「これだから今どきの若者は」と、わかりやすい若者批判を行う年長者は年々減ってきました。

70代以下のひとたちで、ちゃんと時代の変化を追っていれば、それが若者からひどく疎まれるということも、もうしっかりと理解できています。

だからこそ、最近の年長者はむしろ必死で若者への理解を示そうとしている。

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でも理解とは、自分の価値観や想像の域を超えません。

その結果、自然と自分にとって分かりやすく都合の良いことを言ってくれる若者たちを評価してしまうようになります。

「若者にはこうあって欲しい」という姿を投影して、それを実現している子たち、たとえばオリンピック選手や将棋の棋士なんかを理想の姿として絶賛してしまう。

あとは、自分が若いころに流行っていたトレンドを復興してくれる若者たちもそうかもしれません。

たとえば、聞き馴染みのある懐かしいフォーグソングを歌ってくれるあいみょんが、世代を超えて愛されているところは、まさにこの実例にピッタリと言えそうです。

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じゃあこれは、年長者のせいなのか?と言えばそうじゃないと思います。

若者たちのほうからも、積極的に年長者世代の顔色を伺っている可能性もある。

なぜなら、そうすることで年長者から下駄を履かせてもらえるからです。

この年長者の顔色のうかがい方がうまい若者たちが今、幅を利かせているとも言い換えることができる。

それは決してズル賢さの表れではなく、逆に素直で従順な子ほど、おじいちゃんやおばあちゃんの喜ぶことをナチュラルに言えてしまうように、無意識のうちにそう振る舞ってしまっているということなのでしょう。

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今の若者が置かれている状況というのは、たとえば「現代のアーティストと、ビートルズどちらを選ぶ?」と問われたときに、

「現代のアーティストに強いこだわりがあるわけでもないし、ビートルズを好きになったほうが世間を渡る上で何かと都合が良く、年長者からも理解を得られそうだからこっちで良いや。」という感じなのかなと。

そんな皮算用が無意識に行われたうえで、ビートルズが選ばれている可能性だって非常に高い。

同世代のわかりやすい同調圧力がなくなった現代においては、これまではミルフィーユのように世代ごとに横に分断されていた価値観が、いまは縦割り行政のように価値観軸で縦に割れてしまっている。

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実際、自分が30代に入ってみて、上の世代も下の世代も同時に存在する状況に置かれてみて、この感覚の変化はとても強く感じます。

具体的には、自分の主張に近い若者には、ついつい下駄を履かせたくなってしまう。「よくわかってるなあ」と。

一方で、自分が選びとるべき主張が悩ましい場面では、ついつい年長者から評価が高そうなほうを選んでしまったりもしてしまう。

でも、そんなときほど、もっともっとフラットに眺めないといけないなあと強く思います。

本当にその価値観が、次世代に求められる価値観なのだろうか。今のテクノロジーの変化や世界情勢と逆行していないのかどうか、と。

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「でも、そんなことは今に始まったことではないだろう?」と思う方もいるかもしれません。

そうやって流行はグルグルと循環してきたのだと。

たしかにその通りなのですが、現代には間違いなく新たな特殊性が存在しています。

それは「若者が簡単に古い作品(コンテンツ)に触れられるようになったこと」です。

これまで年長者に媚びようと思っても、そこには物理的なハードルがあった。

絶版になった本を探すために古書店に通ったり、レコード屋に通ったり、相当な努力が必要でした。そんな面倒くさい作業を行う若者は一握り。

だからこそ多くの若者は、漠然とテレビから流れてくる時代のトレンドを追うだけにとどまっていた。

でも今はインターネット上で、いくらでも簡単に昔のコンテンツに触れられてしまう。

そして、そうやって簡単に触れられる昔の作品のほうがお金もかかってるし、法律による表現の制限も曖昧で、作品としても挑戦的で魅力的。

たとえば、黒澤明の映画なんかはとてもわかりやすいかと思います。

次第にそこに描かれている従来の価値観のほうが本物だと思ってしまう。

それをネット上で発信してみると「君、よくわかっているね」と年長者からの「いいね」も増えて、実社会でも下駄を穿かされてしまう。

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でも繰り返しますが、そうやって年長者に評価されるからと言って、これからの時代において最適解ではない可能性は高い。

ミイラ取りがミイラになるというように、年長者の機嫌取りをしているうちに、価値観が年長者そのものになってしまう可能性すらあります。

有権者としての年長者の数が多いから、年長者に好かれようとする若者はこれからドンドンと増えてくることでしょう。

実際に支持も集まっていくから、そのうちそれが「真実」だと思い込んでしまう。

時代の変化を捉えた若者の処世術としては、とても優れた手法だとは思いますが、これは本当に諸刃の剣だと僕は思います。

ちゃんと世界情勢やテクノロジーのトレンドと向き合いながら、本当に次の時代に求められている価値観にシフトしていがなければならない。

さもなければ、年長者の郷愁に付き合わされて人生、そして日本そのものが終わってしまうから。

今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても何かしらの参考となったら幸いです。

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