今朝、こちらの記事を読みました。
今年に入ってから、僕自身もお金に関する本を読む機会を一気に増やしてきたので、ここで書かれていることはとても共感できる内容です。
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資本主義経済のもと、貧富の格差は縮まるどころか広がる一方です。
さらにそれは、労働や税金という形で搾取されるだけでなく、せっせと節約して貯金したお金でさえも、お金がじゃぶじゃぶに刷られて金余り状態になっているため、相対的に「現金」の価値が目減りしてしまっているのが現状です。
今現在、株価や仮想通貨の価格がどんどん上がっているように、現金で持っていることそれ自体が、資本主義の仕組みの中では、その価値を目減りさせられてしまっていることと同義なわけです。
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この現状に対して「既得権益者が悪い!あいつらが諸悪の根源だ…!」と言ってしまえば、それまでなんですが、
この資本主義という仕組み自体も「人間が作り出した第二の自然(コントロール不可能なもの)」であると考えれば、これは地政学に近い問題なのかもしれないなあと最近思うようになりました。
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思うに現代は、物流が発達して移動手段も多様化し、通信手段も整備されているため、地域間格差を感じる機会は格段に減ってきました。
東京に住んでいようと、北海道のど田舎に住んでいようと、生活(ライフスタイル)にはそれほど影響がありません。
https://wasei.salon/blogs/675775ebfb5e
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しかし、ほんの一昔前は、地理的な条件がその人の人生を決めてしまっていた時代もあるわけです。
その土地の自然条件が、そのまま貧富の格差を決めていたと言っても過言ではない。
例えば『ブラタモリ』なんかを見ていると、それをとってもわかりやすく説明してくれています。
「米がどれぐらい取れる土地だったのか、港が近くにあるのか無いのか、鉱山があるのか無いのか、川は定期的に氾濫するのか、雪は降るのか」
このように、自分たちの力ではどうしようもできない土地がもともと持つ条件によって、そこに住む住民たちの命運はほとんど決まっていたわけですよね。
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当時の人たちも、この事実にただ嘆き、大自然を恨むこともできたと思います。
しかし、土地の特徴を知り、自分たちの立ち位置を明確に知ることで、戦略を立てることもできた。
その結果、地政学という学問も生まれたわけです。
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このようにして、昔の人々が自分たちの土地の特殊性を理解して、戦略を立てて自分たちの置かれた状況のなかでもなんとか必死で生き残ろうとしたこと。
それと同じように僕らもきっと、資本主義という第二の自然のようなコントロール不可能な空間の中で、自分の立ち位置(階級)を理解し、戦略を立てることは可能だと思うのです。
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もちろん、地理的な条件など一切理解しなくても、当時生きていた人たちがいたように、資本主義下における自己の立ち位置を一切理解せずとも、一生涯を終えることもできます。
これも完全に、趣味の領域です。
ただ、僕はこのように考えるようになってから、お金のことについて学ぶことがちょっとずつ楽しくなってきました。
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これには明確な理由があります。
日本各地を実際に訪れ、広大な自然を目の前にすると、この地理的条件の中で生き抜く術を考えることは非常に過酷でもあったと同時に、とっても楽しかっただろうなあと思いを馳せることがあります。
変な話ですが、昔の人たちに正直少し嫉妬するのです。
残念ながら、現代に生まれてきてしまった僕らは先人たちが高度に発達させた技術を開発してくれたおかげで(せいで)、その楽しさを享受することはもう難しくなってしまいました。
今後、新たなフロンティアが宇宙に生まれてくれば、また話は少しずつ変わってくるとは思いつつ、それはもう少し先のお話。
だとすれば、人間が作り出したこの第二の自然の仕組みを正確に捉えることで、似たようなダイナミズムを楽しみ味わうこともできるのだろうなあと。
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各人によって、いろいろな考え方や向き合い方があるかとは思いますが、僕は資本主義に対して今はこのような感覚で捉えています。
いつもこのブログを読んでくださっておるみなさんにとっても今日のお話が何かしらの考えるきっかけとなったら幸いです。