2022年に入ってから、コロナ前の世界に戻ろうとする力がまた大きく動き始めているように感じられます。

現在のさらなる感染拡大も、コロナ前の世界に戻ろうとする大きな力の反動でもある。

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この点に関して、いま僕が思うのは、タイトルにもある通り、今年は一極集中に戻ろうとせずに、さらなる多極分散へと移行していくことが大切になるだろうなあと。

そちらの方角へ向かって勇気を持って進むことで、今後の命運が大きくわかれるはず。

「押してダメなら、引いてみろ」ではないですが、一箇所で巨大なものを作り出すよりも、小さなものを同時多発的に生み出すことにさらなる意識を向けてみることが重要だと思うのです。

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そもそも、なぜこれまでの世界では一極集中が求められてきたのか?

それは「分散してしまうと横のつながりが見えにくかったから」というのが、一つの大きな要因だと思います。

でも今は「分散するからこそ、集中される環境」が生まれつつある。

例えば、インターネット上のTwitterやYouTube、メルカリのようなものは非常にわかりやすい。

各人がそれぞれ好き勝手に創作するからこそ、一つの大きな潮流、プラットフォームとしての役割が目に見える形であらわれてくるわけですよね。

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また、もっと根本的なところにまで立ち戻れば、生物や細胞の仕組みだってそう。

分裂する際に遺伝子をコピーしたら、あとはそれぞれで自走してもらうように宿命づけられている。

何かひとつの集中管理センターのような場所で統御しようとはしません。

そうやって、それぞれがコピーして、少しずつエラーを出しながら個体差を生み、古いものから順番に死んでいく。

だからこそ、生物としての多様性が保たれているわけです。

つまり、それが一つの世界の理でもある。生物の個体だろうが、社会だろうが、世界だろうが、その根本的な考え方は変わらないと僕は思います。

逆に言えば、ここ100〜200年間ぐらいが異質な時代だったとも言えそうです。

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2022年は、コロナが次第に落ち着いていくからこそ、今後の方針について決断に迷う機会も、さらに増えてくることは間違いないでしょう。

そんなときこそ、2019年以前のような一極集中に戻ろうとするのではなく、さらなる多極分散に進むためにはどうすればいいのかを、ひたすら考える。

もちろん、このWasei Salonもそのように運営していくつもりです。

具体的には、東京の拠点をより大きくして、一つの大きなイベントを開催しようとするのではなく、日本各地で小さな交流が生まれるように促し、オンラインも含めた小さなイベントをいかに同時多発的に開催し、トップが存在しない状態で創造していくか。

今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。