最近、イケハヤさんがVoicyのなかで音声配信について話題にしていました。

コロナも完全に明けて、人々のコンテンツの消費スタイルも大きく変化してきて、また音声配信の潮流が少しずつ変わってきている感じがしています。

特に話題としておもしろいなと思うのは「なぜ、みんな音声配信をやめてしまうのか?」という話。

これは、結構明確な理由があるんだろうなと個人的には思っています。

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基本的に、インターネットのインフルエンサーと呼ばれるような人々、課題解決型でその地位に上り詰めた人たちが大半だと思います。

何か明確な課題や問題があって、それにそれぞれの立場からソリューションを提示してきたひとたちが、インフルエンサーになりがち。

そして、そんなふうに課題解決型の提案をしてきたひとたちからすると、ものすごくつくり続けることがむずかしいのが、毎日更新を前提とした音声配信だと思います。

なぜなら、毎日それだけの課題や問題が向こうから発生して生まれてこなければ、解決策の提案をすることができないわけだから。

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だから結局は、音声配信は不定期になりがちで、みんなが「これは一体なんだろう?」と思っている時にだけ限定されて配信されるようになる。

もしくは、より大きな学び型のコンテンツをつくり、それを小分けに配信していくパターンになっていく。

コテンラジオなんかは、その代表例ですよね。パッケージとして音声教材のようなイメージだと思います。ライブ講義のアーカイブのような感じ。人気講師の予備校のオンデマンド配信なんかにも、とてもよく似ているかと思います。

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もしくは、真逆に振り切って、圧倒的な雑談コンテンツになっていく。

お笑い芸人さんや、アイドルのコンテンツなんかは非常にわかりやすいと思います。

オールナイトニッポンのようなものも最近、広告出稿が増えているというニュースが最近話題になっていました。

若い人々を中心に、現代の人々はとても暇である。とはいえ、日本人はお金があるわけではないから、旅行や外食に頻繁に出かけることもできない。

都会だと、友人付き合いや彼氏彼女などと遊ぶにも、いちいちお金がかかる。お金がないと人との交流もままならない。つまり、孤独でもあるわけです。

その「暇と寂しさ」を紛らわすのには、ラジオは非常に相性がいいコンテンツだと思います。

動画だと、視覚情報における手の届かなさみたいなものが突きつけられがちだけれども、音声には、映像のような排他性が存在しない。

Netflixのようなコンテンツ消費とは、また違った形で親身に私だけに寄り添ってくれているという感覚になるわけですよね。

もちろん、推し活との相性も非常に相性が良い。

また、これは少しネタバレになるけれど、今後はここの牙城を狙ってくるのが、オープンAIのような感情型のAIなんだと思います。

そのディストピア感を描いているのが、映画『her』であって、AIであれば「私だけに語りかけてくれている」を無限に増やしていくことができるわけですから。

芸人さんやアイドルのラジオの枠は、きっとこれからは感情型AIが百花繚乱になっていくと思います。

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ここまでの話をまとめると、音声配信で継続し続けられるコンテンツは、このように学び型と雑談型の2軸に分かれていく。

でも、そのうえでもうひとつあるのは、きっと物語という文脈なんですよね。

最近ずっと語っている、AI時代だからこそ個々人の「善き物語」が大切になってくるという話と、それは近い。

だからこそ、毎日の自己の挑戦を物語のように共有できると、ものすごく強い。

西野さんも、イケハヤさんもその「物語」を長年発信し続けているから本当にすごいなあと思います。

現在進行形の少年ジャンプのような長編物語を自ら率先して演じてくれている。だから僕らも飽きずに毎日、その挑戦の進捗状況に対して耳を傾けることができる。

まるでリアル漫画の主人公のような存在だと思います。

リアルタイムの長編小説な形と言い換えてもいい。それは本当に素晴らしいことです。多少自分が傷つこうとも、連載を続けてくれているような感じ。

ただ、どんどん物語の性質上、挑戦の質や規模はインフレしていく。挑戦する枠が、大きくならざるを得ない。ここが普通のひとだと無理なんですよね。

でもおふたりは、逆境をものともしないどころか逆境こそが栄養素みたいなところがある。だからこそ、あのお二人だから続けることができることだと思います。

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一方で、いま僕が増えて欲しいなと思っているのは、苫野一徳さんのような哲学者や、批評家若松英輔さんのような存在です。

最近、若松英輔さんがVoicyを始めてくれたことは本当に嬉しかった。

僕は、ここの枠がもっともっと広がっていって欲しいなあと思っています。

実は、意外と人文系のひとたちのほうが、毎日配信には向いていると思う。

「問いを問いのまま、問い続けよう」というメッセージは、毎日勇気づけをしていく意味があるから。

つまり、「あなた自身の物語を大切にしてください」というメッセージですよね。

もちろん、僕自身もこのメッセージを発信し続けたくて、自らコミュニティ運営やブログ執筆、音声配信をし続けている感覚が強くあります。

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この点、最近読んでいた本で、内田樹さんの新刊『だからあれほど言ったのに』にわかりやすい話が書かれてありました。

内田さんは、本書の中で、平川克美さんの人生相談コンテンツのお話をご紹介しながら、「問いを深める」ことの意味を語ってくれていました。

ちなみに、平川克美さんは内田樹さんの幼馴染の方。『小商いのすすめ』など本をたくさん書かれていて、僕も好きな作家さんのおひとりです。

以下で、少しだけ本書から引用してみたいと思います。

平川君のこの人生相談には「回答」がない。答えを出さないで、問いを深めるだけである。
「問いを深める」というのは、相談してきた人が、そもそもどういう歴史的文脈の中で、どういう個人的事情のせいで、「こんな問題」に直面することになったのか、そのことを相談者自身に考えさせるということである。これは姿勢としてまことに正しい。平川君はその趣旨をこう書いている。
<人生は、問題解決のためにあるわけではない。ですから私は、質問者ご自身においても、安易に答えを出すことをせずに、問いを抱えながら生きてゆく術を学んでほしいと思うのです。>
<解決できない問題の前で、私たちはどうすればいいのか。問題の立て方を変更する必要があります。「どうしたら解決できるか」ではなく、「解決できない問題を抱え込んだまま生きていくためには、人はどうすればよいか」というふうに。>
解決できない問題を抱え込んでいても、人は生きていける。生きていけるどころか、その問題を足場にして人間的成熟を遂げることができる。
これはまったくその通りである。人は葛藤を通じて成熟する。葛藤を通じてしか成熟できない。


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この話は、僕も本当に強くそう思います。

そして、音声配信だからこそ、この人生の深みに関する話というのは、配信できるんだろうなとも思います。

インターネット上のテキストや動画コンテンツではまず無理。ましてやショート動画なんて不可能だと感じます。

課題や問題に「答え」を与えるわけでもなく、笑いや雑談でその課題や問題から目を背けさせようとするわけでもなく、課題解決を足早に求めてしまう「私たちひとりひとりとは、一体どんな存在なのか」を問い直す。

僕はこれを、ずっと「神社の境内を掃き清める感覚」と語ってきました。神社に行ったところで、問題が解決するわけではない。

でも、空気が澄んでいる場所、違う時間軸が流れている場所に足を運ぶことで、そこで得られる気づきや発見みたいなものって間違いなくあると思っていて。

それが毎日の音声配信と非常に相性がいいなと。

そしてそれを語ることができるのは、人文系の知を深めているひとたちだけ。

ここの土壌がインターネット上で音声配信を用いて、もっともっと深く耕されたらいいなあと思っています。

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このニュアンスを味わって欲しくて、僕も自らが運営しているコミュニティ内でブログを書き続けて、それを音声にものせて話し続けている。

このような話をするひとたちが、それぞれの得意とする分野ごとにそれぞれのスタンスにあった形で増えていくといいなあと思います。

もちろん、お金にもならないし、それをしたところで、特段深く感謝されるわけではない。

「何も変わらなかったじゃないか!」と文句を言われる可能性も非常に高い。

でも、そこから深いつながりは生まれていくし、そうやって深めていくほか人生の成熟はきっと訪れないと思っています。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、今日のお話が何かしらの参考となっていたら幸いです。