結果、そんなものはない、それが今の僕の結論です。

これまで、30年以上生きてきて、さまざまな思想に触れてきました。

必ずこの世界(観)をガラッと変えてしまえるような絶対的な真理があるはずだと。

しかし、どれも一長一短。

そして、あまりにも思想的すぎるものや、作為的すぎるものは、ことごとくうまくいかないのが歴史の定めのようです。

たとえば、これだけ世界中で多くの貧富の格差を生み出していながらもなお、共産主義がうまくいかず、資本主義が今も続いている由縁だと思います。

ーーー

だからこそ、結果として「そんなものはない」という結論に辿り着きました。

ただし、です。

そんなものはない中で、それでも絶対あるはずだと各人が探し続けて、そこで見出した各人の意見をぶつけ合いながら、社会全体を通してその議論がなされている状態のとき、

その動的な状態こそが、絶対真理でもあるかもしれないなと、同時に強く思うのです。

逆に言えば、静的な絶対真理などはありえない。

四季をめぐる自然において、止まる瞬間などが決して存在しないように、季節によって常に移り変わり続ける状態こそが、唯一無二の状態であり、明日も変わらない自然であり続けるための正しい循環になり得る。

ーーー

そしてこれは、宇宙を解明していくプロセスにも非常に近いのかもしれません。

先日、宇宙に関する本を読んでいる中で「どんどん書き換えられることが、科学の本来の姿」と書かれていて、とてもハッとしました。

そして、その時に直感的に思ったのです。

「あー、きっとこの先も人類は何億年、何十億年かけても、宇宙の暗黒物質や暗黒エネルギーと呼ばれるものの全貌は、一生掴むことができないのだろうなあ」と。

でも、明日は必ず画期的な発見が待っているはずだという姿勢で、各研究者がそれぞれの研究に必死で取り組む。

そんな風にこれまでも、そしてこれからも、何億年、何十億年先でも、「宇宙とは何か?」と科学者たちが新しい自説を元に科学を塗り替えながら、次世代にバトンを渡して変わり続ける。


その動的な状態こそが、宇宙の真理に到達するという行為そのものなのだろうなあと。

ーーー

人間社会も、きっとこれと全く一緒です。

絶対真理の正しい思想なんてものは、これまでもこれからも決して巡り会えない。

でも明日はきっと巡り会えるはずだと信じて、各人の理想を戦わせ続ける。

その一生緩むことのない緊張感の中にこそ、僕らがずっと探し追い求めてきた「ここ」がある。

ーーー

このように考えてくると、その辿り着きたいと必死で望んできた「ここ」というのは、いま目の前で起きていて、すでに全力で叶い続けているということなんですよね。

ありありと、いまこの瞬間に実現しているわけです。

この発見は、個人的にはかなり大きな発見でした。

今この瞬間こそが「ここ」である。

ーーー

「いやいや、それは何か言っているようで何も言っていないじゃないか…!」

書いている本人もそう思っています。

でもそれ以上に言いようがないのです。

それでも何か確固たる拠り所(思想)がないと不安だという方は、変化し続けるための仕組みそれ自体を支持することが大事なのかもしれません。

それはつまり、正しく「世代交代」していくということ。

年齢を重ねるごとに、必ず保守的になっていくのが人間(社会)です。

上の世代から受け取ったバトンを、次の世代へ渡していく(真っ当に奪われる)こと。

ここでも贈与の話につながってくる話なのだと思います。

https://wasei.salon/blogs/a821f8047e31

ーーー

あるようで、絶対に存在しない。

ないようで、既に目の前に存在している。

そんな相矛盾する話ではありますが、今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしら考えるきっかけとなったら幸いです。