「相手の話っぷりが、やけに馴れ馴れしい。」
「いつも時間に遅れてくる。」
ビジネスマナーやルールに当てはめてしまうと、完全に違反しているなあと感じることであっても、
相手のライフスタイルから想像する癖をつけると、(例えば、子育て中など)
そのモヤモヤやイライラから解消されることってあるよなあと思ったので、今日はそんなお話を少しだけ。
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この点、誰にとってもわかりやすいライフスタイルの典型例は、
地域特有の慣習やローカルルールだと思います。
僕はこれまで、さまざまな地域に訪れてイベントやプロジェクトを経験してきました。
その中で、地元の方の口から頻繁に耳にする言葉が「〇〇(地域名)時間」です。
「この町に暮らすひとは、みんな時間より遅く(早く)集まるんだよね。」と。
特に遅く集まる場合は、決して怠惰なのではなく、大抵はその土地の気候や文化の影響が大きいです。
雪国は、雪が積ってしまったら仕方ない、大自然には抗えないという感覚がありますし、
南国は日和見主義で、お天気が良くて気持ちいいのだから仕方ないという感覚がある。
なぜお互いに許し合えるかといえば、同じ土地に住み、その土地の「天気」を日々共有しているからなのだと思います。
しかし、これがグローバル&オンラインでつながってしまうと、途端にそれがわからなくなってしまう。
世界共通のビジネスマナーに従うことが最善とされてしまいます。
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少し話は逸れますが、以前何かの本で読んだ話で興味深いなと思ったのが、車の事故率の話です。
運転手が会話する上で、相手が助手席に座っている場合と、電話などハンドフリーで話す場合とでは、その事故率が全く異なるそうです。
一見すると、両者ともに運転手の視界や行動を制限しているわけではないため、事故率が異なるのはおかしいと感じる話ではありますが、
相手が助手席に座っている場合には、無意識のうちに運転手と視界を「共有」しているから、話の振り方も変わってくるそう。
だから助手席の相手との会話のほうが、事故率は下がる。
一方、電話先の相手だと、運転手と視界を共有していないため、急カーブが続くような道でも難解な話を振ってしまい、それが注意散漫につながって、事故を招く原因になるのだそう。
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そして、いま僕らに求められているのは、この「視界を共有する感覚」なのではないのかなと強く思うのです。
どうしても僕らは、会話のマナーやルールばかりに意識を向けがち。
そんなタイトルの本が書店にズラリと並んでいることがソレを象徴しています。
ましてや現代のように、それぞれのライフスタイルが多様化していけばいくほど、共通ルールや共通規格に頼りたくなる気持ちはとてとよく理解できます。
しかし、本当に優先されるべきことは、この視界を共有する感覚のほうだと思うのです。
相手のライフスタイルを目一杯想像してみて、"相手の見ている先"を見ようとしてみる。
いま学校に通っているのか、新入社員なのか、子育て中なのか、介護中なのか、
そんなライブステージの変化から想像して相手を慮れることは、山ほどある。
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それぞれの特殊性に対応していく柔軟性と、共通ルールを勝手に押し付けない胆力のほうが今の時代においては非常に重要な気がしています。
もちろん、逆に自分自身が相手に「誤解されたくない、迷惑をかけたくない」と思ったら、
自己のライフスタイルから勝手に導かれている(無意識に自分が従ってしまっている)ローカルルールが何なのか。
それを客観的に把握し、自覚しておくことが大切なのかなと思います。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にも、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。