僕がオンラインサロンを運営して「メンバー同士の対話を大切にしている」という話をすると、

内情を知らない人たちからは、理解したフリや、共感したフリなど、その外形的な「和」を重んじていると思われがち。

つまり、対話という手段よりも、共感という結果を重視していると思われてしまう。

でも、実際のところはそうじゃない。

そんな風に受け止められて「素敵な空間ですね!」と無邪気な顔で言われてみても、

「どうも違うんだよなあ…」と、いつも少しばかり居心地の悪さを感じてしまい、うまい言語化をずっと探してました。

そうしたら、やっと見つけたのです。

内田樹さんの『日本習合論』という本の中に書かれていた内容が、本当に膝を打つような内容でした。

少々長いですが、早速引用してみましょう。


「理解と共感の上に人間関係を築く」、これが現代日本の「常識」です。だから、みんな必死になって、他人に共感しよう、他人を理解しようと努めている。努力することは別に悪いことじゃないですよ。でも、 理解や共感に過剰な価値を賦与すべきではないと僕は思います。 

だって、この世のほとんどの人間について、僕たちは理解も共感もできないんです。 

それにもかかわらず、人間関係は理解と共感の上に基礎づけられるべきだというイデオロギーだけは蔓延 している。変な話です。そんな奇妙なイデオロギーが蔓延しているせいで、「周りの人が理解できない、共感できない自分は『変』だ」という低い自己評価を持つ人が増えてきている。

(中略)

でも、日本人はなぜか「場の親密性」「満場一致」を偏愛する。だから、「理解しているふり・共感しているふり」が集団的に強いられるということが起きる。その結果、周りの人間が何を考えているのかわからないけれど、「わかったようなふりをする」技術ばかりにみんな熟達してゆく。 

でも、「ふりをしている」だけですから、自分をほんとうに理解し、共感している人間は周りには一人もいない。いたら困る。まことに気持ちの悪いことですけれど、腹の中ではお互いに「自分のことをこいつらはまるでわかっていない」と思いながら、肩を抱き合い、頬を寄せ合って、「オレたち理解し合っているよね」と笑っている。 

ほんとうに理解し合うことよりも、場の親密性が優先されている。横にいる人が何を考えているのか、これから何をする気なのかということは一切吟味しないで、外見的に「親密であるふり」だけ繕おうとする。そういうことはあまりしないほうがいいんじゃないかと思います。



いかがでしょう。

まるで『論語』の中に出てくる「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」の現代語訳のように、僕には読めました。

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そして、こればかりは体験してみるほかないと思うのです。

たとえば、学校という狭い世界が「この世のすべてだ」と思い込んでいる子ども対し、どれだけ教科書や映像コンテンツを使って、こことは違う世界が存在すると教え込んでみても、その本質はサッパリ理解できない。

やはり、いま自分が所属している学校の目の前で動いているルールがすべてだと感じてしまう。

しかし学校を卒業し、社会に出て、全く違う価値観で動いている集団や社会の中に一歩足を踏み入れてみれば、一目瞭然です。

「ああ、自分はなんて狭い世界のルールにとらわれていたのだろう」と自覚できるはず。

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このWasei Salonも、そんな場になったら嬉しいなと思いながら運営しています。

「理解したフリ、共感したフリ」をしながら、この日本社会を悲観的に生き続けるのではなく、他者のことが全くわからないと考えるからこそ、「ひとは理解し合えない」という前提のもと、「対話」の姿勢を大事にしたい。

無駄な同調や共感を求めて、他者とベタベタわけでもなく、自己責任論を振りかざして、他者を突き放すわけでもない。

心理学者・河合隼雄さんがいう「非個人的関係」に近い関係性を構築することができたら本当に嬉しい。


実際に、少しずつそうなっているという自負はあります。

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どれだけ小さくとも、自分が違和感を抱く社会とはまった違う独特のルールで動いている集団がこの世に存在し、そこに出入りできる自由が、人を救う。

明治から昭和にかけては、「田舎→東京」に行けるという自由が、それを担保していたのだと思うけれど、

現代においてある意味で一番の田舎は東京なのだと思います。(従来の日本社会的な雰囲気で動いている)

オリンピックの問題などを見る限り、それは火を見るよりも明らかでしょう。

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「従来の日本社会的な雰囲気」から少しだけ離れて、違う価値観で動く集団やコミュニティに属せること。

そんな「田舎から東京に上京するような自由」を担保しているのが、現代におけるオンラインサロンやそれに類似するコミュニティの本質であり人々が求める価値なのだと思います。

そんなことを考える今日このごろ。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。