僕が小学2年生のときの担任の先生の名は、船橋先生と言います。

船橋先生は、中年のユーモア溢れる先生で、ハゲた自分の姿を「かっぱ」と称し、生徒を笑わせつつ、でも一方でとても厳しい側面も持っている先生でした。

特に、生徒の早退についてはとても厳しく、「先生、帰りたい!」と生徒が泣き叫んでも、絶対に帰してはくれませんでした。


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その日、僕は、朝からなんだか体調が悪く、早く帰りたいなあとずっと思っていました。

でも、船橋先生は絶対に帰してくれないだろうと信じて疑わず、体調が悪いまま午前中を過ごします。

なんとか、お昼前までは我慢できたものの、給食の前になるとついに耐えきれなくなってしまい、泣きながら歯を食いしばりつつ、「帰りたいです」と船橋先生に伝えたんです。

「かっこ悪いから、学校では絶対に泣きたくない」と自分で誓っていたのに、その辛さゆえにどうしても涙が溢れてきてしまう…。

船橋先生に「帰りたい」と言っても、どうせ帰してもらえるわけがないとわかっているのに、「帰りたい」と伝えてしまっている自分。

そのダブルでどうしようもない状況に「あー、もう最悪だ…」と思いながら、じっと地面を見つめていると、

「鳥井がそこまで我慢したなら、今すぐに帰れ。」

と、船橋先生が言ってくれたんです。

このときの記憶は、なぜだか今でも鮮明に覚えています。

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家族以外の誰かに認められること、信じてもらえること。

それを、この瞬間に僕は初めて体験したのだと思います。

いわば、自分にとっての原体験です。

そして大げさに言えば、あのときに自分が味わった安堵感や喜びを、僕は心のどこかでまた味わいたいと思っているし、

自分という人間と関わってくれているひとたちには、あのときに僕が感じた安堵感や喜びを、ぜひとも味わって欲しいなあと思って常々生きています。

そのためにこそ、この面倒な「社会」という枠組みの中でなんとか生き続けているし、「他者」と一緒に働き続けているという漠然とした実感もある。

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自分でも、なぜ突然こんな古い記憶を引っ張り出してきて、このブログに書いているのかはわかりません。

ただ、「これからの働く」を考えるときに、なんだか自分にとっては大切なことが、この記憶の中に詰まっているような気がしたんですよね。

今日の僕のなんでもない思い出話が、いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かを思い出すきっかけとなったら幸いです。