久々に体調が悪くなって、ようやく回復した。

微熱が続くが、咳喉鼻にまったく問題ない。
風邪か流行り病の予兆か?と思ったが三日間なにも変わらない。

驚いたのは、体調を気づかった食事をしていたのに嘔吐したこと。
いつぶりか分からないのだが、ものすごい量が出た。

そして日曜の午後になってようやく回復した。この三日間書いていたことも、ほんの少しの文字数だし中途半端すぎて自分が嫌になった。

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最近、アフターファイブや休みの日でも、イベント企画やコーチングなどの複業をしていた。もっと言えば資格を取ったり、本を読んだり、セミナーに出たり、休む時間を作れるのに作らなかった。

だけど、なにげにふと平日に有給をいれていて「休みをください」とコメントしていた文字を見て気がついたことがある。

これは、心と体が言っている。
言い換えると口以外のところで言っている。

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最近学んだことから、いくつかの仮説をもって日常を観察している。

そのうちの二つがこれだ。

病は自分の人生を生きていないときに発症する。

そして、

病には人間関係の問題が隠れていることが多い。

これは口に出せない、潜在的に隠していることが病として体に表れる。そして、慢性的な病気やそういう精神的に辛いユーザー(クライアント)と話す機会でも、この仮説にあてはまることが本当に多いように思う。

あえて、怒りを表出してもらうこともある。

今回の私のケースで言えば「もっと言えば一人の時間が辛いから、だれかと関わることで寂しい心を紛らわしているときも多い」ということだった。

もっと素直に端的に言えば「許せない人がいる」ということである。

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許せない。

伝わりづらいが、これをここに書いていることは自分にとってとても勇気がいることで、とても大きい出来事である。

「不完了な感情」というもので、プライドや怒りや悲しみなど未消化な感情のことなのだが、この感情を完了にするには、前向きにするには自分で許すしかない。

他者が謝れば済む話ではなく、最終的には自分で自分を許す勇気と肯定が、最終的には必要で、人はそうやってはじめて意識を前向きに進めていけるという。

なんなら他者が謝らないと済まないというのは病に囚われ続けるかもしれない、そういう傾向にある方は意外にも多い。

今回の体調不良で、感情的に素直になれたこともあって、ようやく私は私を許せた。

もうその人に囚われなくていい。よくやった。

許す。

そう、素直に思えるとまた明日から始まる忙しい日々が楽しみになってきた。