先日聴いていたオーディオブックの中で、「現代人にとっては、病こそ癒し」という言葉が出てきてものすごくハッとしました。

「37.5度の微熱なら、なんとか我慢して会社に行かなければいけないけど、39度の熱なら会社に行く必要はなくなるし、まわりも同情してくれる」と。

だとすれば、たとえそれが本質的な解決策ではないとわかっていても、会社や学校に行くのが辛くなってしまったひとは「まずは病気になって癒されたいんだ!」と願ってしまう気持ちはとてもよく理解できる。

この現象自体が、現代病そのものなのだろうなあと。

言い換えれば「未来に希望がないとわかったら、弱さに振ったほうがいい」と皆が思い始めているところ。

「弱くなればなるほど、強くなれる」というような逆説的な価値観が、今の社会では静かに蔓延し始めている。こうなるとますます悪循環に陥っていくと思います。

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昔の世の中の価値観のほうが良かったとは決して思わないけれど、体調を崩して会社を休むことは「社会人失格」という烙印が押されてしまうことと同義という時代がありました。

だから、なんとかみんなが必死でしがみついていた時代は、ある意味でこのような悪循環に対しては歯止めがかけられていたのかもしれません。

そして当時は、そうやって多少は無理してでも出勤することで、その先には必ず「約束された場所」が待っていた。

でも、その約束された場所さえも今は完全に消滅してしまいました。

つまり現代社会は「無理しても地獄、癒されても地獄」という状況なのです。

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さてさて、困りました。この負のスパイラルは、今後とどまるところを知らない。

どんどん病になる人が増えて、助ける人もまた増えて、そのアジールを拠り所にしながら、さらにまた病になるひとが増えるということになる。

『千と千尋の神隠し』の釜爺のシーンのように、ススワタリ(労働者)たちが、千尋に救ってもらうために、わざと石炭に潰されるような未来がきっと訪れる。

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この負のスパイラルを抜け出すために最良の方法は何か、僕にはまだわかりません。

いま期待されているのは、メタバースのような仮想空間が普及し、そこに新たな市場が生まれることで救われるひとたちが現れる、と。

でも、それで全員が救われるとは限らない。そこで活躍するひとたちはきっと今のYouTuberやインフルエンサーのようにほんの一握りでしょう。本質的な解決には何もつながらない。

思うに、何かと引き換えに行う「労働」ではなく、「自分はこれが楽しいから毎日淡々とやっているんだ」という「活動」をひとりひとりが見つけていく必要があるのだと思います。

それが最初はただの自己満足であっても、少しずつ周囲の役に立っていくこと。そのプラスの循環を生むことで初めて、また未来に対してひとりひとりが希望を持ちながら邁進していくこいとができる世界が生まれてくるのかなと。

それをゆっくりと考えるための手立てとそのための空間が、いま求められているのだと思います。もちろん、Wasei Salonもそのひとつ。

いつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても今日のお話が何かしらの参考となったら幸いです。