながっている身体感覚が、とてもかけがえのないものになるんだなあって。
「あの人も問い続けているから、私も投げ出さずに問い続けよう」その関係性が網の目のように広がることによって、その関係資本が複利のように、じわじわと積み重なっていく。
そのような積み重なりのほうが、本当の豊かさのようなものを、僕らに与えてくれる気がしています。
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そして、今日語ってきたような関係性こそが、真の意味でのSNSだと僕は思うんです。
僕は、これをずっと実現したかったんだろうなあと、今振り返ってみると本当に強く感じる。
罵詈雑言が飛び交うオープンなSNSに対して、強い違和感を感じ、その答えもわからないまま、漠然と始めたオンラインコミュニティではありましたが、少しずつ思い描いていた理想的なインターネット上における人と人とのつながり、その関係性が今まさに生まれつつあるなと感じています。
それは、各人のめでたい発表や輝かしい功績の話だけでなく、日々暮らしや働く中で生まれてくる悩みや葛藤なんかも全部ひっくるめて、共に同じ時代を生きている、ということを感じられるということ。
このような関係性がこれからも末永く続いていくような場所にしていきたいと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。
2024/09/20 20:59