昨日、こんなツイートをしてみました。


「#応援させろ」というムーブメントを知らない方のために簡単に説明すると、これは「NinjaDAO 」内の企画で、みんなで資金を出し合って「CryptoNinja」というキャラクターのアニメ化を成功させようという企画であり、2000万円という大金をなんと1分で集めてしまいました。

詳しくは、Voicyのほうでゆっくり丁寧に解説したので、ぜひこちらを聴いてみてください。


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さて、ここからはまだ漠然とした感覚の話でしかないけれど、ありとあらゆる「エンタメ」や「消費活動」が頭打ちしている現代において、最後に残っていくのは、相性のいいひと(たち)と共に成長発展していく喜びなのかもしれません。

その「記憶」をお互いに共有することができる権利に、ドンドン付加価値がうまれてきている世の中になってきている気がします。

で、こういう話をすると「成長発展している時はいいけれど、それが逆回転してきた時に怖いよね」って話になってしまうのだけれども、それは「文化」のつくり方で、意外とどうにでもなる気がするんですよね。

「成長発展」を保証することは、とても危険なことだと思うけれど、「成長発展を共に楽しもう!」という部活みたいな感覚だったら、いくらでも「Be」ではなく「Do」を共有して楽しめる。

「うちの高校にくれば、絶対に甲子園に行けます」といって高校生を集めてしまうのは危険だけど、「絶対に甲子園に行くぞ!」と掲げて、野球部メンバー同士がその成長発展を楽しむことは許されるし、部員全員のある種のスローガン的に用いられている場合は、むしろそれが同じ方向を向くための共通目標になる。

今回の「#応援させろ」 のムーブメントはまさに、起案者と支援者が「向き合う」というクラファン1.0のような形から、このように「全員が同じ方向を向く」というクラファン2.0にパラダイムシフトが起きた瞬間だったんだと思います。

10年先の未来、そんな中長期的な視点や継続可能性をお互いが信じれるようになったことによって、起きた凄まじい変化だと思います。

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これって、まさに「文化」をつくる作業ですよね。糸井重里さんの『インターネット的』のようなお話です。

今そんな「web3的な文化」が徐々に生まれ始めてきているなあと感じます。

NFTやDAO、を通じてweb3の楽しみ方をしっかりと共有して、コミュニティメンバー同士の文化(成長発展していく姿を共に楽しもうという記憶の共有)をつくりはじめている段階です。

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さて、少し話は逸れてしまいますが、何かが大きく失敗してしまうときや、それが社会から奇異な目で見られてしまう場合において、一番の問題は、そこに集う人々やその熱量やエネルギーの発散させる「方向性」が誤ってしまって場合が多い。

逆に言えば、その発散させる方向次第では、人々の熱量やエネルギーというのは毒にも薬にもなると思います。

わかりやすい例は、コンサートに集まる人々が増えれば増えるほどそのイベント自体は盛り上がるけれど、帰り道の誘導を間違えると、一斉に出口にひとが集まって人が死にかねない、みたいな話です。

この点、ビットコインのすごいところは、世界中のみんなが「儲けたい」と利己的に振る舞えば振る舞うほど、その設計思想や仕組みが逆に盤石となり、うまく回り始めるところだというのは、よく語られる話ですよね。

それが究極のDAOだと言われる所以でもあります。

そして、今の日本のNFTやDAO界隈もそれと似たようなフェーズに入ってきたように感じがするのです。

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思うに、一般の人々が怪しいと感じてバカにする「ブロガー界隈(笑)」「情報商材界隈(笑)」みたいな現象って、結局全員が儲けたいがために、みんなが似たようなムーブをとってしまうから、その行動全般が客観的にみたら怪しく映り、バカにされているだけで、そこに集まる人たちが決して「悪人」だというわけではない。

もちろん一部、詐欺師だったりネズミ講のようなことに手を出すひとたちもいたりはしますが、大半の人々は、本当に気持ちが優しくて、人柄が良いひとたちばかりです。

むしろ、うまくいく方法を言われた通り淡々とこなしていくという側面においては、ある意味では少し度が過ぎるぐらいに純粋無垢な方々だとも言えそうです。

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ただ、そうやってブログを頑張るひとが増えれば増えるほど、お互いが競争関係になってしまう。

それは読み手の可処分時間を奪い合うということもそうですし、SEO対策においても互いのコンテンツを上位表示から互いに蹴落とし合うことになってしまう。

でも、今のNFTやDAOは、そうじゃない。

集まる人達の熱量やエネルギーが一つにまとまる方向に動いていて、「儲けたい」「コミュニティを楽しみたい」という利害関係が一致したことによって、その爆発的な熱量が発揮できる空間が生まれてきたところなのだと思います。完全に共創関係になっている。

この現象を「金の結び目が、縁の結び目」みたいだなあと僕は思っているのですが、インセンティブやベネフィットがあることで、これまで繋がっていなかった人同士がドンドンと繋がっている感じがあるのです。

しかも今回は「結論」だけではなく、ちゃんとその「思考過程」も共有している。この変化もかなり大きい。

もちろんこれは良い面だけではないことは重々承知しています。

ただ、これが非常におもしろい現象だなあというのは、10年以上ブロガーの変遷を見てきた僕なんかは強く思ってしまいます。

今後これがどう作用するかは、まだ誰にもわからない。まだまだ突貫工事の段階ですから、少なくともこれから急激なバブルとそこからの暴落をみんなで体験するはず。

でも、それも四季の巡りの中で体験する台風や吹雪のようなものであり割と楽観視しています。

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僕の最近の興味関心は、むしろバブルと暴落がやって来たそのあとに、DAOに集まる人々がどう振る舞うのかです。

最初は蜘蛛の子を散らしたような感じになって、NFTというゲームも終了となってしまう未来も予想していたけれど、実はそうじゃないのかも…?というのが最近の仮説です。

大地震が起きた時のように一回全てが崩れ去るんだけど、そこからまた力を合わせて復興するんじゃないかと思っています。

なぜなら、一回うまくいくことを経験してしまったからですよね。

リアル世界でも地震から同じ土地で復興しようとするのは、その土地で日常を経験したから。

それと一緒で何度も大地震のようなことが不定期に起こっては一度ゼロになるんだけど、そのたびに復興していきそうな雰囲気です。もちろん少しずつ改善と工夫を繰り返しながら。

だから大事なことは復興可能性や復元力、そのレジリエンスのほうなのだと思います。

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まとめると、今日のブログで強く伝えたいことは、これまでの社会通念の中でネガティブだったことが、仕組みや設計が大きく変わって文化も生まれてくれば、人々の持つ熱量が一瞬にしてポジティブな方向に変わり得るということ。

それは、お互いが喧嘩し合っていた薩摩藩と長州藩が同盟することで、約260年間も続いた江戸幕府さえも倒してしまって、新たな明治政府という仕組みの中では協力し合う、みたいな話です。

その時に一番邪魔をするのは「バイアス」であり、従来的な「常識」や「思い込み」のほう。

「ならぬものはならぬのです」と、完全に思考停止に陥ってしまった会津藩のようになってはならぬのです、いや本当に。

新しい可能性が目の前に現れても、それを打ち消してしまう冷笑的な態度って、間違いなく「既視感」から生まれてくるのだと思います。

「はいはい、またそれね」っていうような。

つまり、歳を重ねたことによって生まれてきてしまう「バイアス」によって人は自然と冷笑的になっていく。何事もわかった気になってしまうんだと思う。

でも繰り返しますが、それが一番危ういことなんですよね。

少なくとも僕は、ちゃんとNFTに触ってみてDAOにも参加してみて、そのうえで否定しているひとをまだ見かけたことがない。

以前も養老孟司さんの言葉を引用してご紹介したように、バイアスというのは学習を速くしてしまう。

だからこそ「バイアス」がもたらしてくれる全能感や、その効果効能に頼りたくなってしまのだけれど、それが一番の落とし穴なんだということは何度も繰り返し主張していきたいです。

いま、自分はちゃんと見てもいないものに「バイアス」を用いた結果、冷笑的な態度を取っているかもしれないと気がついたら、そんなときこそ「直に見る」ってことを強く意識していきたい。

ちゃんと自分の目で見て、触れて、体験してみて、自分の頭で考えたいものです。

いつもこのブログを読んでくださっているひとたちにとっても、今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。

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「声のブログ」Voicyも毎日更新しています。合わせて聴いてみてもらえると嬉しいです。