飾るとは、相手に対して「自分はこういう人間です」とわかりやすく伝える手段のひとつだと思います。

それが相手に対して敬意や礼儀、自己の意志(自分のありたい姿)の範疇であれば、全く問題はありません。

でも、それがいき過ぎてしまうと、過度な忖度や謙りにつながってしまう…。

以前にも書いたように、それは相手を支配しようとする欲求の表れでもあります。

参照:‪自分は優しすぎるの罠。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/35038aa4e3ad‬

また、何より自分が疲弊してしまうんですよね。

コミュニケーションコストが上がりすぎるんです。

参照:‪‪みんなの得意をもっともっと教えて欲しい。 | Wasei Salon  https://wasei.salon/blogs/03f07bf72afa‬

特に仕事の場面では、「はじめまして」の状況で飾らないこと、それが一番ストレスの原因を断つことにつながるのではないでしょうか。

参照:ストレスを発散するのではなく、ストレスのもとを断ち切ろう。 | Wasei Salon https://wasei.salon/blogs/51a2a0fa498b‬

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話は少し逸れますが、先日co-ba ebisuの担当者の方とお話している中で、「働くを解放するとは、どういう意味だと思いますか?」と聞かれて、少し悩んでしまいました。

参照:‪「co-ba ebisu」にWasei Salonのブースが誕生します! | Wasei Salon  https://wasei.salon/blogs/9e6948f15a22‬

僕自身、答えに悩むと過去に自分が書いたブログ記事の中で脳内検索してみる癖があります。

そして、「解放する」で検索した結果、ヒットした記事が以下の記事です。

参照:‪多動力は身につけるものではなく、開放するもの。 http://inkyodanshi21.com/wasei/11325/ ‬

どうしても、僕らは流行っているスキルや能力を身につけようとしてしまう。

でも、そうじゃなくて、もともと自分の中にある能力を解放することのほうが重要で。

つまり、上述した話につなげると、「飾らない≒解放する」という意味になるのかなと。

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そして、そのスタンスをお互い理解し合おうと努める場が大事になる。

それこそがまさに「働き方解放区」という場の役割なのではないのかなあと思ったんです。

一般的なオフィス街では、ビジネスマンは皆同様にスーツを着て、革靴を履き、名刺を持っているのが当然という認識です。

それと同じように、この場では、お互いに飾らないことが当然である、そんな認識を持ち合う場にしていく。

それが「働き方解放区」というコンセプトにつながっていくのかもしれないなあと、僕は思いました。

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飾らずに、出会いのタイミングから自己を解放する。

もちろんこれは、Wasei Salonでも体現していきたい価値観です。

他者に最大限の敬意を払いつつも、自己を飾らず、ドンドン解放してみてくださいね。

このWasei Salonが、みなさんにとってもより一層居心地の良い場になっていったら幸いです。