皆さんのブログ投稿の流れに乗っかって、日々への疑問をつらつらと書きたくなりました…!ぜひとも皆さんのご意見もお伺いしてみたいです。



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オンライン上を見渡せば、いろいろなところで無料による情報解禁が広がっている昨今。それは漫画やアニメやテレビから、アーティストの生演奏、ライブのアーカイブ、オンラインイベントまで。コンテンツと呼ばれるものが代表的かもしれません。


さてと、そろそろ無料の恩恵に飽きてきたのではないでしょうか?

無料がもたらすものは「平等性」であり、誰もが等しくアクセスできることを意味していて。ここには段階的な差がないのだと思います。

例えば、ライブやコンサートでは、アーティストとの距離が近ければ近いほど高い費用を支払わなければならないように。物理的な差が熱量の差に紐づいてきて、もはや権利に近いのだと思います。

ですが無料は、この熱量さえもフラットにしてしまう。誰もがアクセスできる平等性とは、オンリーワンとは対極に位置するものだと思いますので。


例えば、これをデジタル上で表現したものが前田裕二さんのSHOWROOMですし、クラウドファンディングのリターンの差でしょう。



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「もっと応援したいのに。もっとお金を支払いたいのに。」

おそらくこの欲望は「もっと深く関係したい」という関係深度を表していて、無料では浅い。コンテンツへの僕らの愛情は、残念ながら無料では不十分なのだと思います。

お店やアーティストに支援をする上で「お金を支払うこと」が挙げられますが、これは一部でしかなくて。お金を持っている人だけが熱量を消化できて、持っていない人が消化不良になるのは、健全でしょうか。

例えば、ごひいきにしているお店が苦しんでいるのなら、WEBサイトの改善をしたっていいし、SNSでの発信内容をコンサルしたっていい。日本中から「ためになる情報をリサーチする」でもいいかもしれないし、お店の人の心を整えるコーチングをするのもありだと思います。

まさしく「自分にできること」を提供する。人ができないことを代わりにやる=仕事だとするのなら、雇う/雇われるではない、関係する/関係される。


「熱量が人を動かす/熱量に人が動かされる」ように、人生単位での人間関係の話をするべきなのかなと思うのです。



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100ptマーケットに参加してみて、この取り組み自体が新鮮な可能性にやっと気づけた気がしました…!お読みいただいたあなたにも、何かしらの気づきになればと思います。


※今朝noteに書いたものを再編集させていただきました

https://note.com/hachi_toyo/n/n06bf0606718d